明けましておめでとうございます。廣田裕之です。

 昨年までは「廣田裕之の社会的連帯経済ウォッチ」という連載を行っていましたが(一覧はこちらで)、社会的連帯経済について一通り紹介し尽くした感があることから、第120回の連載を持って打ち切ることにいたしました。今年からは「パラダイムシフト──社会や経済を考え直す」と題名を改めて、社会的連帯経済のみならず、社会や経済において世界各地で起きている新しい動向を紹介したいと思います。

 さて、私たちは普段から「経済」という単語を何気なく使っていますが、「経済とは何か?」と問われると、意外にも答えられない人が多いのではないかと思います。今回は「経済」という単語の語源について、西洋と東洋の両方の観点から見てみましょう。

 「経済」という単語は英語ではeconomy、フランス語ではéconomie、ドイツ語ではÖkonomie、イタリア語やポルトガル語ではeconomia、スペイン語ではeconomía(アクセント記号がつく)となっていますが、これら単語は全てギリシア語のΟικονομία(Oikonomia)に由来しており、このΟικονομίαという単語自体もOikos(家)とNemu(管理)という2つの単語が合わさったものとなっています。Oikosが使われている別の単語としてはecology(生態系、直訳するなら「家の論理」)が、Nemuが使われている別の単語としてはautonomy(自治権)あたりが有名ですが、このような語義から考えると、広い意味での「家」、すなわち天然資源を含む地球環境の運営管理を行いつつ、私たち人間の需要を満たすためのさまざまな活動を行うことが、経済のもともとの役割だということができるでしょう。

 Οικονομίαという単語を最初に使ったのは古代ギリシアの軍人クセノフォンで、その名も「オイコノミクス」(英語訳がオンライン上で公開)という書籍を残しています。その一方で、アリストテレスは「政治学」(日本語訳はこちらで)においてその用法を発展させ、金儲けと異なる概念として、そしてあくまでも各家庭における需要を満たすための諸活動という意味で、Οικονομίαという単語を使っています。その意味合いの違いについて、ちょっと詳しく見てみましょう。

アリストテレス

◁アリストテレス

 Οικονομίαには、さまざまな活動が含まれます。遊牧民の場合は家畜を殺したりその乳を飲んだりすること、狩猟民の場合は狩りに出かけて獲物を仕留めること、そして農民の場合は農作業を通じて食料を作ることになります。それに対し金儲けとは、市場経済を前提としたうえで、その市場経済における交換手段であるお金の所有量を最大化するための活動、具体的には他の人からできるだけたくさんのお金をもらう方法です。アリストテレスは金儲けの技術として、物売り、高利貸しと賃金労働の3つの主な方法を述べており、自分の提供する商品で独占状態を作り出すことができればいくらでも価格を吊り上げて大儲けすることができることを紹介しています。

 市場経済とは、主に自分自身の需要を満たすためではなく、他人に買ってもらうために商品やサービスを生産し取引する経済のことを指します。たとえば、農家はコメや野菜などを大量に生産していますが、そのうち自家消費に回す部分はほんの一部で、大部分は他人の消費向けに生産されています。建築業者の場合、自分たちが住む家を建てることもあるでしょうが、ほとんどの住宅は他人に住んでもらうために建築しています。このように、ある商品やサービスの生産に特化することにより人類は、自分自身で全てを作り出すときと比べてはるかに効率的に、さまざまな商品やサービスを入手することができるようになりました。

 現在では、取引の大部分が投機目的(例えば原油が必要だから原油を買うのではなく、原油が今後値上がりすると見込まれるため、その値上がり益を狙って原油を買う)になっていますが、これは前述したΟικονομίαとは何の関係もありません。原油を安く買って高く売る人は、この原油にいかなる付加価値も追加しておらず、あくまでも市況の不安定さに付け込んで金銭的利益を得ているだけです。ここで注意したい点として、たとえば産油国で生産された原油を買い付けて消費国に輸送する石油メジャーの場合は、少なくとも原油という私たちの現在の生活に欠かせない資源を、生産地から消費者まで運搬するという価値あるΟικονομίαを行っているとみなされる点です。

 その一方、日本語の「経済」や中国語の經濟(繁体字)/经济(簡体字、発音はどちらもジンジー)、それに韓国語の경제(キョンジェ、經濟)は全て、王通が隋代に発表した中節・礼楽篇で登場する「経世済民」という単語がその語源となっています。つまり、一般市民の需要を満たすべく社会を運営することを指しているわけです。

王通

◁王通

 日本では経済という単語は、明治時代になってから英語のeconomyなどの訳語として頻繁に使われるようになりましたが、このときに経済に加えて理財という単語も訳語として提案されていました。簡単にいうと、理財はアリストテレスがいうところの「金儲け」に相当する一方、経済はアリストテレスがいうところのΟικονομίαに相当するわけですが、最終的にはニュアンス的にも近い経済のほうが訳語として定着したわけです。

 ここで重要なこととしては、ギリシア語であれ中国語であれ、経済という単語の語源が、金儲けではなく人々の需要の充足にあるという点です。話をわかりやすくするために、海の真っただ中にある孤島に1000人が住んでいる状況を想定してみましょう。この島民が1人あたり年間で60キロのお米を消費すると仮定した場合、基本的に毎年60トンのお米を生産できれば、それ以上は必要ありません(実際には腐食による目減りや不作によるコメ不足などへの対策として、もうちょっと多い量が必要になりますが)。また、この孤島が赤道近くの常夏気候にある場合には基本的にそれほど服は必要ありませんが(半袖短パン相当でOK)、四季のある温帯では夏の服装に加えて冬の服装も必要になり、もっと寒い地域では厳寒に備えるための暖房などが必要になります。

 当然のことながら、需要がないのに生産しても、求める人がいないのでΟικονομίαにはなりません。赤道直下の常夏の島でコートを生産しても着る機会がありませんし、どんなに熱効率のよいストーブであっても、そもそも暖房が必要のない気候ですので買い手が現れません。また、イスラム教では豚肉が禁じられていることから、イスラム教国でハムやベーコン、それにとんこつラーメンなどを売っても商売になりません(国によっては、そもそも豚肉の持ち込みが法的に禁じられている)。あくまでも、誰かが必要としている商品やサービスを生産して、それを必要としている人まで届けるようにすることが、Οικονομίαの本義なのです。

 以前の連載「社会的連帯経済ウォッチ」では協同組合についても時折取り上げてきましたが、消費者のニーズを満たすことを目的とした協同組合が発展してきた例を数多く見てきました。たとえば日本各地にある生活協同組合は、食への安全を求める主婦などが作ったものが起源ですし、欧州各国で台頭してきた倫理銀行は、兵器産業や環境負荷の高い工場ではなく社会にも環境にもやさしい事業に自分のお金を融資してほしいという預金者の願望を叶えるために創設されています。消費のニーズがあるということは、そのニーズを満たす生産活動さえ行えば自然に売り上げもついて来るものであり、あくまでも消費者の欲求に応え、本来のΟικονομίαを行うことが、協同組合の成功のカギの一つだと言えます。その意味では、常に変わりゆく需要を見定めたうえで、その需要を満たすような商品やサービスを提供してゆくことが、本来の経済活動だといえます。その一方で、投機や金貸しなどの場合、Οικονομίαに相当しない形でお金を儲けることから、本来の意味での経済活動からは程遠いものだということができます。

 今回は新連載の第1回ということから、経済そのものについて再考察してみましたが、次回からもさまざまな角度から、新しい視点をご紹介したいと思います。今後ともよろしくお願いします。