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集広舍コラム

Archive for July 2009


燕のたより/第14回

色淡き血痕のなかで:二〇〇九年六月三日~四日、香港において(その四)

「Y八九」世代と「六・四」

1.青年の積極的な参加

 “Y八九”の“Y”はYoungやYouthで、“八九”は天安門事件が起きた一九八九年を指します。今年の天安門事件二十周年追悼祈念集会(ヴィクトリア公園)では、一九八九年生まれの青年である“Y八九”世代の積極的な参加が目立ちました。その理由として、いくつか挙げられています。
 まず、前に述べた(色淡き血痕のなかで・その二)、香港大学学生会会長の陳一諤がリコールで解任された事件や曹蔭権長官が立法会の発言のために顰蹙や怒りを買ったことで、青年の「六・四」天安門事件に対する意識が高まりました。また、「紀念六四的網絡群組」はじめ複数のHPで、追悼祈念会への参加が呼びかけられました。さらに、「支連会」が二〇〇三年に青年部を発足させ、事件当時の記憶を子供たちに語り継ぐことに務めてきました。それとともに、天安門民主運動を支援した経験を持つ中学校教師たちが手作りで歴史教科書を作りました。その中で教師たちは「教師は嘘を教えられない」、「偽の客観を捨てて、自分の思考力を高めよう」と呼びかけています。これらの地道な努力により、多くの青年が二十周年祈念集会に参加したのです。
 追悼式典で、香港大学生(専門学校以上)連合会秘書長の周澄は、次のように訴えました。

歴史時代小説を読む/第12回

雨宮由希夫の歴史時代小説を読む/第12回

書名『ジパング島発見記』
著者名 山本兼一
発売 集英社
発行年月日  2009年7月10日
定価  ¥1500E

16世紀、南蛮人と称せられた多くの南ヨーロッパ人がマルコ・ポーロの「黄金の島・ジパング」に惹かれて、遠いヨーロッパから、雲烟万里の東洋のはるかな海の果ての島国ジャポンに渡来した。
16世紀は日本が西洋と出逢った記念すべき世紀であり、その時代の代表的日本人は織田信長そのひとであった。とくに信長の時代を思うとき、私たちは信長とヨーロッパの関わりについて特に注目しなければならない。
作者の山本兼一はポルトガル人でイエズス会宣教師ルイス・フロイス(1532~97)の著書『日本史』に基づき、フロイスの眼を通して、足利義輝から信長の時代、そして秀吉と移りゆく時代を描くという手法をとっている。

燕のたより/第13回

色淡き血痕のなかで:二〇〇九年六月三日~四日、香港において(その三)

 天安門事件関連書籍の出版ブーム

1.はじめに

 民主化を求める学生や市民が戒厳軍により弾圧されてから二十年たちました。天安門事件二十周年となる六月を前にして、香港では関連書籍の出版ブームが起こりました。もちろん、それらすべては中国本土で発売できません。中国政府は、この流血の歴史を隠し続けています。
 香港在住の孟浪さんは、二年前にアメリカから香港に移住し、独立中文筆会のHPの「自由創作」の編集に加えて、晨鐘書局の編集や出版をするようになりました。今年だけで遇羅錦著『一個大童話―我在中国的四十年』、張樹博著『解構與建設―中国民主転型縦横談』、封従徳著『六・四日記―広場上的共和国』、帰化章、浦前共著『100「六四」人物的二十年』の四冊を刊行しました。どれも直接間接に天安門事件に関するものです。そして、他にもたくさん出版されましたので、ここでいくつか紹介します。

歴史時代小説を読む/第11回

雨宮由希夫の歴史時代小説を読む/第11回

書名『国芳一門浮世絵草紙3 鬼振袖』
著者名 河治 和香
発売  小学館
発行年月日 2009年6月10日
   定価   ¥580E

待ちに待った、河治和香のシリーズ『国芳一門浮世絵草紙』の新作が刊行された。1年半ぶりである。読了した後の、この晴れわたるような清涼感と、ほのぼのとした安堵感は“和香ワールド”そのものであろう。

燕のたより/第12回

色淡き血痕のなかで:二〇〇九年六月三日~四日、香港において(その二)

 十五万人以上の追悼式典(六月四日、ヴィクトリア公園)
1.「支連会」

 「愛国民主運動を支援する香港市民の会(略称支連会)」は、香港市民が設立した組織です。一九八九年五月二一日、北京に戒厳令が布告された翌日、香港では百万人の市民が抗議デモを行い、「愛国民主運動を支援する全香港市民の会(全支連)」を設立しました。これは「支連会」の前身で、翌年から毎年六月四日の直前の日曜午後にデモ行進をして、四日の夜には追悼集会を開いてきました。
 一九九七年七月一日に香港に関する主権がイギリスから中国に戻された「九七回帰」により、中国共産党を直接批判する活動の存続が危ぶまれました。多くの人たちが中国本土のように「反動組織」、「国家転覆組織」とされて関係者は摘発されるのではと心配されました。しかし、「一国両制」により、デモ行進や追悼集会は取り締まられず、続けることができました。
 それでも二〇〇三年には「香港基本法」第二三条が可決されました。これによると「香港特別行政区は、祖国を裏切り、国家を分裂させ、反乱を煽動し、あるいは国家機密を盗むいかなる行為も禁じられ、外国の政治組織や団体による香港特別行政区における政治活動も禁じられ、香港特別行政区の政治組織や団体が外国の政治組織や政治組織や団体と連携することも禁じられ」ます。これに対して、七月一日に基本法二三条立法化反対デモが五十万人規模で行われました。立法化は阻止できませんでしたが、これは香港社会を震撼させるものでした。
 このようにして、香港人は、その独特の立場により言論の自由、自分の権利は自分しか守れないということを自覚するようになり、「支連会」は中国で唯一合法的に「六・四」を祈念できる市民組織として二十年間、毎年ヴィクトリア公園で「六・四燭光追悼集会」を開催してきました。

北京の胡同から/第16回

胡同といえば、元の時代から受け継がれた時代の遺物。歴史に興味がある人には面白いかもしれないが、全体としては古臭く、遅れているもの、と思われがちだ。先回ご紹介した南鑼鼓巷にしても、若者たちの心をとらえた流行のデート・スポットになっていながら、タクシーの運転手などからは未だに、「こんなに古臭い平屋のどこがいいんだ?」と吐き捨てるように言われることがある。

だが胡同は本当に「古い」だけだろうか?いや、実際は胡同と斬新なアイディアとの相性は、なかなかのものなのだ。

燕のたより/第11回

色淡き血痕のなかで:二〇〇九年六月三日~四日、香港において(その一)

1.色淡き血痕のなかで

 「色淡き血痕のなかで」は、魯迅が『野草』という表題でまとめた一連の評論の中の一篇のタイトルで、サブタイトルは「数人の死者と生者と未だ生まれざる者の記念」です。魯迅は、一九二六年四月八日、段祺瑞政権の軍警が市民や学生の請願デモに対して発砲し、死者四七人、負傷者百五十数人を出した「三・一八」事件の後に、これを書きました。私は一九八九年六月三日夜から起きた天安門事件について考えるとき、この「色淡き血痕のなかで」を思い起こします。  そして、今年は天安門事件の二十周年に当たります。中国大陸では天安門事件はタブーとされていますが、香港では違い、追悼集会が毎年開かれています。今年、私はそれに参加することができましたので、これから、天安門事件二十周年を祈念した追悼集会、天安門事件に関する出版ブーム、青年の意識などについて、何回かに分けて報告します。