現在私は、韓国はソウル市役所の社会的経済支援センターから中南米における社会的連帯経済の公共政策に関する調査を請け負っていますが、その一環として7月末から8月頭にかけてメキシコに滞在しましたので、その様子を今回はご紹介したいと思います。

 メキシコでは2012年5月に社会的連帯経済法が可決し、これにより国立社会的経済機構(INAES)が社会的経済の推進のためのさまざまな活動をしています。ここでは社会的連帯経済が「連帯、協力および互酬的関係に基づき、労働および人間を優遇し、…構成員および活動を行う地域社会の必要を満たす社会的所有機関社会経済的システム」と定義されており(第3条)、具体的な実践例としてはエヒードと呼ばれる共有農地、労働者組織、協同組合そして労働者が株の大半を所有する企業などが含まれます(第4条)。

INAES本部

▲INAES本部

 「参加、研修、研究、広報および支援を通じて…社会的経済分野を推進する公共政策を生み出す」(第13条)ことが目的として定められているINAESですが、これは社会的経済国立基金(FONAES)が発展したものです。同機構では、法律が可決してもメキシコ政府側で社会的連帯経済の推進に向けた意欲が描けている点を指摘した上で、協同組合のインキュベーターを設立したり、社会的連帯経済見本市を全国各地で開催したりしています。訪問して驚いたのですが、同センターは全国各地に支局を有しており、職員数は合計で約800人にのぼるそうです(ちなみにメキシコの総人口は約1億1800万人で、日本とそれほど変わらない)。

 また、メキシコの歴史上忘れてはならないのが、1910年に始まり10年以上続き、エミリアーノ・サパタやパンチョ・ビジャなどが活躍したメキシコ革命です。この革命により、メキシコ人の生活よりも外資企業の誘致を優先する政府が倒れ、メキシコ人によるメキシコ人のためのメキシコを目指すさまざまな革命運動が巻き起こりますが、共産革命化を恐れた教会関係者などにより、共産主義を防ぎあくまでもキリスト教的な価値観を体現する場としての協同組合が推進されるようになります。他の流れの運動もありますが、メキシコでは長年この運動が、協同組合の中で支配的な位置を占めることになります。

 これが変わるきっかけになったのが、1959年に達成されたキューバ革命、そして1960年代の反ベトナム戦争やフランスの5月革命、さらにはメキシコシティで発生したトラテロルコの虐殺と呼ばれる弾圧です。1960年代が社会運動の時代であったことは今さら申し上げる必要もないでしょうが、特に同じラテンアメリカで、メキシコ同様に米国の影響を強く受けていたキューバで反米社会主義政権が樹立したことは、当時の若年層に大きな影響を与え、メキシコでもそのような社会運動が盛り上がりを見せます。その他、「解放の神学」と呼ばれるカトリック左派の運動や、中米(エルサルバドルやニカラグア)で成立した左派政権への共感も相まって、1980年代までは熱い時代が続きましたが、社会運動は同時に先住民の村にも入り始め、本当に彼らのためになる運動が始まりました。

メキシコの社会的連帯経済の運動を長年率いてきたルイス・ロペスジェーラ氏

◀メキシコの社会的連帯経済の運動を長年率いてきたルイス・ロペスジェーラ氏

 また、現在のメキシコを理解する上で忘れてはならないのが、1994年に発効した北米自由貿易協定(NAFTA)です。カナダ・米国そしてメキシコの3カ国間で関税が撤廃されたことにより、補助金漬けの米国の農産物、特にトウモロコシがメキシコに大量に輸入されるようになりましたが、これにより小規模トウモロコシ農家の多くが収入減を失い、命を失う覚悟を冒してでも米国に不法入国して働かざるを得なくなりました。奇しくもこの協定が発足した1994年1月1日にメキシコ最南部のチアパス州でサパティスタ民族解放戦線が武装蜂起し、同州の一部を実効支配して、先住民の人たちの生活が守られる形での教育や農業などを推進しています。日本でもチアパス産のフェアトレードコーヒーを見かけることがあるかもしれませんが、これはこのような運動を支援するためのものなのです。

サパティスタ実効支配地域で見かける看板。「ここでは民衆が指揮し、政府はそれに服従するのだ」

◀サパティスタ実効支配地域で見かける看板。「ここでは民衆が指揮し、政府はそれに服従するのだ」

 また、特に農村地帯で多くの男性が移住したことにより残された女性たちが、伝統的に男性が行っていた農業や地域活動などを引き受ける例が出てきました。その中でも非常に活発に動いているのが、グアナフアト州ドローレス・イダルゴ市にある農牧業開発センター(CEDESA)で、2015年で創立50周年を迎えます。

 中南米では、一度倒産した企業の工場などを元従業員が占拠して、協同組合として運営する「回復工場」あるいは「回復企業」と呼ばれる動きが盛んですが、メキシコにも2例ほど有名なものがあります。セメント工場だったクルス・アスールは、1930年代に回復工場として再出発を行い、現在ではメキシコサッカー1部リーグの同名のチームのオーナーとしても知られています。また、清涼飲料水メーカーであるパスクアル・ボーイングも、20年に及ぶ長い闘争の末に回復工場として認められ、その製品はメキシコ各地で飲むことができます。

 今回の調査で、メキシコシティにおける社会的連帯経済の推進に関する論文で修士号を取得したサンドラ・カルデロン女史にお会いすることができ、その論文を拝読することができました。メキシコシティでは1997年以来、左派の民主革命党(PRD)が市長の座を保っていますが(ちなみに全国レベルでは、1929年から2000年までの長期にわたって制度的革命党(PRI)の政権が続き、2000年末から2012年末まで右派の国民行動党(PAN)が政権を担当した後、再度PRIが政権に復帰)、社会的連帯経済に比較的積極的な姿勢を見せていますが、毎年決まった予算があるわけでもなく(予算が潤沢な年もあればゼロの年もある)、また補助金漬けの行政であるため、むしろ補助金目当ての協同組合設立の事例が目立ち、協同組合運動には無関心な傾向にあります。さらに、重い税金や社会保障費の負担に耐えられないことから、法人格を得ないまま運営される協同組合が過半数を占めるようです。また、メキシコシティと言ってもかなり広く(1485平方キロ、東京23区の2倍以上)、特に水郷としても名高いソチミルコ区やトラワック区のような地域では、都市化以前の農村地域社会が残っていることもあり、それを基盤とした協同組合、特にアマランサスと呼ばれる健康によい実をベースにした各種食品を生産する組合が多くあります。

 さらに、毎年この時期(8月初頭)には前述したグアナフアト州ドローレス・イダルゴ市で連帯経済関係の見本市が開催されており、メキシコ各地から生産者が集まっています。食品や民芸品など各種商品の他、伝統芸能や社会的連帯経済関係のトークショーなどが行われ、またこの見本市の参加者同士の取引では地域通貨が使用されています。

▲動画:2014年の見本市の様子を紹介したYoutubeビデオ

 メキシコの連帯経済の特徴としては、地域により活動のレベルにかなりの差があると言えるでしょう。メキシコ北部は、安い人件費を求めて米国企業が工場を移しており、その関連産業で比較的経済的に潤っていることから、あまり社会的連帯経済の取り組みは盛んではありません。それに対し、メキシコ中央部や南部はその恩恵をそれほど受けておらず、むしろNAFTAにより経済が空洞化したり、若年層の雇用が不安定になったりしていることから、それら問題を解決するための代替案として社会的連帯経済が注目される傾向にあります。また、特に先住民が多く住む地域では、先住民独特の生活様式を守る手段としても連帯経済が注目され、民芸品や農産物などがフェアトレードを通じて販売されています。

 メキシコというと日本から非常に遠いイメージがあるかもしれませんが、メキシコ北西端のティフアナはロサンゼルス市からクルマで3時間の距離にあり、東京からの距離という点ではメキシコシティは、ニューヨークとそれほど変わらない距離にあり、実際アエロメヒコ航空が成田に就航しています。特に、北米方面に旅行される方は、メキシコにも立ち寄ってみると新しい発見ができることでしょう。