バウルの便り/第10回
インド西ベンガルの村からバウルの便り
バウルの唄
傍に居る人を、
どうして、大声で呼んでいるんだい?
お前が居るところに、その人も居るんだよ。
一体、誰を探し回っているのかね。
手の届くところに居る人を
ダッカへ、デリーへと探しに行く
いったい何の真似だい?
お前のような哀れな人間は
この世にいないさ。
稲光りが眼を眩ませ魅了するように、
時々、この快楽の館に、
閃光を放つ
いつもその傍に居るというのに、
眼に入らないのさ。
部屋の中に、もうひとつの部屋。
そこに誰が住んでいるのか
どうして見つけようとしないのだ。
師、シラジ・シャインは 言う、
愚かなラロンよ、
それはお前のその姿と
同じ姿をしているのだよ‥‥‥‥と。
バウルの便り/第9回
インド西ベンガルの村からバウルの便り
日本では自民党が大敗したということをつい最近耳にしまし
た。こちらは、
32年間続いた共産党政権が崩壊寸前です。「民衆が血みどろ
の戦いをして克ち取ったんだ。」と、私もたびたび当時の話を
聞かされていましたが、イデオロギーがどうであっても、人間
性と組織の体質が腐敗して来てしまっていては、人々が 「も
う、ごめんだ!」と言い出すのは当然でしょう。人間の平等と
平和を謳うどんなに立派な理念があっても個々人の我欲を抑え
ることは出来ず、むしろその理念は逆に我利我欲のために利用
されていきます。
自分のことを少し横において、人のために何かを考えるとい
うことは、人間にとって本当に難しいことのようです。
ほんの少しの、ささやかな思いやりや愛情さえあれば、すべ
てが解決するように思うのですが・・・、それらが入る隙もな
いぐらい人々は自分のことでいっぱいなのでしょうか。
人々は愛情に飢えているように見えます。 みんなが自分を認
めて欲しくて、みんなが「『私』を理解して欲しい」と叫んで
いるように見えます。人のために何かしているように見えても
、それは結局自分を認めて欲しいという欲求の現れであること
が多いように思います。
奪い合いは動物のすることですが、でも、「私が」「私が」
と譲り合うことをいまだに出来ず競争する私たち人間の社会の
ことを考えると「人間は、まだまだ本当の意味で人間に成れて
いない」というインドの聖者たちの言葉がもっともに思えるも
のです。
バウルの便り/第8回
インド西ベンガルの村からバウルの便り
雨が降り出しました。乾燥し強張っていた大地は水を含みしなやかさを取り戻し、土埃を被っていた木々たちは緑の色美しく洗われ、沐浴後のように緊張をほぐし麗しげに見えます。そして枝枝を天に向けてぐうっと背伸びをしています。雨季の始まりです。新しい枝が、新しい葉が、次から次へと生まれ、ぐんぐん育ち鬱蒼と生い茂っていきます。庭を歩けばハイビスカスの花が肩を突き衣服を濡らします。田植えも始まりました。水田は水を湛えています。この時期の夕暮れの雲は、晴れていれば淡いパステルカラーの黄色、水色、ピンク、菫色に層を成し染められていきます。そして,まるで遊び疲れた子供が家に戻るように大地から姿を隠して行く太陽は、華奢な光を留別の挨拶のように投げかけ、池や水田の水面を輝かせます。
過酷だった炎暑が終わり、人々も一息つきます。眠れない夜は去りました。とはいえ、自然は快適さばかりを与えてはくれません。今度はじめじめした不快な蒸し暑さが続きます。
こういう暑い時、こちらではタマリンドの豆ざやを使って酸味のある料理を作ります。食欲が増し、身体にも良いそうです。このタマリンドの木は小さい無数の葉をつけますが、それにまつわるこんなお話を師から聞いたことがあります。
バウルの便り/第7回
インド西ベンガルの村からバウルの便り

6月も末になるというのに本格的な雨がありません。ぐったり長くなって寝ているのは犬や猫だけにとどまらず、人間までもがごろりと横になってしまいそうです。風があれば鳥のさえずりも軽やかに響き、木々は風の呼吸に合わせて踊ります。けれども、一枚の葉っぱも動かない無風状態の高湿度の重苦しい暑さの中では動物や人間までも動きが止まってしまうかのようです。地球温暖化、異常気象。只でも暑いインドのような国で更に暑くなるというのは生活の限界を感じるものです。実際、「こんな暑さは今まで経験したことがない」とか「こんな寒さは初めてだ」とかいうようなことを70歳を過ぎたお年を召した方々が喋っておられるのを最近よく聞きます。新聞もテレビもない生活をしている私にとって、その人たちの「人生初」宣言は、ほとんど「史上初」の、少なくともここ7,80年の新記録であることを証明しているのと同じです。
バウルの便り/第6回
インド西ベンガルの村からバウルの便り
“好い”と“悪い”の真ん中に、
“あるがまま”が極めて秘密裏に存在する
“あるがまま”が極めて秘密裏に存在する
ベンガルの人々が「虎」と呼ぶ今の季節の太陽。その虎が牙をむき出しにする前、わずかな朝の涼しい時間に仕事を済ませようと、村では夜が明ける前から人々が動きだします。今年は雨の日がほとんど無く、例年であれば5月頃からベンガルに流れてくる熱風が、今年はすでに4月の半ばから猛威をふるい炎暑が続いています。バス道路に面した木々たちは、乾いた土埃を被り息苦しそうに雨を待っているように見えます。人々もまた雨を待ちます。夕方になると少しでも風のある場所を見つけてどこからともなく人が集まり、涼みながら空を仰ぎ雲の様子を窺います。雨だけがもたらしてくれることの出来る涼しい風は、人間にも、動物にも、木々にも、ひと時の安らぎを与えてくれるのです。枝にぶら下がる若いマンゴーたちもまた雨を待ちます。果実は雨後、大地から蒸発した水蒸気のために蒸し風呂のようになった暑さの中で熟れていきます。
プロフィール/かずみ まき
1959年大阪に生まれる。1991年、日本でバウルの公演を見て衝撃を受け3ヵ月後に渡印。その後、師のもとで西ベンガルで生活を送り現在に至る。1992年、タゴール大学の祭りで外国人であることを理由に開催者側の委員長から唄をうたう事を拒否されるが、それを契機として新聞紙上で賛否両論が巻き起こる。しかし、もともとカーストや宗教宗派による人間の差別、対立を認めないバウルに外国人だからなれないというのは開催者側の誤りであるという意見が圧倒的大多数を占め、以後多くの人々に支援されベンガルの村々を巡り唄をうたう。現在は演奏活動を控えひっそりとアシュラム暮らしをしている。














