援助とビジネスの境界で「開発」を考える

第06回

『ご近所の底力』を引き出す「ABCD」アプローチ~「第3回カンボジア・ソーシャル・エンタープライズ会議」からの学び(1)

 10月28日にカンボジアの首都プノンペンで「第3回カンボジア・ソーシャル・エンタープライズ会議(The 3rd National Social Enterprise Conference of Cambodia)」が開催され、筆者も個人資格で参加してきました。2011年に開始された本会議は過去2回、プノンペン王立大学とソーシャル・ビジネスに多くの実績を有する Friends-International が共同で開催してきましたが、第3回では、NGO「Investing in Children and their Society (ICS)」と西シドニー大学が共催団体として加わっています。

 今回の会議では、「恵まれない状況におかれた若者やコミュニティーに対して、ソーシャルビジネスがいかに機会を創出できるか」というテーマの下、特に「職業訓練」「ICTビジネス」「農業」「再生可能エネルギー」に焦点が当てられ、社会起業家、研究者・学生、援助機関・NGO関係者、民間企業関係者など200名以上が参加しました。会議の概要はこちらに掲載されています。

 今回から2回にわたり、筆者が本会議で興味深いと感じた点をご紹介したいと思います。

「第3回カンボジア・ソーシャル・エンタープライズ会議」議場風景

▲「第3回カンボジア・ソーシャル・エンタープライズ会議」議場風景

「何が必要か?」vs.「何を既に有しているか?」

 今回の会議で筆者が最も興味を持ったのは、基調講演で取り上げられた「Asset-based Community Development (ABCD)」=「既に有している財産(人・土地・モノ・知識・制度等)に基づくコミュニティー開発」という考え方です。ソーシャルビジネスの会議で、このテーマが基調講演として選ばれた意味は、ソーシャルビジネスを語る上では、その特徴や手法を理解するだけでは充分ではなく、その重要な担い手(事業者)であると共に、受け手(市場)となるコミュニティー自体の対応すべき課題(開発課題)を大きな枠組みで認識し、ソーシャルビジネスを「開発」アプローチの一つとして捉えるという基本的な姿勢をまず参加者で共有したいという主催者側の意図があったのではないかと理解しました。

【参考】経済産業省「ソーシャルビジネス研究会報告書」(2010年)では、「ソーシャルビジネス」のうち、より地域性のあるものを「コミュニティービジネス」と位置づけています。

 「既に有している財産に基づくコミュニティー開発 (ABCD)」と聞いても、すぐには理解し難いように思えますが、講演では「Needs-based Community Development(ニーズ(必要性)に基づくコミュニティー開発)」と対比させて説明がなされました。コミュニティーの開発に限らず、開発全般にも当てはまりますが、筆者の個人的経験に鑑みれば、途上国における開発課題への対応を考慮する上で、途上国の人々も、そして途上国の開発協力に従事する先進国の援助機関スタッフも「何が必要か」「何が足りないのか」に目を向けがちです。先進国の状況と比べれば、途上国では何もかもが不足しており、開発援助の「ニーズ(必要性)」は限りなく大きく、「ニーズ」を的確に把握することが援助機関スタッフの最重要業務のひとつであるとも言えます。そして、国連でも低所得国が貧困状態から逃れるためには「大きな後押し (Big Push)」が必要であり、「先進国は援助額を倍増すべき」との議論につながります。

 しかし、途上国側が開発課題を解決しようとする時に当時者である途上国側自身が既に内側に有している「財産」を最大限に活用する方策を探す試みもないまま、すぐに外側に答えを見つけようとし、援助機関側がそれを開発協力の対象としての「ニーズ」とみなし、「善意」で応えてきた結果、途上国側の援助依存が恒常化してきたという側面も否定できないように感じています。

インドの農村で

 筆者は10年前の英国留学時にインド人のクラスメートから聞いた話を今でもよく思い出します。あるインドの村では、灌漑用のため池が貯水量を一定量以上に保てるように、伝統的に年1回村人総出で浚渫作業を行ってきており、また灌漑水路の整備も定期的に村人が労働力を提供することで行われており、それが村人達の団結力を強める場ともなっていたそうです。しかし、海外援助を受けたローカルNGOが重機を用いて、ため池の浚渫や水路の整備を支援するようになると、支援が遅れる場合でも、村人は浚渫や整備が必要であると理解し、以前のように自分たち自身による作業が可能であるにもかかわらず、もはや自分たちで行動を起こそうとはせず、ただNGOが自分たちの代わりに重機を持ち込んで作業をしてくれることを待つようになったということです。

 もちろん、このNGOが重機を持ち込むことで、作業効率は向上し、村人も一時的に重労働から解放されると言えるでしょう。しかし、長年の村人達の共同作業を通じた絆の強まりという見えない「財産」の重要性や利用可能な村人達の労働力の「価値」に鑑みれば、このNGOの関与が「善意」であったとしても、本当に必要であったのか、本当に望ましかったのかは疑問です。コミュニティー開発を目的として、NGOが関与したことで、かえって「コミュニティーの力」を殺いでいるのではないか? もし、このNGOが「既に有している財産に基づくコミュニティー開発 (ABCD)」という考え方を理解し、外部者特有の純粋な「善意」だけで「作業効率向上」「一時的な重労働から解放」を開発援助の対象としての「ニーズ」とみなすことがなければ、このような関与は起きなかったように思われます。

セネガルの漁村で

 筆者が東アフリカのケニアの山村で青年海外協力隊の理数科教師として活動していた1980年代後半、アフリカ大陸の西端のセネガルの隊員の活動が大きな話題となりました。同隊員は大西洋に面した貧しい漁村の所得向上の取り組みを支援するために派遣されていましたが、漁村の浜辺には牡蠣が多く生息していることに気づきます。当時セネガルの人々は牡蠣を食せず、漁村民も牡蠣は価値のないものであると考え、長い間放置してきました。しかし、同隊員は外国人が多く滞在する首都ダカールの高級ホテルでは需要があるはずだと考え、漁村民に働きかけ、ホテルに一緒に売りこみを行い、市場を作り出し、売買契約を成立させ、結果として、漁村民に大幅な所得向上をもたらしました。

 この事例は、コミュニティー自身は自らが有している「財産」には気づき難いということを示すとともに、「開発」における外部者の望ましい関与の在り方を示しているように感じます。

「開発」としてのコミュニティー能力強化

 これまで長い間、アジア・アフリカの低所得国では、「民間セクターの活動の停滞・高失業率⇒政府の税収不足⇒公共サービスの不備(⇒援助への依存)」というマイナスの連鎖が多くみられました。

 例えば、医療保健分野の行政サービスの状況を見てみると、アジア・アフリカの低所得国では、希薄な人口密度やインフラの未整備に加え、医療人材・診療施設の不足といった理由で、行政による医療サービスが行き届かない遠隔地のコミュニティーを多く抱えています。この問題への対応として、「ニーズに基づくコミュニティー開発」のアプローチをとれば、「医師・看護師を追加配置すべき」「診療所を増やすべき」(そして「自国政府に財政余力がなければ必要な資金を海外援助に要請する」)というのが直接的な答えになりがちです。

 一方、「ABCD」アプローチをとれば、財政的な制約を考慮し、より現実的で次善の、あるいは過渡的な選択肢として、予防面を重視し、コミュニティー内に存在する人材を育成し、栄養改善や疾病予防の啓発活動を担ってもらい、行政医療サービスの不足分を「コミュニティーの力」を高めることで部分的に補うという取り組みが検討対象となるように思われます(最近ではアジア・アフリカの現場でもこのような取り組みが多くみられます)。

 2000年代半ばより、アジア・アフリカの新興国では「民間セクターの活動の活発化・雇用拡大⇒政府の税収増加⇒行政サービスの改善(⇒援助依存の軽減)」というプラスの連鎖が生まれつつあります。今後、民間セクターの健全な育成が図られることで、政府の税収が増加し、現在の「小さすぎる政府」から「小さすぎない政府」へと転換が進み、公共サービスにおける「官」の役割は増大していくことが期待されます。

 しかし、その転換のプロセスにおいて、上述のインドの村の事例で言えば、ローカルNGO経由の海外援助依存が単に自国政府依存に単純に置き換わってしまう可能性も高いと思われます。そのため、「ABCD」アプローチを念頭におき、コミュニティーの「財産」を充分に認識し、既存の「コミュニティーの力」を積極的に保持しつつ、拡大していく「官」の役割と「コミュニティーの力」を相互補完的に認識し、全体としてより充実した、より望ましい公共サービスの実現を達成できるような仕組みを考慮する必要がありそうです。

日本における少子高齢化に伴う行政サービスの低下

 日本では、戦後、高度成長にともない、都市人口が増加し、政府の役割が大きくなり、行政サービスが充実していくにつれて、「コミュニティーの力」が全体として弱体化してきました。しかし、今後は、新興国とは逆に中長期的には公共サービスにおける「官」の役割が縮小せざるを得ない状況になりつつあります。

 世界でも前例のない少子高齢化社会への急速な移行に伴い、生産年齢人口が減少し、高齢者が大幅に増加することで、社会保障費の急増、勤労世代の負担増加、拡大し続ける財政赤字などにより、行政サービスの低下が進行していくと言われています。少子化に伴う小中学校の統廃合が進展し、小中学校を中核としてきた地域コミュニティーが弱体化する──、高齢者の患者数が増加する一方で、医療従事者不足にともなう医療機関の統廃合による医療保健サービスの質・量が低下し、医療機関へのアクセスも悪化する──、水道需要の減少に伴い水道事業の収益性が悪化し、維持管理コストが不足し、水質が悪化する──、公共交通機関では通学者が減少し、移動範囲の狭い高齢者の増加に伴う利用客減少による経営悪化でサービス規模が縮小する──など。

 寺島実郎著『何のために働くのか』には、「これまで日本人は……国内の人口が過去40年間で3000万人増えることを前提としたビジネスモデルでメシを食ってきた。この「右肩上がりのトレンド」が終わり、われわれはいま、「40年をかけて人口が3000万人も減っていく」という未体験のサイクルに入った」と記されています。このような時代に突入していくことで、これまで「小さすぎる政府」を有する途上国において重視されてきた(むしろ重視せざるを得なかった)「コミュニティーの力」をいずれ日本においても再活性化せざるを得ない状況に変わっていくだうろと考えています。

『ご近所の底力』を引きだす「ABCD」アプローチ

 2003年~2010年にNHKで『難問解決! ご近所の底力』という番組が放送されていました。この番組では、ごみ処理、カラスの被害、防犯、落書きといった「ご近所」が抱える様々な問題を取り上げ、類似の問題を抱える他の「ご近所」の取組事例・成功事例を参考にしながら、「ご近所」自身の力で問題の解決策を探るという内容でした。

 「コミュニティーの力」とは『ご近所の底力』と言い換えられると思います。「底力」とは、「潜在的に有しているものの、まだ活用されていない力」でしょう。「ご近所」に対処すべき問題がある時に外部(行政)に頼らず、あるいは頼れない時に、解決のために「ご近所」が自ら内部的に有している力、そして力の源泉である身近な人材や知恵といった「財産」に目を向けることが、今後、中長期的にはますます必要になってくると思われます。既に国内外での先進的な自治体では、緊急救命、コミュニティーの道路の整備などの限られた分野でスマートフォンを活用し、「ご近所」の参加と力を取り込んだ形での新しい行政サービスの在り方が模索され始めています(NHK「クローズアップ現代」)。

 現時点では、『ご近所の底力』は既存の行政サービスに付加価値を与える、あるいは補完的な役割を果たす段階に留まっているとも言えそうですが、今後、少子高齢化の進行に伴い、財政難が更に深刻化していけば、『ご近所の底力』が場合によっては、ソーシャルビジネス/コミュニティービジネスという形に組織化され、行政サービスに部分的段階的に置き換わっていくプロセスが本格的に始まるのかもしれません。

 自分たちのコミュニティーが既に有している「財産」に目を向け、その有効活用を重視する「ABCD」アプローチは、今後前例のない少子高齢化社会に突入していく日本において、「ご近所」の開発課題に対応していく上で、『ご近所の底力』を再認識させ、『ご近所の底力』に大きな役割を与えていくために貴重な示唆を与えていくのではないかと感じているところです。

 

  【参考文献等】

  • 週刊現代2010年12月10日号「あなたが知らないニッポンの真実~人口減少社会」(講談社)
  • 寺島実郎著『何のために働くのか:自分を創る生き方』(2013年、文春新書)
  • NHK番組2013年4月1日放送「クローズアップ現代:ガバメント2.0:市民の英知が社会を変える」
  • NHK番組2013年10月28日放送「クローズアップ現代:ひきこもりを地域の力に~秋田・藤里町の挑戦」
コラムニスト
黒田孝伸
1959年佐賀市生まれ。九州大学法学部卒、英国サセックス大学開発研究所「ガバナンス・開発」修士課程修了。青年海外協力隊を経て、外務省及び国際協力機構(JICA)において、開発援助業務に従事。訪問国数80か国、うち長期滞在は6か国計17年間。現在は福岡でフリーランスの開発援助コンサルタントとして、ソーシャルビジネス、地域通貨、社会的連帯経済などの勉強会に参加しつつ、「開発」につき考察中。
関連記事