海峡両岸対日プロパガンダ・ラジオの変遷
朝鮮戦争、政治運動下のラジオペキン

朝鮮戦争、政治運動下のラジオペキン

中華人民共和国は建国後、幾多の政治運動に翻弄される。それは中国共産党が新民主主義路線を反古にして「過渡期の総路線」を採択し、急速な社会主義化に舵を切ったことが原因のひとつになっている。中共が1950年代を通じて発動した主な政治運動を挙げてゆくと、三反運動、五反運動、農村における地主からの土地没収(中共は「土地改革」と自称)、公私合営、合作社運動、百花斉放・百家争鳴、反「右派」闘争、人民公社… [全文を読む]
国民党系放送局の接収、国営化、公私合営──ラジオペキンの1950年代

国民党系放送局の接収、国営化、公私合営──ラジオペキンの1950年代

革命根拠地の延安(陝西省)から瓦窰堡、そして河北・渉県の沙河村、石家荘の西柏坡などを転戦して北平に入城した新華廣播電台は1949年6月20日に日本語放送を開局し、同年10月1日、中華人民共和国の建国とともに北京放送局(ラジオペキン)と改名して現代史における国際放送の歴史を刻みはじめた。まもなく… [全文を読む]
自由中国之声の成立と初期の日本語放送(1949~1970)

自由中国之声の成立と初期の日本語放送(1949~1970)

1945年8月15日、終戦の詔書が台湾でも放送され、台湾住民は台湾が日本人の統治から離れることを知った。9月1日に新しい統治者となる中華民国(国民政府、国府)から三人の代表が初めて台湾に姿を現したのに続き、10月5日には台湾省行政長官公署と台湾省警備司令部の前進指揮所が成立、25日には台北公会堂で日本軍の降伏式が行われ、ここに日本による台湾支配は… [全文を読む]
ラジオペキンの成立──中華人民共和国建国の前後

ラジオペキンの成立──中華人民共和国建国の前後

胡宗南が率いる国民党軍に包囲され、1947年3月に延安の赤色根拠地を放棄した中国共産党軍は、陝西の瓦窰堡、河北・渉県の沙河村、石家荘の西柏坡を転戦し、1949年3月25日、北平に入城した。そこでまず国民党のラジオ局を接収し、中央廣播事業管理処のもとで北平新華廣播電台を立ち上げた。延安を離れてから2年後のことだった。同年10月1日、中華人民共和国の建国を境に中央廣播事業管理処は中央廣播事業管理局に… [全文を読む]
延安新華廣播電台──ラジオペキンの濫觴

延安新華廣播電台──ラジオペキンの濫觴

中国国際放送局(ラジオペキン)の揺籃は延安にある。中国共産党が延安に根拠地を置く以前、その中心は江西省東部の瑞金にあった。1927年4月12日、蒋介石が上海で発動した反共クーデターで第一次国共合作が崩壊し、地下にもぐった中共はふたつに分裂する国民政府の所在地だった武漢と南京の喉元に位置する江西省南昌市で蜂起し、その後は拠点を都市から農村に移して江西、湖南、福建の各省を中心に根拠地を設け、瑞金郊外に中華… [全文を読む]
中国の放送と国民政府(大陸時代)の対日放送(1923~1949)

中国の放送と国民政府(大陸時代)の対日放送(1923~1949)

本稿は、台湾海峡の両岸から発せられる対外宣伝放送のうち、とくに日本語による放送に関し、実際の送出、受信に力点を置いた上で、両放送局を比較しつつ、その特色を歴史的に検証しようとするものである。連載にあたっては、中華人民共和国(大陸)側と中華民国(台湾)側の動向をこの順で交互に、可能なかぎり対応した形で進めていくが、歴史的事情から冒頭の… [全文を読む]