Archive for October 2009
狼の見たチベット/第5回
吾輩は狼である。ヒマラヤ山中で暮らしていた吾輩は、ナンパラ峠での虐殺を目撃しチベットに関心を持ちラサまで下りてきた。
しばらくの間チベット自治区内でチベット人の暮らしや移住してきた中国人の様子を眺めていた吾輩だが、せっかく遠くまで来たので足を伸ばして中国本土にパンダを見物しに行くことにした。
パンダと言えば、知っての通り今は普通ジャイアントパンダ、中国語で言う大熊猫(ダーシュンマオ)のことを指す。だが元々はジャイアントパンダよりも先にレッサーパンダの方が発見されていたため、パンダと言えばレッサーパンダのことだったそうだ。
ヒマラヤに住んでた吾輩にとってレッサーパンダはおなじみの生き物だった。中国にだけ住むジャイアントパンダと違い、レッサーパンダには雲南省や四川省に住むシセンレッサーパンダだけでなく、インドやブータン、ミャンマーなどヒマラヤ地域に住むネパールレッサーパンダと呼ばれる亜種がいたからだ。実際、吾輩も何度か胃を満たさせてもらったものだ。
パンダという名前自体ネパール語で竹を食べるものという意味の「ポンガ」という言葉に由来するとも言われているので、おそらくヒマラヤに住むレッサーパンダが一番最初に西洋人に知られたのではないかと吾輩は推測している。ちなみにレッサーパンダは英語ではレッドパンダやファイヤーフォックスなどと呼ばれているそうである。お前さんたちの国でも何年か前に動物園の立ち上がるレッサーパンダが報じられて人気を集めたことがあるので、これ以上詳しく話さなくても、レッサーパンダについてはお前さん達も良く知っているだろうからこのくらいにする。
狼の見たチベット/第4回
吾輩は狼である。
毎回、チベットの悲惨な現状ばかり語られても、読むほうもいたたまれないだろうから、今回はチベットの地理に関する話でもしようかと思っていた。
ところが、悲報が飛び込んできたので、用意していた話は次回に回し、今回は急遽その悲報について語ろうと思う。
歴史時代小説を読む/第18回
雨宮由希夫の歴史時代小説を読む/第18回
書名『覇天の歌』
著者名 岩井三四二
発売 講談社
発行年月日 2009年9月29日
定価 本体1800円(税別)
本書の主人公・里村紹巴は戦国期に活躍した連歌師である。紹巴は天正10年
(1582)、本能寺の変の3日前の5月28日京都の愛宕山(愛宕神社)で
光秀が催した連歌会「愛宕百韻」に出席した。光秀の発句「時は今 雨が下し
る 五月哉」を受けて、紹巴は「花落つる流れの末をせきとめて」と詠んでい
る。このことから、紹巴は光秀の信長弑殺の決行を察知し、光秀を諫言したの
ではないかされるが、「愛宕百韻」の真相は今も藪の中にある。
奈良の町で「お寺」といえば興福寺を指す。世は戦国、「お寺」が一切を切り
回している奈良の里にも戦乱の火の粉が降りかかってくるが、人々の連歌熱は
冷めるどころか、ますます熱くなっている——というのが、この物語のスター
ト時の時代背景である。
狼の見たチベット/第3回
もう自己紹介は不要と思うが、吾輩は狼である。
まずは吾輩が中国人を嫌いかと聞いてきた輩がいたので答えておこう。
中国人だろうが、チベット人だろうが、日本人だろうが、人間なぞ所詮人間だ。自分の為、あるいは身近な者の為に生きて、良いこともすれば悪いこともする。
チベット人だからといって一人残らず善良なわけでもなければ、中国人だからといって一人残らず極悪非道なわけでもない。
そもそも少々の差はあっても、吾輩の胃袋に納まってしまえば、たいした違いなどない。ただ化粧品や香水は抑え目にしてくれたほうが食べた後に胸焼けに悩まされずにすむので、読者諸君が肉食獣に襲われる時はエチケットとして守って欲しい。
さて今回は吾輩がラサで出会った一人のチベット人について語ろうと思う。
路上の詩/vol.020
路上の詩 [ホームレス川柳]/vol.020
朝露に 寿司を頬張る 夢も醒め 髭戸 太
鰯雲 網で焼いたら 食えるかな 髭戸 太
名月を あおぐ寝床に 蚊がいない 髭戸 太
鈴虫が あまり元気じゃ 眠れない 髭戸 太
公園の 落ち葉と添い寝 枯れ尾花 髭戸 太
暇だから 落ち葉の数を 数えましょ 髭戸 太
路上の詩/vol.019
路上の詩 [ホームレス川柳]/vol.019
東屋に ツクツクボウシと 黄昏て 髭戸 太
東屋で 酎ハイ飲んでは 間集め 髭戸 太
東屋の 住所借りても いいのかな 髭戸 太
東屋は 暗い中でも お話中 髭戸 太
東屋は 台風来ると 大弱り 髭戸 太
東屋で 早く見たいな 鰯雲 髭戸 太
路上の詩/vol.018
路上の詩 [ホームレス川柳]/vol.018
なによりも 盆と正月 カレーの日 髭戸 太
盆が来て 里帰りする 他人眺め 髭戸 太
送り火で お湯を沸かすと ばち当たる? 髭戸 太
ダンジャケが 浴衣代わりの 盆踊り 髭戸 太
盆踊り 遠い故郷も 炭坑節 髭戸 太
狼の見たチベット/第2回
人間という奴は、あまり興味がないことはすぐに忘れるので、もう一度自己紹介をしておく。吾輩は狼である。名前などという煩わしいものは野性動物である吾輩には当然存在しない。
ナンパラ峠の惨劇を見た吾輩はチベットについて詳しく知りたいと思うようになりチベット中央部に向かって駆けた。吾輩たち狼は最高で時速70kmで走ることができる。陸上動物で最速であるチータの時速120kmには遠く及ばないが、奴らはその速度で精々数百メートルしか走ることはできない。吾輩たちは時速70kmを維持したまま20km以上の距離を駆け抜けることができる。さらに速度を時速30km程度まで落とせば一晩中走り続けることすらできるのだ。
バウルの便り/第9回
インド西ベンガルの村からバウルの便り
日本では自民党が大敗したということをつい最近耳にしまし
た。こちらは、
32年間続いた共産党政権が崩壊寸前です。「民衆が血みどろ
の戦いをして克ち取ったんだ。」と、私もたびたび当時の話を
聞かされていましたが、イデオロギーがどうであっても、人間
性と組織の体質が腐敗して来てしまっていては、人々が 「も
う、ごめんだ!」と言い出すのは当然でしょう。人間の平等と
平和を謳うどんなに立派な理念があっても個々人の我欲を抑え
ることは出来ず、むしろその理念は逆に我利我欲のために利用
されていきます。
自分のことを少し横において、人のために何かを考えるとい
うことは、人間にとって本当に難しいことのようです。
ほんの少しの、ささやかな思いやりや愛情さえあれば、すべ
てが解決するように思うのですが・・・、それらが入る隙もな
いぐらい人々は自分のことでいっぱいなのでしょうか。
人々は愛情に飢えているように見えます。 みんなが自分を認
めて欲しくて、みんなが「『私』を理解して欲しい」と叫んで
いるように見えます。人のために何かしているように見えても
、それは結局自分を認めて欲しいという欲求の現れであること
が多いように思います。
奪い合いは動物のすることですが、でも、「私が」「私が」
と譲り合うことをいまだに出来ず競争する私たち人間の社会の
ことを考えると「人間は、まだまだ本当の意味で人間に成れて
いない」というインドの聖者たちの言葉がもっともに思えるも
のです。
歴史時代小説を読む/第17回
雨宮由希夫の歴史時代小説を読む/第17回
書 名 『青嵐の譜』
著 者 天野純希
発行所 集英社
発行年月日 2009年8月10日
定 価 本体1600(税別)
蒙古襲来の際に8代執権として事にあたった北条時宗は、はたして、世界最強の蒙古軍の来襲に対して見事、国を守った名執権であったのか。
朝鮮半島では約30年間にわたるモンゴル帝国の執拗な侵攻の結果として、1259年、高麗はモンゴルに服従して、その傘下に入り、元の属国となった高麗は元の日本遠征計画の主要基地となった。
フビライは襲来に先立って使節を日本へ送り込んできた。これに対して、北条時宗は戦を前提とする国交拒否で応えている。しかし、元の使者を拒絶しておきながら、対馬や壱岐に防衛の兵を配備していなかったことも事実である。
狼の見たチベット/第1回
吾輩は狼である。昔「吾輩は猫である、名前はまだない」などと書いた文豪がいたが、野生動物である吾輩には当然のことながら名前などというわずらわしいものはない。
人間たちは吾輩たち狼を凶暴で残忍な動物だと言っているようだが、吾輩の目から見れば人間たちのほうがよっぽど凶暴で残忍な動物にしか思えない。今回はいつもお前さんたち人間に観察やら解説やらされている吾輩が、逆にお前さんたち人間について語ることにする。














