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集広舍コラム

歴史時代小説を読む/第9回

雨宮由希夫の歴史時代小説を読む/第9回

書名『黒牛と妖怪』
著者名 風野真知雄
発売  新人物往来社
発行年月日 2009年5月14日
定価   ¥700E

鳥居耀蔵〔甲斐守忠耀〕(1796~1874)は老中・水野忠邦に抜擢され、天保12(1841)に始まる天保の改革に尽力した幕臣である。天保の改革において南町奉行の鳥居耀蔵は、世情に通じ“遠山の金さん”と親しまれる北町奉行の遠山左衛門尉影元とは対照的に、改革令に違反する者を非常に厳しく取り締まったところから、江戸庶民から甲斐守忠耀をもじって“妖怪(耀・甲斐)”と渾名され、忌み嫌われた。天保の改革が行き詰まるとともに失脚した耀蔵は弘化2年(1845)、有罪とされ全財産没収のうえ、讃岐国丸亀藩に幽閉された。以降、鳥居は明治維新の際に恩赦を受けるまでの23年間、軟禁状態に置かれるのである。
慶応4年・明治元年(1868)10月、鳥居耀蔵は明治政府による恩赦で、幽閉を解かれた(一説に、明治2年、版籍奉還とともに赦免されたともいう)が、その際、有名なエピソードがある。失脚時50歳であった耀蔵は73歳になっていたが、「自分は将軍家によって配流されたのであるから上様からの赦免の文書が来なければ自分の幽閉は解かれない」、つまり自分はあくまで徳川幕府の罪人としての立場を貫き通し、新政府、丸亀藩を困らせたという。天保の妖怪の面目躍如ではないか。
平成5年(1993)の第17回歴史文学賞受賞作である本書『黒牛と妖怪』は23年間の幽囚にも屈せず、明治の世に蘇った最晩年の鳥居耀蔵を主人公とした歴史小説である。
明治の世といっても、明治初年は江戸が東京となっても、「東京市民」の多くは「江戸っ子」たる矜持を失わず、“維新”を“瓦解”と呼んでいた頃である。
作者・風野真知雄は描き出す。

「鳥居耀蔵が権勢を誇ったのははるか昔の天保の時代なのだ。いまはもう、徳川時代も終わり、明治もすでに五年なのである。それがまだ生きながられえていて、東京に変わったこの町を歩いていようとは……信じられない思いがするだろうが、まさしく正真正銘の妖怪なのであった」

明治初年の歴史年表をひもとけば、

明治4年(1871)7月14日 廃藩置県。
11月12日 岩倉遣米欧使節団、横浜を出発
明治5年(1872)9月12日 鉄道開業式

とある。鉄道敷設は西洋近代化路線をひたすらに走り出した明治新国家にとって「新政府の威信をかけた大事業」であったが、「あるものは政治上の怨念から、あるものは実際上の利害から、反対」し、「この計画をなきものにしようという陰謀」が密かにすすめられている。
天保の妖怪・鳥居耀蔵の晩年に、世はまさに文明開花期の東京の、しかも横浜~新橋間に我が国初の鉄道が開通した鉄道事始である「鉄道開業式」をからませた着想の妙が本書を引き立たせている。
書名『黒牛と妖怪』の黒牛とは陸蒸気(おかじょうき)の真っ黒な鉄の胴体をさしている。海からの蒸気船に替わって登場した蒸気機関車(=鉄道)を、当時の人は陸蒸気と名付け黒牛と渾名したのである。
あの陸蒸気というものの線路を海中にひきこみ、岡蒸気を招待客もろとも消してしまう計画がこともあろうに、耀蔵その人とその身内を巻き込んで進行してゆく。耀蔵の孫の新太郎は去年の秋よりポリスとして市中警固の仕事を担っているが、薩長が権力を牛耳っている警察組織そのものに嫌気がさし、反政府的姿勢を隠し持っている。それに謎の少年(実は遠山の金さんの孫、という造形)・信吉がからみ、最後は海軍大輔の勝海舟のお出ましとなって、メデタシメデタシとなる。
さらに、本書が物語として成功しているのは、お延を“準主人公”として配したことにあるといえる。お延は耀蔵の孫・新太郎の嫁である。
実在の耀蔵は晩年、東京渋谷の宮益坂に住んでいるが、本書で作者は、「長男久五郎の妻の実家である諏訪家の屋敷の離れ」の四畳半二間、三畳一間の部屋数三つに6人が起居したと生々しく描写している。
耀蔵の長男久五郎は別の史料によれば成文といい、旧幕時代「海軍奉行支配」の役にあった人物であり、成文の妻の節は高島3万石諏訪氏の娘・達子に比せられる。久五郎と節、新太郎とお延の2世代夫婦に、曾孫の遙太郎、それに耀蔵の6人が狭苦しい部屋に寝起きしたものと想像される。
久五郎と節夫婦はすでに耀蔵に当たらずさわらずであり、耀蔵の面倒を見たのは孫嫁のお延であった。耀蔵散歩の際、手を貸し、薬を飲む手伝いをするのも、お延である。ある時、お延は耀蔵が道草の草を喰うのを見ておぞましいと感じる。驚異的な精神力と独自の漢方療法で生き延びてきた耀蔵は幽囚の間ろくな食事もない時、草をむしりとって喰らっていたのだ。耀蔵の妖怪としての怖さと執念深さを知らないお延だが、生に執着する人間の性を知る。
耀蔵とお延のやりとりがまた微笑ましい。写真機を持ち出して「お爺さまのお写真を撮って差し上げましょうか」と耀蔵に迫るお延。「魂を抜かれるではないか」、と恐れちぢこまる耀蔵を見て、ひとしきり腹を抱えるお延。妖怪も孫嫁を前にしては形無しである………。
単行本刊行(平成7年)から文庫化まで14年の歳月が流れていることでも、話題となっている本書を読んで、私は鳥居耀蔵が「妖怪」であり「悪党」であるとされる所以に興味を抱いた。
「残忍酷薄にして豪邁な生涯」を送った鳥居耀蔵は「目的の為には手段を選ばぬ執拗な陰謀家」であったとされる。「資性陰険狭隘にして権略に富む」「儒門の出なるを以って大いに蘭学を忌む」「頗る峻烈苛酷を極めて市民の怨嗟を受く」などの酷評もいずれも耀蔵に冠されたものである。
しかし、思うに、これらは死後の毀誉褒貶の類ではなかろうか。そもそも、失脚の原因も、不明瞭で、あるものは、在職中の不正、あるものは職務怠慢という。
鳥居耀蔵は儒学者の家に生まれている。実父は林家中興の祖といわれる幕府儒者の林大学頭述斎(じゅっさい)である。耀蔵が鳥居家の養子とならず、学問の家である林家にあれば、如何なる政事の変革にもかかわりなく生きる方法があったであろう。目付という職掌の役人となったことが耀蔵の運命を左右した。それに加えて水野忠邦の後任が阿部伊勢守正弘であったことも、不運であった。阿部正弘は老中首座となるや新時代に対応すべく、「海防掛」を設けているが、一方、水野を憎む阿部は水野一派を許さず、悉く追放している。鳥居耀蔵はその餌食となった感が強い。
鳥居耀蔵に詩文「東京」がある。赦免されて23年振りに江戸に帰ってきたとき詠じたものである。
  交市通商競イテ狂ウガ如ク、誰カ知ラン故虜ニ深望アルヲ、後ノ五十年須ラク見ルヲ得ラケレバ、神州恐ラクハ是レ夷郷ト作ラン
[意訳:東京となった江戸の町は人々の往来も商業も狂ったように競っている。誰知るや、江戸の昔の罪人であった私の考えを。五十年後の後世を予想できるならば、神州日本はおそらく野蛮人の国となっているにちがいない。]
その後の日本はまさに鳥居耀蔵の予言どおり、軍国日本への道をひた走りに走り、“鬼畜米英”を叫んで世界の孤児となり、惨めな敗戦を迎え、幕末以来の先人の汗と労苦を無に帰してしまった。
鳥居耀蔵は明治6年(1873)10月3日、波瀾に満ちた生涯を閉じている。享年78。西郷隆盛らの征韓派が破れ下野するのは同年同月24日のことである。
(平成21年6月8日 雨宮由希夫 記)

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Profile

雨宮由希夫

2006年まで三省堂書店に勤める。神田本店(現・神保町本店)にては新刊書・人文書の仕入れ販売に従事、かつ、作家や将棋棋士などのサイン会を盛んに催した。北方謙三、浅田次郎、柳美里、塚本青史、谷川浩司、羽生善治の各氏とも交流が深い。特に、柳美里さんサイン会中止事件の際の毅然とした行動はあまねく知られ、「90年代の神保町の名物店長」といわれている。
三省堂書店退社後は大学出版社勤務の傍ら、主に歴史時代小説の書評などの執筆を続けている。中国古代・近代をふくめ、源平から幕末維新まではむろんのこと、明治大正期までを背景とした歴史時代小説 の中に、歴史の真実 とそこに生きた人々の息吹きを嗅ぎとることを評論の要とする手法に特色がある。

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