パラダイムシフト──社会や経済を考え直す

第08回

トリレンマについて考える

 国際金融や世界経済の分野では、トリレンマが話題になることがあります。トリレンマという表現はおそらく多くの人にとって初耳でしょうが、ジレンマと関係があるものの、2つではなく3つの要素の間で板挟みになる事態のことです。つまり、トリレンマという状況の中では、3つの目標全てを達成することはできず、そのうち2つを達成するためには残りの1つを犠牲にしなければならないというわけです。

 国際金融のトリレンマは、自由な資本移動、為替相場の安定(固定相場制)と独立した金融政策(具体的には公定歩合の設定)の3つを同時に達成することはできず、少なくともどれかを犠牲にしないということです。この意味について、ちょっと考えてみましょう。

  • シナリオ1(自由な資本移動と独立した金融政策を取った場合): 諸外国との間で自由な資本移動を完全に保障する一方、また公定歩合の操作を自由に行う権利を留保する場合です。しかし、自由な資本移動が保障されている以上、外資が大量にその国に流出入する事態を避けることはできません。資本が大規模に移動すると、それに応じてその国の通貨も価値が上下するため、為替相場は安定しなくなります。
  • シナリオ2(自由な資本移動と為替相場の安定を取った場合): 具体的には、米ドルやユーロなど世界的に流通する通貨をそのまま自国通貨として採用する場合、あるいはこれら通貨を直接採用はしないものの、これら通貨との交換レートが固定されている自国通貨を使う場合が挙げられます。この場合、為替相場は安定しますが、当然ながら公定歩合を操作することはできません。
  • シナリオ3(独立した金融政策と為替相場の安定を取った場合): 自由な資本移動により、為替相場の安定か独立した金融政策のうちどちらかを犠牲にしなければならない状況に追い込まれることは上述した通りですが、それを避けるため、具体的には金融政策の独立性を保ったまま為替相場の安定も狙う場合、資本移動に規制をかけて、為替相場の変動を避ける必要があります。

△米ドル紙幣。米ドルは米国のみならず、エクアドル、エルサルバドル、ジンバブエ、パナマ、パラオ、東ティモール、マーシャル諸島そしてミクロネシア連邦でも法定通貨として使われている。

 シナリオ1は、日米など大部分の国が現在採用しているもので、これにより自由貿易を推進しつつ、体質的に赤字になりそうな国の場合、少しずつ自国通貨を切り下げることにより自国商品の競争力を高めることができます。シナリオ2は、ユーロ圏諸国に加えて、米ドルやユーロなどを法定通貨として一方的に採用している国(エルサルバドル、エクアドル、アンドラ、東ティモールなど)、あるいはこれら通貨と一定の交換レートの法定通貨を採用している国・地域(香港、マカオ、カンボジア、パナマ、CFAフラン諸国など)が挙げられます。シナリオ3を採用している国は現在ではそう多くはないですが、中国やキューバが代表的な例です。

 シナリオ1の場合、為替相場は不安定になりますが、そのかわりに国際的な経済活動が推進されることになりますので、経済的に安定している国に向いています。シナリオ2は、自国経済が安定しない国、あるいは自国経済の規模が非常に小さい国が挙げられますが、どちらの場合も為替を固定することで物価を安定させることができる一方、自国の状況に見合った金融政策を取ることができないという問題があります。シナリオ3の場合には国外からの投資を受け入れにくくなるという最大の問題があるため、自国内だけで閉じた経済を回すには向いていますが、グローバリゼーションが進み、国際貿易の比重が大きくなる一方の現代、このシナリオを採用する国はほとんどありません。

 シナリオ2は、国際的に流通する通貨の信用をそのまま活用したり、また通貨価値が安定することにより投資を引き込んだりしやすいという利点があるものの、自国独自の金融政策が打ち出せなくなるという不都合があります。この中でもCFAフランは、旧フランス領のアフリカ諸国を中心に14ヶ国で使われており、昔はフランスフランと、そしてユーロ導入後はユーロとの固定為替が続いていますが、これによりCFAフランが実力以上に高く評価されてCFAフラン諸国の競争力が削がれたり、アフリカの実情に見合った金融政策を実現できなくなったり、新興国として本来ならインフレ気味の経済が望まれるのに欧州中銀の政策でデフレを強要されたり、通貨供給量の制限により融資が滞ったり、そして何よりもの問題としてアフリカからフランス本国への資金流出が促進されたりしている点が指摘されており、アフリカの経済学者の中にはCFAフランの廃止を主張する人たちも少なくなりません。

「通貨の奴隷制からアフリカを解放」と題された本(フランス語)の表紙

◁「通貨の奴隷制からアフリカを解放」と題された本(フランス語)の表紙

 この中で最も理想的なものは、シナリオ1を実施しても資本が極端に流出入せず、その結果為替相場も安定するというものです。しかし、これは経済が成熟し、極端な成長もなければ経済危機に陥る心配もない国でしか実現せず、経済が不安定な国、あるいは経済が急成長を遂げている国では、為替の変動を避けることはできません。その場合、シナリオ2を採用すれば為替は安定しますが、特に経済力がなく資金が流出気味の国では国内で通貨流通量が不足し、一気に恐慌になりかねません。そのため途上国が経済危機になるとシナリオ3を採用して資金の国外流出を力づくで阻止することも少なくありませんが、このような事態になると国際的な信用が一気にがた落ちになり、グローバル経済から取り残されかねません。

 実は、このような事態を阻止し、国際経済が順調に回り続けるようにするための仕組みが戦後のヨーロッパには存在しました。1950年から1958年まで存在したヨーロッパ支払同盟がそれですが、第2次世界大戦により経済的にも疲弊した欧州諸国では、同大戦の終了後に国際通貨として導入された米ドルの準備額が少なく、近隣諸国間での貿易にも困る状況があったため、支払いを一定期間引き延ばすことで中期的に輸出入を相殺し、米ドルの準備額が少なくとも貿易ができるようにすべくこの制度が導入されたのです。

 また、このシステムで特筆すべき点は、参加国間において公平かつ互助的な貿易が促進されたことです。これにより黒字国はその黒字をできるだけ早く清算することが推奨される一方で、赤字国は黒字国に輸出がしやすくなり、欧州域内での貿易が増え、結果的に欧州全体の経済復興が促進されたのです。特定の相手との取引関係を促進するという点では補完通貨(地域通貨)に似ていますが、まさに米ドルだけでは実現不可能な経済活動を実現できるようになったのです。

 ギリシャの経済危機においては、ドイツなど債権国の都合だけが配慮される一方でギリシャ経済の持続可能性には無頓着な政策が実施されていますが、EUの本来の目的から考えれば、前述のヨーロッパ支払同盟の精神を思い返して、ギリシャが経済復興できるよう、ドイツなど黒字国は積極的にギリシャ産の商品を買ったり、あるいは自国企業にギリシャへの進出を促進させたりなどの措置を講じて、ギリシャを手助けすべきではないでしょうか。そしてこの精神を何らかの形で世界経済に応用することができれば、より均衡した経済発展が達成できるのではないでしょうか。

 国際金融のトリレンマというと私たちの日常生活には無関係のように思えるかもしれませんが、為替相場の変動は輸出入に影響を与える一方(特に食料の輸入が多い日本の場合には食品価格に反映)、金融政策の自由を失うと完全に国際金融の流れに自国経済を任せることになってしまい、また資本の移動を規制すると半ば鎖国状態になってしまいます。前述したヨーロッパ支払同盟のように、利益を求めて世界を飛び回る国際資本の論理とは異なる通貨システムについて検討してみる価値があるかもしれません。

コラムニスト
廣田 裕之
1976年福岡県生まれ。法政大学連帯社会インスティテュート連携教員。1999年より地域通貨(補完通貨)に関する研究や推進活動に携わっており、その関連から社会的連帯経済についても2003年以降関わり続ける。スペイン・バレンシア大学の社会的経済修士課程および博士課程修了。著書「地域通貨入門-持続可能な社会を目指して」(アルテ、2011(改訂版))、「シルビオ・ゲゼル入門──減価する貨幣とは何か」(アルテ、2009)、「社会的連帯経済入門──みんなが幸せに生活できる経済システムとは」(集広舎、2016)など。
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