転移・変容する中国語

第03回

韩流=韓国サブカルチャーブーム

韩流(Hánliú)=韓国サブカルチャーブーム

 
台北市内コンビニで2014年3月撮影

▲台北市内コンビニで2014年3月撮影。各誌とも韓流ドラマ「来自星星的你」(星から来たあなた)の主演、キム・スヒョン(金秀賢)を特集。ちなみにこのドラマに関してはネットで韓国と同時放送した中国の方が早く、台湾での本放送は5月からとのこと。

予想しなかった日本への伝播

「もう私のことは忘れて、チュンサン」
「そんなことはできない!」

 ある8月の暑い暑い昼下がり、テレビではチェ・ジウが潤んだ瞳でヨン様を見つめていた。そして僕はそれを昼飯を食べながら年甲斐もなく夢中で見ていた。ただし日本国内ではなく、台北の自助餐(セルフバイキング式の食堂)で中国語の字幕を見ながらだったが―。

 2003年8月から9月にかけて、筆者は資料収集のために台湾にいた。なぜこの時期を明確に書くかというと、それはこの時期が日本での韓流の広がりを考える上で、もっというと、なぜ日本社会でこの中国語起源の言葉を使うようになったか重要な時期であるからだ。この時期、筆者も中国語に多少のリテラシーのある者として、「韓流」なる現象が中華圏で広がっていることは知っていた。むろん筆者だけでなく、すでに行き詰まりを見せていたテレビ業界も打開策を図る意味があったのだろう。NHKはこの年4月から上述の「冬のソナタ」をBSで放送し始めていた(ちなみに筆者は放送途中で台湾に行くことになり見逃しを心配していたのだが、結局は台湾のケーブルテレビで繰り返し放送されていたので続きを見ることができたのだ)。
 そんな時期だったのだが、この時点では中華圏に比して日本には韓流ブームは来るまい、NHKの目論見は失敗に終わるだろう―。筆者はそう思い込んでいた。ごくごく一部を除いてアジアからのサブカルチャーは結局一部のカルト的なファン以外には広がらないし、韓国モノにしてもそれまで入ってきていた一部の作品はそういう末路をたどっていたからだ。それが翌年2004年からの冬ソナ地上波放送を機に一気にブームになり、この言葉が一応は日本社会に定着することになろうとは…。この時点では想像もしなかった。

中華圏全体を同時席巻

 この連載は中華圏、さらには東アジア全体まで含めての中国語の言語の流通について扱うことにしており、その中では基本的には台湾からの言語が発信源になるケースを扱うことが多くなると思うのだが、その狙いからすると、この言葉はやや従来パターンから外れるようだ。100%確定的なことは言えないのだが、この言葉に関しては中国や台湾または香港などどこが早いとは今のところ断定できない。おそらくは中華圏全体でほぼ同時期に使用し始めたようだ。
 今、中国・台湾両地域で利用可能なデータベースでそれぞれ検索してみると、一般的に最も言葉の使用が早い雑誌・新聞記事レベルでは、いずれとも2000年頃に初出が出てくる。その一つ、中国大陸で発行されている音楽誌「国際音楽交流」は2000年6月30日付けの記事で、1990年代末からH.O.Tなど韓国の流行歌手、今の日本語の語彙で言うならKPOPの歌手が中国国内で人気を博し始め、2000年にはH.O.Tが北京で開いたコンサートが満員の盛況だったことを伝えている。一方、台湾では、KPOPに絡んで言えばこの中国の「国際音楽交流」の記事よりもやや遅れて2001年9月に発行された「中華民国出版年鑑」で「哈日から韓流へ―台湾における音楽文化の変容」と題する記事が掲載されている。また筆者の個人的経験でも、2000年前後に修士論文の調査のために乗っていた中華航空機で、当時の台湾のアイドル、ターシー・スー(蘇慧倫)と韓国ラッパーのCloneがジョイントしているミュージックビデオを見た記憶がある。してみると、「韓流」という言葉が中華圏で使われ始めた文脈を考えて見る場合に、中華圏ではKPOPの影響のほうが当初は大きかったのではないかという印象を受ける。

日本の韓流タウン、新大久保

◀日本の韓流タウン、新大久保

 もっとも、今の日本語の文脈の中で思い出されるだろう「韓流といえばドラマ」という理解も間違っているわけではない。台湾の「商業時代」誌は2001年6月18日号で「急浮上してきた”韓流”ブーム、引いていくのも速いのか?」と題した記事で、このころケーブルテレビに普及し始めたいわゆる韓流ドラマが台湾においてビジネスチャンスにつながりうるのか否かについて占っている。先に掲載させていただいた「哈日族」でも触れたように、この時期までに台湾社会に普及・定着したケーブルテレビはその急速な拡大のゆえにコンテンツ不足に陥り、当初は日本で放送済みのトレンディドラマなどをいわば埋め草として使っていた。しかしその後日本ドラマは徐々に価格が引き上げられていき、その代わりとなったのが日本よりも廉価であった韓国ドラマだったという背景がある。一方中国大陸においても、2001年11月に文匯報に掲載された「”韓流”、中国市場に流入」と題する記事の中で、KPOPだけでなくドラマの影響を挙げている。中国においても、台湾ほどではないものの、全土的に衛星テレビの拡大やケーブルテレビ普及によりこの時期までにコンテンツが不足し始めており、それを埋めるために韓国製ドラマが使われ始めていたのだ。
 かくして21世紀を迎えたばかりの時点ですでに韓流文化は中華圏を席巻しており、日本がまだ本格的なブームを迎えていなかった2003年に中国で発行された「新華新詞語詞典」にはすでに「韓国の映画・テレビ・ファッションなど流行文化の他国への影響力を指す」という意味で「韓流」の項目が立てられているのである。

国家を超える動きとその反作用も

 ではなぜこの時期、韓流が中華圏で席巻するようになったのだろうか? 台湾・政治大学新聞研究所から公開されている2004年執筆の修士論文「想像の文化的光景:台湾における韓流と哈韓族」(原題=「想像的文化圖景;韓流與哈韓族在台灣」、著者江佩蓉)はこの点興味深い指摘をしている。
 同論文は「”韓流”が来襲した。石油化学材料、鋼鉄、コンピュータ原材料などの分野で廉価な韓国製品が台湾に流入し国内製品に打撃を与えている」(1997/12/12中国時報)のように、「韓流」とはもともと韓国の製品輸出による衝撃のことを指す用法で使われていたことを指摘している。実はこの90年代末からの一時期は世界経済の煽りを受け韓国経済が”IMFショック”と言われる危機に陥った時期であり、手練手管を尽くして経済復興が図られてきたのであるが、「韓流」とは実は製品とともに輸出が図られた”文化商品”によるブームでもあった。実は海外での日本ブームもよくよく見るとこのように企業や経済に規定された動きであったりするわけだが、「韓流」の場合、興味のある向きはご存知のように、IMFショック後の特にキム・デジュン(金大中)政権が力を入れた国策でもあった点は特筆すべき点だろう。
 かくして中華圏からやや遅れて日本にも伝播した韓流ブームだが、それぞれの地域で反作用ともいうべき動きも出てきている。上述の論文によれば、日本で韓流ブームを迎える前の2002年時点において台湾では早くも、韓流の普及により生活を脅かされるとして地元のテレビ関係者や芸能人がデモを展開している。日本でも韓流作品を地上波で多数放送していたフジテレビをターゲットにしたデモが2008年に起きたことは記憶に新しいところだろう。中国大陸では近年ゴールデンタイムでの韓流作品放映が禁じられたはずなのだが、最近「来自星星的你」(星からきたあなた)という韓流作品が人気を博しているという。
 このように枚挙に暇はないが、この韓流という言葉に代表されるような、国家を超える動きが国家へと回帰する動きをも引き起こしていることは確かだろう。日本国内でもこの言葉が民族問題や歴史認識と絡んで議論されることも多いが、そんな中で韓流がまたこれまでのように一部のコアなファンだけを残して衰退していくのだとしたら残念なことである。

コラムニスト
本田親史
1990年東京外語大中国語学科卒後、報道機関、私立大学院などを経て明治大学、神奈川大学等講師(中国語・中国社会論等)