Archive for February 2010
特報/北京芸術区
北京の胡同から/特別編
「当たり前の権利」を求めて——暴力に抗うアーティストたち
近年、中国にも現代アートなるものが存在し、一部の作品にいたっては、かなりの高額で取引されていることが、日本の人々にも知られるようになってきた。北京五輪後、金融危機の打撃は受けたものの、北京の郊外に広がる広大な芸術区の数々では、まだまだ意欲的な創作活動や展示が行われている。北京で活躍する欧米出身のキュレーターの中には、現在の北京の芸術的雰囲気の強さは「芸術の都パリ以上だ」と言う人もいるほどだ。
先日の『新京報』では、アジアをまたにかけて活躍してきた文化人である陳冠中も、「金がなくても、北京で絶望することはない。全国で人々が金が多いか少ないかだけを比べている時、北京にはまだ一日中『俺とお前のどちらがすごいか』を競っている人がいる」というコメントで、北京の魅力を伝えた。
パリとの比較はともかく、後者については、筆者も同感だ。経済的な利益は二の次、ただ自己表現をしたい、という純粋な一念で、仲間と切磋琢磨しあいながら制作活動を続けている人々を、筆者はこれまで多数インタビューしてきた。
だが、どんな創造的行為にも、それを支える環境が必要だ。ところが先日、悲しいニュースが伝わってきた。どうも、本来ならクリエイター達をしっかり支えるべき人々まで、今は金欲のとりことなってしまったようなのだ。
北京の胡同から/第19回
やむを得ない事情により、長らく連載をお休みしてしまい、申し訳ありません。
春節を機に心機一転し、再開させていただきます。ちなみに、先月1月に新しい
訳著『乾隆帝の幻玉——老北京骨董異聞
』(劉一達著、中央公論新社刊)が刊行
されました。こちらでは、民国期の北京を舞台にした、ストーリー性とディテー
ルの豊富な小説の形で、皆さんに北京の奥深い文化を楽しんでいただければ、と
願ってます。
継続か否か——保護と伝承の合間で揺れる廟会
中国の最も盛大な祭日と言えば、やはり何といっても日本の旧正月に当たる春節 だろう。旧暦に基づいた多くの北京の行事が、さまざまな歴史的経緯から消失、 または商業化、形骸化の一途をたどっているなか、春節はまだ割合と伝統的な節 句としての雰囲気が濃厚な祭日の一つだといえる。
春節ならではの風習の中で、爆竹や餃子を食べることと並んで、大きな存在感を 誇っているのが、廟会巡りだ。廟会とはそもそも縁日に寺院の周辺に立った月ご との定期市が由来で、かつては春節に限らず毎月開かれていた。文革をはさんで 一時期途絶えたが、その後政府のバックアップによって徐々に復活。今は毎年春 節が近づくと、北京では次の廟会をめぐる話題が新聞を賑やかに埋めている。
狼の見たチベット/第14回
我輩は狼である。 2月14日と言えばバレンタインデーだ。お前さんたちの国、日本では女性が男性にチョコレートを送り、代わりに一ヵ月後に高価な品々を巻き上げるという変わった風習があると聞く。
バレンタインの起源はローマ時代に遡る。当時、ローマ帝国は兵士の結婚を禁止していた。故郷に愛するものを残すことで、兵士が命がけで戦えなくなることを避けるための法だった。
しかし、法で禁止したところで人の心からの思いは変えることなどできはしない。どうやら古代ローマの為政者は、現代のどこぞの為政者と同じ程度に人の心を理解できない存在だったようだ。
歴史時代小説を読む/第25回
雨宮由希夫の歴史時代小説を読む/第25回
書 名 『維新 岩倉具視外伝』
著 者 堀 和久
発行所 幻戯書房
発行年月日 2010年2月1日
定 価 本体1,900円+税
明治維新は鎌倉以来連綿と続いた武家社会に終止符を打った政治運動であるが、
それとともに、平安以来の朝廷の伝統である摂関制度を終焉させた変革であっ
た。しかも、信じ難いことに、和宮降嫁で失脚し、昨日、赦免されたばかりの岩
倉具視(1825〜83)が翌日には衣冠束帯に身を正してあらわれ、幕府と朝
廷の政治組織の解体を上奏していることである。
岩倉具視は下級の公家であった。公家社会は信じがたいほどの閉鎖社会であり、
どれほど才能才覚があっても、下級の公家が出世する道は限られていたが、にも
かかわらず、なぜ岩倉は閉鎖社会から躍り出て、公武の旧政治体制の廃止を宣言
するという離れ技をやってのけることが出来たのか。













