廣田裕之の社会的連帯経済ウォッチ

第97回

ブエン・ビビールや「国内総幸福」について

 明けましておめでとございます。この連載も5年目に入りましたが、今後も社会的連帯経済に関連する世界各地の動向についてお伝えしたいと思います。今回は新年を迎えるにあたって、社会的連帯経済の実践例を導く理念として2つ紹介したいと思います。

 まずは、ブエン・ビビール(Buen Vivir)です。直訳すると「よい生活を送ること」となるこの単語は、2008年にエクアドル憲法が改正された際に採用されたことで、同国のみならずスペイン語圏諸国を中心として諸外国でも話題になりました。このブエン・ビビールは、エクアドルの先住民の言語ケチュア語のスマック・カウサイ(Sumak Kawsay)をスペイン語に訳したもので、スマックは「地球の理想的および美しい実現」、そしてカウサイは「命」を意味し、これを合わせたブエン・ビビールは、「母なる大地と調和しながら、人間らしい尊厳のある生活を送ること」という意味になります。エクアドル憲法第275条では、「人びと、地域社会、村々そして各民族がまさに権利を享受し、多文化性、多様性の尊重および自然と調和した共生の中で責任を負う」ようにすべく「経済・政治・社会・文化・環境システムが…ブエン・ビビール、すなわちスマック・カウサイの実現を保証」すると規定されています。

 このような考え方が生まれた背景には、エクアドルなど中南米諸国で支配的な西洋的思考を絶対視するのではなく、先住民の知恵も取り入れた社会運営を大切にする社会的潮流が高まったことが挙げられます。中南米ではスペインやポルトガルによる植民地支配が始まって以来、常に西洋的な価値観が支配的である一方、特に先住民の価値観が見下され、伝統的生活様式ではなく西洋的な生活様式、特に現在は新自由主義的な生活様式になじむよう強制されてきました。もちろん欧米文明のほうが優れている点も多いでしょうが、このような欧米中心の文化覇権主義により欧米文明を絶対視するのではなく、先住民の価値観を取り入れた新しい社会や経済を作っていこうというのが、ブエン・ビビールです。エクアドルではこのブエン・ビビールの国家計画が立案されており(2013年~2017年のスペイン語版英語版要約)、その達成手段として連帯経済が位置づけられ、民衆連帯経済監督局が設置されています。

ブエン・ビビール国家計画書(2013~2017年)の表紙

◁ブエン・ビビール国家計画書(2013~2017年)の表紙

 エクアドルの例ではないものの、博士論文のためのフィールドワークの関係で私が訪問したメキシコの地域通貨エル・トゥミンの事例が、この点で参考になると思いますので、私の個人的な感想を含めて、以下ちょっと解説したいと思います。

 このエル・トゥミンは、先住民の文化を尊重するベラクルス大学の教員や学生などが中心となって、同国ベラクルス州でも先住民の多い地域で始まったものです。特にテレビや自動車、インターネットやスマートフォンなどの現代文明が農村部にも浸透しつつある現在、特に先住民系の人たちはアイデンティティの問題を抱えることになりますが、この地域通貨の導入の背景には、先住民の昔ながらの生活を守ろうという意向もあるのです。

 近代文明至上主義の立場からすれば優等生、いや英雄とさえ呼べるのが、先住民初の大統領となったベニート・フアレス(1806~1872、大統領の任期1857~1872)です。彼は12歳までスペイン語が話せませんでしたが、その後教育を受ける機会に恵まれると才能を発揮してゆきました。しかし、民族的にこそ先住民であっても、文化的にはメキシコの支配階層である白人に同化していったフアレスは、ある意味で先住民を裏切った存在であったと言えるでしょう。現代風に言えば、血こそ先住民であっても、都市部に住んで家庭でもスペイン語のみを話し、大学で工学や経済学などを学んで企業や官庁などに就職する人は、本当に先住民なのかという疑問が湧くわけです。

 このようなフアレスの対極にあるのが、メキシコ・米国そしてカナダの3か国間で北米自由貿易協定(NAFTA)が発効した1994年の元日にメキシコ南部のチアパス州で武装蜂起し、現在でも同州の一部を実効支配しているサパティスタ民族解放戦線(EZLN)です。彼らは、NAFTAに代表される新自由主義により大企業主導型の経済構造になることに強く反対し、日本を含む世界各地に向けてフェアトレードのコーヒーを販売し、またサパティスタの支配地域では住民総会を通じてあくまでも地域住民主体の生活様式に基づいた社会づくりを行っているのです。

 また、連帯経済と直接結びついているわけではありませんが、連帯経済関係者が注目しているもう一つのコンセプトとして、ヒマラヤ山脈の中にあるブータンの「国民総幸福量」(GNH)が挙げられます。これは、1972年に当時弱冠17歳であった同国のジグミ・シンゲ・ワンチュク国王(当時、その後息子に譲位するも2016年現在健在)が国際会議の際に提唱したもので、各国の発展の指標として当時使用されていた国民総所得(GNP。ただ、出身国と別の国に住んでいる人も多いことから、その後国内総所得GDPが使われるように)ではなく、あくまでも国民が幸福に暮らせているかどうかを判断基準にしようというものです。この考え方はその後同国の政策立案において活用されており、同国政府には国民総幸福量委員会が存在しています。

ブータン国民総幸福量委員会のサイト

◁ブータン国民総幸福量委員会のサイト

 ここで大切なことは、国の発展の指標として国内総生産ではなく、国民総幸福量を用いることの意味です。国内総生産では、あくまでも経済活動の規模のみが対象となり、その質は問われません。例えば、夏には子どもたちが泳げるほどの清流だった川が汚染され、そのかわりプールで泳がなければならない場合、プールの入場料といった形で経済は成長しますが、生活の質が改善するわけではありません。その一方で、例えばある薬の特許期間が切れてジェネリック医薬品として安く販売できるようになると、生活の質は改善しますが、むしろ消費が減って経済が停滞するわけです。また、インターネットの普及により、昔と比べると郵便物を出したり普通の電話をかけたりする機会が減っていますが(友人同士であれば各種メッセンジャーで無料通話が可能な時代)、経済は停滞する一方、むしろ生活水準は向上していると言えるでしょう。このような事実を踏まえ、経済成長ではなく本当の意味での生活の充足に焦点を当てたのが、国民総幸福量なのです。

 この国民総幸福量は、以下の4つの柱から構成されています。

  1. 平等で持続可能な社会経済開発の推進
  2. 文化的価値の保護および推進
  3. 自然環境の保護
  4. 良好なガバナンスの確立

 当初は国の発展目標として漠然と示されていた国民総幸福量ですが、2000年代になってから指標化されるようになります。前述した国民総幸福量委員会は、既存の組織を再編する形で2008年に設立され、生活水準、教育、医療、文化的多様性および回復力、地域社会の活気、時間の過ごし方、心理的幸福、環境の多様性および良好なガバナンスの9点の観点から、国民に詳細なインタビューを行い、その結果をまとめています。

 ブエン・ビビールの国民総幸福量の両方に共通する点として、経済発展だけが国の目標ではないことが挙げられます。世界の多くの国が国内総生産の最大化に躍起になる一方、無理な経済発展のしわ寄せを環境や社会が被っている現状を考えると、そのような経済一本槍の社会運営がいかに脆いものであるか、おわかりになるかと思います。日本語の経済という単語は、文中子という中国の古典の中に登場する「経世済民」の略語ですが、あくまでも一般民衆の必要を充足するための社会運営が経済であるという認識は、忘れてはならないでしょう(経世済民自体は、階級社会を正当化する儒教の要素があるため、平等や民主的運営が基盤となっている社会的連帯経済とは折り合わない部分もありますが)。

 しかし、同時にブエン・ビビールにしても国民総幸福量にしても、現代社会で圧倒的な価値観の前では、その本領を発揮し難いという現実があります。ブエン・ビビールが提唱される一方、実際には多くの先住民が電化製品やファストフードなどに代表される近代文明の富に憧れ、昔ながらの生活様式を捨てつつあります。ブータンでも伝統的な生活様式を大切にしようという声がある一方、特に首都ティンプーに住む若い世代の間では、国語であるゾンカ語ではなく英語が日常生活の中でも使われており、諸外国のテレビ放送やインターネットなどを通じて大量消費社会的な価値観が浸透しつつあります。芥川龍之介の小説「杜子春」では、物質的富だけでは本当に幸せになれないことに同名の主人公が気づくまでにかなりの時間がかかっていますが、当のエクアドル人やブーダン人がブエン・ビビールや国民総幸福量の重要性に気づくまでには、もうしばらく時間が必要なのかもしれません。

コラムニスト
廣田 裕之
1976年福岡県生まれ。1999年より地域通貨(補完通貨)に関する研究や推進活動に携わっており、その関連から社会的連帯経済についても2003年以降関わり続ける。スペイン・バレンシア大学の社会的経済修士課程および博士課程修了。著書「地域通貨入門-持続可能な社会を目指して」(アルテ、2011(改訂版))、「シルビオ・ゲゼル入門──減価する貨幣とは何か」(アルテ、2009)、「社会的連帯経済入門──みんなが幸せに生活できる経済システムとは」(集広舎、2016)など。
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