バウルの便り
女性党首モモタ・ベナルジー

女性党首モモタ・ベナルジー

女性党首であるモモタ・ベナルジーは、党派、宗派にかかわらず、西ベンガル人の尊敬と人気を集めているようです。首相となった今も、ゴム草履をはき、特別待遇は一切拒否し、護衛もつけず交通渋滞でも一般車と同じように停車し、声をかけてくる一般の人々の質問にも答える。モモタを批判する人にはあまり出会わないぐらい、一般人からの信頼を得ているようです。 [全文を読む]
「外」から見た日本

「外」から見た日本

3月12日、あちこちから電話が入る。「日本のご自宅のほうは大丈夫ですか?」「日本のご家族の方はご無事でしょうか?」テレビも無ければ新聞も取っていない……そんなアシュラム生活をしている私が、今回の東日本大地震と津波のことを知ったのは、ニュースを見た村人からの知らせを受けたからでした。 [全文を読む]
徒歩でなければたどり着けない村

徒歩でなければたどり着けない村

私がベンガルに住みだした当時は、道も付いていない村がまだたくさんありました。荷物は牛車で運ばれます。人々はとても素直です。私はそんな村々を師に連れられて毎日のように唄を歌って廻ったものでした。泊めていただいたお家に井戸のないことも多く、そういう場合、飲料や顔や手を洗うのに使えるのは、遠くから運ばれて来た水瓶一杯の水だけです。 [全文を読む]
ベンガルの暦のカルティック

ベンガルの暦のカルティック

ベンガルはもうすっかり寒季に入りました。毎年ベンガルの暦のカルティック(10月後半から11月後半)頃から朝夕冷えるようになりますが、このカルティック月に敬虔なボイシュノブ派の信仰者は早朝、クリシュナ神の御名を唱えながら村を廻ります。 [全文を読む]
マーヤの河

マーヤの河

日本では自民党が大敗したということをつい最近耳にしました。こちらは、32年間続いた共産党政権が崩壊寸前です。「民衆が血みどろの戦いをして克ち取ったんだ」と私もたびたび当時の話を聞かされていましたが、イデオロギーがどうであっても、人間性と組織の体質が腐敗して来てしまっていては、人々が「もう、ごめんだ!」と言い出すのは当然でしょう。 [全文を読む]
タマリンドの木の下で一人の修行者が瞑想していた

タマリンドの木の下で一人の修行者が瞑想していた

タマリンドの木の下で一人の修行者が瞑想していました。身体に付けているのは腰に巻いた一枚の布だけで,のび放題の髪は頭のてっぺんで結われていました。身の回りの物と言えば寒い日に使う薄い毛布が一枚、敷物として使われているだけです。通りがかりの信心深い人たちが食物を差し出してくれた日はそれを取り… [全文を読む]
サイクロンが立て続けにベンガルを襲う

サイクロンが立て続けにベンガルを襲う

の5月には3回ものサイクロンが立て続けにベンガルを襲いました。私もその時、暴風が向かってくる音というのを生まれて初めて聞きましたが、私の周囲の人も全員が初めてだと驚いていました。頭の上は青空でした。そして無風……。北側の地平線に黒く下がって見える雲は遠くに雨を降らせており、その辺りが墨絵の暈しのように灰色に染まっています。 [全文を読む]
「好い」と「悪い」の真ん中に「あるがまま」が極めて秘密裏に存在する

「好い」と「悪い」の真ん中に「あるがまま」が極めて秘密裏に存在する

ベンガルの人々が「虎」と呼ぶ今の季節の太陽。その虎が牙をむき出しにする前、わずかな朝の涼しい時間に仕事を済ませようと、村では夜が明ける前から人々が動きだします。 [全文を読む]
賢い白鳥は水で薄められた乳からでも、純粋な乳だけを飲む

賢い白鳥は水で薄められた乳からでも、純粋な乳だけを飲む

ベンガルが一番寒くなるベンガル暦のポーシュ月(今年は12月17日から1月14日)とマーグ月(2月15日から2月12日)。ビルブム県とバルドマン県を南北に分けて流れるガンジス川支流のオジョイ川に沿ったジョイデブ村は深夜から明け方過ぎまで深い霧に覆われます。 [全文を読む]
プラーナに嘘はない

プラーナに嘘はない

ここ何日間か、昼3時半過ぎ頃になるとバス通りの向こうからけたたましい音楽とともにサーカスの呼び込みが聞こえてきています。稲刈りがすっかり終わった今のこの時期、その稲刈り仕事や何かでお金が手に入った村人たちを見込んでテント芝居や映画会が行われます。 [全文を読む]
一本の弦が弾かれ音を出す時

一本の弦が弾かれ音を出す時

長い雨期が明けて乾期も本格的になって来たベンガルの今の時期はお祭りや催しが絶えません。どこの村でも年に一度は村人たちのためにお祭りが行なわれますが、私がこちらに来た当初、村祭りであろうと、寺院やアシュラムの催しであろうと、州政府のイベントであろうと「呼び物」はどこでも「バウルの唄」でした。 [全文を読む]
夜というのが「闇」であること

夜というのが「闇」であること

この頃、村にはまだ電気がありませんでした。夜が夜としてあるということは、そこに月の光のあたたかみや星の息づかいを感じとれるものです。満月近くになるとランプがなくても外に出て用を済ませることが出来るように、月の明かりのわずかな変化も生活に影響します。 [全文を読む]
インド西ベンガルの村から

インド西ベンガルの村から

「バウル」を求めてインド・西ベンガル州のこの村にバウルの師と共に私が住み出して16年が過ぎました。 州都カルカッタから北西100キロ程のところにある村です。今は雨季の終わり。マンゴーやグァバ、椰子の木をはじめ、雨季の間に精いっぱい水を吸って大きくなった熱帯の木々たちに囲まれ… [全文を読む]