【同志 tóngzhì】男女の同性愛者

”同志”が多いとされる台北市内の公園

▲”同志”が多いとされる台北市内の公園

不思議だった”同志”との出会い

 筆者が台湾に行くようになったのは大学を出てから10年も経った90年代の最も終わりの頃で修士論文の文献集めをするようになってからだ。中国大陸を基準とした中国語教育を受けてきた筆者は台湾の言葉遣いには慣れていなかった。そんな頃、台北市内中心部にある公園近くに来た時、知り合いが次のように言った。
 「あの公園には気をつけろよ、あそこは”同志”が多いからな」
 どういう意味なんだ、”同志”が多いって…。いわゆる中国大陸で使うあの意味ではないだろう…。その頃僕は台北市内にいた日本人の友人宅に世話になっていたのだが、思い余って聞いてみた。するとかの友人はニヤッと笑ってこう言ったのだった。
 「ああ、それはここではいわゆるゲイのことだよ」
 ああ、なるほど…。ようやく疑問は氷解した。ちなみに今日ではこの表現は男性だけに限らず、ゲイならば「男同志」、レズビアンならば「女同志」のように使うようである。しかしそれにしても…。
 
 自分が戸惑ったのも無理はない。「①共通の理想、事業のために共に奮闘する人、特に同じ政党内でのメンバーを指す。②人々がお互いを呼び合う時の呼称」と最新版の現代漢語辞典第6版にも出ているように、また孫文の「革命尚未成功、同志仍須努力(革命いまだ成らず、同志よ、なお努力せよ)」でもお馴染みのように、この言葉は革命のほのかな匂いが残る、社会主義色ゴリゴリの単語として僕の頭には刷り込まれていたからだ。とりあえず誰であれなんでも同志をつけて呼べばそれで大陸ではOK、という言葉ではなかったっけ…。
 
 それからしばらく台湾など大陸以外の言葉に慣れていくに連れ、この混乱した感覚も徐々に収まっていったのだが、にしてもなぜかくも異なった意味になってしまうのか? 長い間疑問だった。
 

重要な香港の存在

 しかし、この連載を執筆するにあたって資料集めを始めた段階で、この意味の変容にはどうやらある場所の存在がカギになっていることがわかってきた。中国と台湾のちょうど中間に位置し、双方を媒介する役割をこれまでにも果たしてきた香港が、この意味の転用の上で重要な役割を果たしているようなのだ。

 中国国内で発表されている論考の中で、この意味の変容について言及している論文の一つである「“同志” 一词的社会语言学研究(”同志”という言葉の社会言語学的研究)」(『言語教育と研究』誌2007年第1期、筆者方传余)は、この意味上の転用が「80年代末の香港で発生し、中国国内では90年代中頃に隣接する広東省を経由して拡散されていった」としている。

 ただその直接のきっかけが何だったのかということについては、残念ながら同論文は触れていない。この点、台湾大学の社会学修士論文「『同志』の誕生」(2012年、筆者李屹)によると、香港の作家、邁可が1970年代に米国の友人に宛てた手紙でこの同性愛者を示す用法を使い、「共産党から借りた」と説明しているというが、これも完全な定説ということでもなさそうだ。したがってこの転用の起源は今ひとつはっきりしないのだが、方传余はその転用の背景としては他の論者も引用しつつ、「”同志”という言葉の持つ、ユートピア的かつ平等な意味合いが、同性愛者の間での相互アイデンティティとして承認され、意味上の転用を生んだのではないか」と推察している。

 これを筆者なりに解釈すると、もともと政治的志向性や理想を同じくしつつも、どうしてもその理念の高さから世間的には少数にならざるを得ず、ゆえにこそ高い結束性を示唆するこの単語の含意が、種類は違えこそすれ、同様に社会的にはマイノリティであるがゆえに強い結びつきを模索せざるを得ない同性愛者のコミュニティにとって受容・転用しやすかったのではないか、と推察できる。
 
 香港が、映画監督のウォン・カーウェイ(王家衛)氏など同性愛志向をカミングアウトもしくは隠さない傾向もある社会であることを考えれば、香港でこの言葉の転用がなされたという仮説は十分に成り立ちそうである。

今日では中国国内でも多数見受けられる男女同性愛者のコミュニティサイト

◀今日では中国国内でも多数見受けられる男女同性愛者のコミュニティサイト

台湾への流入・展開と大陸への還流

 さて筆者が初めてこの単語の別な意味に触れて戸惑った台湾に話を戻すことにしよう。前述の「『同志』の誕生」や、台湾域内の文献を調べてみると、この単語が公的な次元で同性愛者のことを示す単語として初めて使われたのは、1993年とみてよいようだ。この年、国際的にも名高い金馬国際映画祭が、香港の同性愛映画・ドキュメンタリー監督の林奕華を迎えて、「同志セッション」つまり同性愛映画セッションを展開し、それが各メディアに取り上げられたのが最初とされる。
 
 これ以降、この単語は台湾社会で盛んになり始めた同性愛運動の中で定着していったと見ていいだろう。90年代中盤の時期といえば、李登輝氏が初の本省人(戦前から台湾に居住し日本植民地統治を経験した人々とその末裔)総統として台湾を統治していた時期。この時期には、蒋経国前総統時代から衰退し始めていた国家イデオロギーがいよいよ本格的に弱体化し、ジェンダーやエスニシティなど様々な次元での社会運動が顕在化し始めており、それまで社会的に影響力の弱かった男女の同性愛者による「同志運動」も本格化し始めた時期である。この時期までにクイア理論など学術面での理論が多く台湾に入ってきていたことも大きく影響したようだ

 今日では「同志運動」で学術論文を検索した場合に少なくとも数百件以上ヒットすることからも、また自治体公認で「男同志」「女同志」のパレードなどが行われていることから見ても、この分野においては台湾のほうが日本よりも”進んでいる”と言えそうである。
 
 さて面白いのは、この同性愛者を意味する用法が今日では中国大陸にも還流し、定着しつつあるように見受けられることだ。中国大陸で初めてこの言葉がこの用法で使われたのは、筆者がCNKIなどで調べる限りでは、1994年1月に雑誌「南風窓」に掲載された「四十千“同志” 在澳洲」(豪州に存在する4万人の同性愛者)という記事が最初と思われる。さらにそれから時代を下ること7年後の2001年4月には「被称同志 王力宏气得睡不着」(同性愛者に間違われ、王力宏、ショックのあまり夜も眠れず)と題する記事が芸能誌「歌海」に掲載されている。

 この記事は、台湾の歌手で中国でも人気の高い王力宏があるファンから同性愛者に間違われてショックを受けたとの内容だが、こうした記事が掲載されるようになっていることを見ると、この同性愛者を示す意味での用法もこの時期までに中国社会に定着してきたと言えそうだ。2014年現在「同志」でCNKIを検索すると、従来通りの意味での用法で使われている文献が依然多いことは多く、筆者の知りうる限り、大陸発行の辞書でも同性愛者の意味を示す説明はなされていないようではある。しかし、雑誌記事や一部の学術論文などではこの「新しい」用法で使われている事例もかなり見受けられる。中国大陸でも日常会話レベルでは「革命同志」としての使い方が減っており、徐々にこの同性愛者としての用法が浸透してきているだろうとはいえ、まだ公的な次元では従来的な用法が残っているというところだろうか。
 
 今回の「同志」のように主として中国大陸起源の単語でありながら香港や台湾のように南方で別な形で定着する現象を「北語南下」というが、この「同志」が面白いのは「南下」した後再び「北上」し還流していることである。本連載では他にもそうした事例をいくつか取り上げていきたい。