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集広舍コラム

燕のたより/第16回

投降しろ・否!— 十数回も出国を阻止されてもなお試みる廖亦武


                  劉燕子(作家、現代中国文学者)

1.廖亦武とその文学

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 廖亦武は、拙訳『中国低層訪談録』(集広舎、二〇〇八年)の著者である。彼は、一九五八年、中国四川省に生まれ、八二年から詩人としてデビューし、数多くの官制の文芸賞を受賞した。八三年から八九年まで多くの在野詩人と知りあい、地下刊行物『中国当代実験詩歌』などを主編したが、八九年六月四日に起きた天安門事件を告発する「大虐殺」という長詩の朗読を録音し、また映画詩「安魂」を制作したため、反革命煽動罪で逮捕され、九四年まで投獄された。出獄後、職を得られず獄中で和尚から教えられた簫を吹いて生計を立てながら最低層の民衆に出会い、それを『中国低層訪談録』などにまとめた。著書には『沈淪的聖殿—中国二〇世紀七〇年代地下詩歌遺照』、『漂泊—辺縁人採訪録』、『証詞(証言)』、『中国低層訪談録』(いずれも発禁)などあり、『中国低層訪談録』は日本語の他に仏語、英語、独語に翻訳された。そして、ヘルマン/ハメット賞と中国独立筆会自由創作賞をそれぞれ二度受賞し、アメリカの『パリ評論(The Paris Review)』誌で二〇〇七年、二〇〇八年に取りあげられるなど、国際的に高く評価されている。『パリ評論』誌で二度も取りあげられた作家は、ヘミングウェイ以来である。
 日本語版『中国低層訪談録』では、三十数名の最低層の民衆へのインタビューが編集されている。そこから読者は様々な低層の現実を知ることができるだけでなく、この現実と格闘し、たくましく生き抜く姿に力づけられる。つまり『中国低層訪談録』には読む者を励ます文学の力がある。この点について、私は次のように述べた。

燕のたより/第15回

ジャーナリストの張高峰:独立した一知識人

1.はじめに・『温故一九四二』について

 2006年に拙訳『温故一九四二』が中国書店から出版されました。そして 「産経新聞」(二〇〇六年四月九日)、「読売新聞」(五月四日、六月四日) などで取りあげられ、また一時はヤフーのアクセスで第二位まで上がり、大き な反響を呼びました。
 この『温故一九四二』は、一九四二年の河南省の大飢饉をモチーフにして、 その犠牲者や被害者の子孫である作家の劉震雲が、中国側の文献資料を調べた だけでなく、生存者や遺族の証言(口述資料)を収集して実態に迫り、さらに、 アメリカの週刊『タイム』の記者のセオドア・ホワイトのドキュメンタリー (『歴史の探求:個人的冒険の回想』堀たお子訳、サイマル出版会、1981 年)も参考にして叙述した実録小説です。しかも、劉震雲は資料を多角的に考 察し、そこから読者は様々な示唆を得ることができます。

燕のたより/第14回

色淡き血痕のなかで:二〇〇九年六月三日~四日、香港において(その四)

「Y八九」世代と「六・四」

1.青年の積極的な参加

 “Y八九”の“Y”はYoungやYouthで、“八九”は天安門事件が起きた一九八九年を指します。今年の天安門事件二十周年追悼祈念集会(ヴィクトリア公園)では、一九八九年生まれの青年である“Y八九”世代の積極的な参加が目立ちました。その理由として、いくつか挙げられています。
 まず、前に述べた(色淡き血痕のなかで・その二)、香港大学学生会会長の陳一諤がリコールで解任された事件や曹蔭権長官が立法会の発言のために顰蹙や怒りを買ったことで、青年の「六・四」天安門事件に対する意識が高まりました。また、「紀念六四的網絡群組」はじめ複数のHPで、追悼祈念会への参加が呼びかけられました。さらに、「支連会」が二〇〇三年に青年部を発足させ、事件当時の記憶を子供たちに語り継ぐことに務めてきました。それとともに、天安門民主運動を支援した経験を持つ中学校教師たちが手作りで歴史教科書を作りました。その中で教師たちは「教師は嘘を教えられない」、「偽の客観を捨てて、自分の思考力を高めよう」と呼びかけています。これらの地道な努力により、多くの青年が二十周年祈念集会に参加したのです。
 追悼式典で、香港大学生(専門学校以上)連合会秘書長の周澄は、次のように訴えました。

燕のたより/第13回

色淡き血痕のなかで:二〇〇九年六月三日~四日、香港において(その三)

 天安門事件関連書籍の出版ブーム

1.はじめに

 民主化を求める学生や市民が戒厳軍により弾圧されてから二十年たちました。天安門事件二十周年となる六月を前にして、香港では関連書籍の出版ブームが起こりました。もちろん、それらすべては中国本土で発売できません。中国政府は、この流血の歴史を隠し続けています。
 香港在住の孟浪さんは、二年前にアメリカから香港に移住し、独立中文筆会のHPの「自由創作」の編集に加えて、晨鐘書局の編集や出版をするようになりました。今年だけで遇羅錦著『一個大童話―我在中国的四十年』、張樹博著『解構與建設―中国民主転型縦横談』、封従徳著『六・四日記―広場上的共和国』、帰化章、浦前共著『100「六四」人物的二十年』の四冊を刊行しました。どれも直接間接に天安門事件に関するものです。そして、他にもたくさん出版されましたので、ここでいくつか紹介します。

燕のたより/第12回

色淡き血痕のなかで:二〇〇九年六月三日~四日、香港において(その二)

 十五万人以上の追悼式典(六月四日、ヴィクトリア公園)
1.「支連会」

 「愛国民主運動を支援する香港市民の会(略称支連会)」は、香港市民が設立した組織です。一九八九年五月二一日、北京に戒厳令が布告された翌日、香港では百万人の市民が抗議デモを行い、「愛国民主運動を支援する全香港市民の会(全支連)」を設立しました。これは「支連会」の前身で、翌年から毎年六月四日の直前の日曜午後にデモ行進をして、四日の夜には追悼集会を開いてきました。
 一九九七年七月一日に香港に関する主権がイギリスから中国に戻された「九七回帰」により、中国共産党を直接批判する活動の存続が危ぶまれました。多くの人たちが中国本土のように「反動組織」、「国家転覆組織」とされて関係者は摘発されるのではと心配されました。しかし、「一国両制」により、デモ行進や追悼集会は取り締まられず、続けることができました。
 それでも二〇〇三年には「香港基本法」第二三条が可決されました。これによると「香港特別行政区は、祖国を裏切り、国家を分裂させ、反乱を煽動し、あるいは国家機密を盗むいかなる行為も禁じられ、外国の政治組織や団体による香港特別行政区における政治活動も禁じられ、香港特別行政区の政治組織や団体が外国の政治組織や政治組織や団体と連携することも禁じられ」ます。これに対して、七月一日に基本法二三条立法化反対デモが五十万人規模で行われました。立法化は阻止できませんでしたが、これは香港社会を震撼させるものでした。
 このようにして、香港人は、その独特の立場により言論の自由、自分の権利は自分しか守れないということを自覚するようになり、「支連会」は中国で唯一合法的に「六・四」を祈念できる市民組織として二十年間、毎年ヴィクトリア公園で「六・四燭光追悼集会」を開催してきました。

Profile

プロフィール/劉燕子 Liu Yanzi

中国湖南省長沙の人。1991年、留学生として来日し、大阪市立大学大学院(教育学専攻)、関西大学大学院(文学専攻)を経て、現在は関西の複数の大学で中国語を教えるかたわら中国語と日本語で執筆活動に取り組む。
日中の文学交流を進める藍・BLUE文学会代表。編著に『天安門事件から「〇八憲章」へ』(藤原書店)、邦訳書に『黄翔の詩と詩想』(思潮社)、『温故一九四二』(中国書店)、『中国低層訪談録:インタビューどん底の世界』(集広舎)、『ケータイ』(桜美林大学北東アジア総合研究所・集広舎)、中国語共訳書に『家永三郎自伝』(香港商務印書館)などあり、中国語著書に『這条河、流過誰的前生与后世?』など多数。

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