著者のホセ・ルイス・コラッジョ

著者のホセ・ルイス・コラッジョ

 南米の社会的連帯経済については何名か有名な研究者がいますが、その中でもアルゼンチンのホセ・ルイス・コラッジョが2011年に出した「社会的連帯経済: 資本の前に労働」という本(スペイン語)はオンラインで刊行されており、また入門書としても適切な内容になっていることから、今回ご紹介したいと思います。なお、コラッジョはアルゼンチン人ですが、この本がエクアドルで刊行されたことから、エクアドルの状況についてもかなり言及されています。

 この本の序文では、長年続いてきた新自由主義により雇用が大量に失われ、賃金や社会的権利が侵食される一方、富が集中し厳しい競争を強いるグローバル市場が台頭している現状の認識から始まります。その後、持続可能性や多様な経済、食料主権や地域など最近登場したさまざまな概念に言及し、ブエン・ビビール(第97回を参照)については労働者である組合員の能力や創造力の発揮に加えてアイデンティティの尊重などを、そして政治的には新自由主義とは異なり命の尊厳を保証する活動を推進するとしています。そして、民衆連帯経済こそ経済制度の中核を構成すべきだと主張しています。

 その後、民間資本主義経済と国家計画経済の2本柱という現在の経済構造への根本的な問いかけが行われます。資本主義についてはそれ自身が阻害的で権力が独占されていることから、国家計画経済については国民の代表が運営しているという建前の一方で、実際には大企業の言いなりになっているから、それぞれ批判が行われる一方、単なる利益追求だけではなく協力も行う社会的経済の意義が強調され、その社会的経済が資本主義経済の市場に食い込むことで社会的経済的な価値観を広めることが大切だと述べています。国家に対しては、自主運営型の社会的経済の実例を市民統治型政治運営という形で採用することを求め、その際に貧困層の救済を含むものの援助依存体質を生み出してはならないとします。社会的連帯経済が欧州では協同組合や共済組合などの形で産業革命以降に始まった一方、中南米では先住民の伝統的な生活様式の尊重が連帯経済として台頭したのです。

 次に、「労働の経済」という観点で議論が展開します。まず、新自由主義により労働者の権利が縮小してきた状況が指摘され、このような中、世界各地で地域自立型の地域開発の事例が数多く出てきて、そして相互に連携してゆくことが提案されています。そのような文脈で提唱されているのが労働の経済、すなわち資本ではなくいのちの再生産や平等・民主的運営をといった論理で動く経済です。ここでは利益最優先で労働者や地球環境などを軽視する資本の経済と、労働者やその再生産、また地球環境などを重視する労働の経済が対比されており、その推進のための政策や税制・金融制度の創設も訴えています。

 持続可能性についてですが、通常の企業では経常収支のバランスのみが検討される傾向にある一方で、行政としては教育や医療、社会正義や文化の尊重、富の再分配などに努め、また社会的連帯経済の建設のために労働者は、ミクロレベル(自分たちの組合内)のみならず組織の枠を超えて協力することが必要だと述べています。コラッジョは政府による富の再分配について貧富の格差対策という意義をかなり強調しており、補助金や研修などにも好意的です。

国連で2015年に採択された持続可能な開発目標

国連で2015年に採択された持続可能な開発目標

 また、社会的連帯経済の樹立には、新自由主義に対峙する政治の確立が欠かせないともコラッジョは述べています。新自由主義は基本的に弱肉強食であり、民主主義の価値観を尊重しないためです。新自由主義を緩和するには富の再分配、社会的連帯経済の構築そして別の経済制度の構築(市場至上主義や労働自然の商品化の制限など)という3つの手法がありますが、現在のところ最も進んでいるのは社会的連帯経済の事例であり、政府からのトップダウン的な社会的連帯経済支援策の充実よりも、社会的連帯経済の推進や発展に取り組むグループの結成や維持のほうが重要であるとしています。このような状況で大切なのは経済活動分野と社会分野、また生産分野と再生産分野を切り離しがちな既存の経済観ではなく、全市民への尊厳ある生活の保障、社会的連帯経済分野の構築、および生活を大事にするものへの中南米経済の構造転換であるとしています。そして、新しい経済への希求は、そのような新しい経済の実現性、精神的のみならず物質的にも豊かになる経済の性格、それに公共部門の民主的運営に向けた政治運動などで推進されるとしています。

 自然と人間との関係ですが、新自由主義的な経済観では自然を人間が制圧するのに対し、南北アメリカの先住民の考え方では私たち人類が自然の一部であり、その尊重と自然と調和した生活が不可欠となっています。そんな中で、現在は価格と品質だけが判断基準になっている消費者に対し、社会や環境面にも配慮するよう消費者に意識付けさせることを提唱しています。

 この本全体を通じて言えることとして、何でも民営化することが絶対善のように思われがちな現在の新自由主義的な傾向を批判し、教育や医療など基本的な生活水準の維持や向上のために国家が果たすべき役割を見直したうえで、国家がそのようなサービスの提供にきちんと取り組むようにすべく市民社会が要求し続けるべきだというコラッジョの経済観が挙げられます。そもそも教育や医療などが公共部門に任された理由は、民間の論理に任せておくとこれらサービスが万人にきちんと提供されず、特に低所得層がその悪影響を受けることから、少なくとも最低限の生活水準を享受できるようにしようというもので、実際世界人権宣言や日本国憲法で社会保障を受ける権利(世界人権宣言第22条・第25条、日本国憲法第25条)や教育を受ける権利(世界人権宣言第26条、日本国憲法第26条)が保障されています。各国政府が本来の義務を果たすことが、社会的連帯経済の発展の前提条件だというわけです。

 その一方で、労働者の生活や再生産、また環境と調和した生産工程といった社会的連帯経済の価値観の推進のためには、かなりの工夫が必要なように思われます。フェアトレードの場合は、その趣旨に理解のある先進国の消費者をある程度見込むことができますが、特に中南米の国内市場を対象とした商品の場合、社会的連帯経済やその意義について全然知らない、あるいは耳にしたことがあっても新自由主義的な考えを持っているため関心がない消費者に対してその意義を伝えてゆくことは、並大抵のことではありません。ある程度裕福な消費者の場合、商品そのものの質(食品であれば新鮮さや有機無農薬である点など)については価値を見出す一方、その商品を生産する労働者については完全に無関心な傾向があるため、商品の品質向上に専念するほうがよいように個人的には思われます。なお、このあたりについては次回(第116回)の記事でより深く検討してゆきたいと思います。

 改めて言うまでもないかもしれませんが、社会的連帯経済は各国経済の一部でしかないため、社会全体の公正を求めるためには社会的連帯経済だけではなく、経済全体の構造を見直す必要があり、またそれを実現するための政治的意思も欠かせません。今の日本ではちょっと難しいかもしれませんが、経済の役割について考えなおすきっかけになれば幸いです。