右から岳建一氏、譚合成氏、著者

▲右から岳建一氏、譚合成氏、著者

1.

 中国の湖南省といえば、日本人はまず「毛沢東」の名前を思い浮かべるだろう。
 毛沢東をどのように評価するかは、現在でも賛否両論で、「毛粉(毛沢東の熱狂的な崇拝者)」から「抜毛(否定論者)」まで様々な意見が出ている。中国の公式見解は、一九八一年六月の中共十一期六中全会における「建国以来の党の若干の歴史的問題に関する決議(歴史決議)」に記された「指導者(毛沢東)がまちがってひき起こし、それが反革命集団に利用されて、党と国家と各民族人民に大きな災難をもたらした内乱である」というものだが、これで決着をつけて、真相を究明させず、また教育もしない。大規模な虐殺があったことは、意識の高い者に知られている程度で、信頼できる数字を算出することさえできないままである。
 そして日本では、「進歩的」と自認する知識人の中には、毛沢東の高邁な理想や革命的な実践に共感し、また文革の凄惨な実態に関して実感を覚えず、現在においてもノスタルジックに思う者がいる。
 このような状況において、ツェリン・オーセルの『殺劫-チベットの文化大革命』(集広舎)や楊海英の『墓標なき草原』(岩波書店、正続)により、文革がチベットや内モンゴルの少数民族にもたらした激甚なる被害・犠牲が明らかにされてきている。そして、譚合成は『血の神話──1967年、湖南省道県における文革大虐殺の記録』を公刊し、漢民族における文革の激越な暴力を明らかにした。道県と周囲だけで、一九六七年八月から十月のわずか一カ月余りで、約九千人が虐殺されたのである。
 譚氏は、一九八六年、道県零陵地区の「文化大革命殺人未処理問題工作組」の共産党幹部を秘密裏に取材し、未公開の記録や調査報告などを入手し、また隠蔽された虐殺の「掲蓋子(ふたを開ける)」学習班の資料も手に入れた。これに生きのびた被害者の証言、さらに虐殺を実行した加害者の発言も加えて、当時の状況を実証的に多角的に詳述している。
 譚氏の調査研究は、これまで宋永毅編/松田州二訳『毛沢東の文革大虐殺』(平文社、二〇〇六年)に収録・訳出されているが(第五章、執筆者の章成は彼のペンネーム)、それは一部であり、『血の神話──1967年、湖南省道県における文革大虐殺の記録』によって、全体像が分かる。
 しかも、彼はその後も調査を進め、逐次、修正や補充を加えている。まことに真摯に真相の究明に取り組んでいる。

血の神話──1967年、湖南省道県における文革大虐殺の記録

◀血の神話──1967年、湖南省道県における文革大虐殺の記録

2.

 強引で無謀な「大躍進」政策により数千万人の餓死者が出たことを明らかにした楊継縄は、『血の神話──1967年、湖南省道県における文革大虐殺の記録』について、次のように述べる(なお楊氏の研究は、伊藤正、田口佐紀子、多田麻美訳『毛沢東大躍進秘録』文藝春秋、二〇一二年参照)。
 鮮血は神話を創りあげられないが、人々を覚醒させられるだろう。目覚めた人々は改革開放を推し進め、政治的に差別され、愚民とされた人々を解放し、自覚を促し、これにより民が有し、民が享け、民が治める憲政民主の制度が実現されるだろう。ここにこそ、歴史の記憶を喚起する真の価値がある。
 中国では古代から現代まで、政権交代は全て暴を以て暴に代えることであった。共産党は「銃口から政権は生まれる」、「造反には道理がある」、「革命は無罪」といって政権を奪取した。
 その所産が文化大革命であり、これを教訓とすれば、個人の自由や権利を保障し、平等を尊重する憲政民主の法治国家を樹立できるだろう。

3.

 湖南省は、筆者の故郷でもある。故郷におけるこの血なまぐさい凄惨な歴史に驚愕せざるを得ない。
 二〇一四年三月、凛烈な寒風が吹きすさぶ北京で、私は譚合成氏とリベラル知識人・編集者の岳建一氏に会い、六時間も語りあった。
 その時、二十五年もかけて執筆した六〇〇頁を超えるぶ厚い大著『血の神話──1967年、湖南省道県における文革大虐殺の記録』をいただき、戦慄させられた。そのズシリとした手ごたえだけでなく、タイトルの重大さ、さらに、譚氏の説明を受けながらページをめくるごとに目に入る浩瀚かつ詳細な内容など、いずれも桁はずれである。
 帰国後、本格的に読むと、想像を絶する事件が細部に到るまでリアルな筆致で書き綴られ、しかも膨大な人名が、具体的な時間や場所とともに取りあげられ、学問的な検証に耐える内容となっていることを再確認した。
 本書は、二〇一〇年に香港の天行健出版社から刊行されたが、中国本土に持ち込むことはできなかった。このため、譚氏は北京郊外の小さな印刷工場で、“非合法“的に数百冊印刷し、私家版として密かに友人、知人に贈呈してきた。
 これに止まらず、先述したように譚氏は内容を修正・補充し続けており、それをメールで送ってきた。彼は「一つでも虚偽があれば、その責任を負うつもりだ」という。その誠実な態度に心打たれる。

譚合成氏

◀譚合成氏

4.

 文革の大虐殺をテーマとした書籍は、これまで数少ないノンフィクションはあったが、多くは被害側の視点から毛沢東や加害者、及び政治闘争に焦点を当てたものとなっている。
 しかし、本書では加害側の視点による証言も取りあげている。これは極めて稀であり、従って非常に貴重である。
 具体的に言えば、虐殺に加担した理由として、「やれば補助金として一日の手当がもらえるから」、「上から命令されたから」、「周りの群衆が大喝采するするから」、「階級の敵だから」、「(紅聯と革聯の)セクトの内ゲバだったから」、「怨みを晴らすため」、「誰も殺してはいけないと言わなかったから」などである。さらに「親を殺して、その子供を生かしておけば、仕返しされるので、一家みな殺しにした」、「いっそのこと徹底的にやるんだと言われた」というのさえある。いずれも自分を正当化している。
 ナチスのホロコーストでは、アイヒマンはじめ、上からの命令を忠実に実行しただけだという弁明がよく知られているが(アレントは「悪の陳腐さ」と指摘)、それとは比較にならないほどである。
 しかも、方法が残虐極まりない。銃殺、斬殺、爆殺、撲殺、絞殺、生き埋め、焼き殺し、沈め殺し(溺れさせる)、投げ殺し(主に子供に)など十数種類もある。人民解放軍が出動し、虐殺を制止したが、却って虐殺が加速された。
 甚だしくは、出産予定の一週間前の妊娠した女性を殺害しただけでなく、そのズボンを引き下げるとおなかの中で胎児がぴくりと動くので、切り裂いた。胎児が羊水とともに流れるように出てくると、女性は本能的に両手を伸ばして抱こうとしたが、果たせず、血の滴る両手を伸ばしたまま、その場に崩れ落ちた(ここまで読むと、中国人自身の罪悪と無恥を清算していないのに、日本の戦争犯罪をいう資格はあるのかと問わざるを得ない)。
 その上、虐殺の後に、犠牲者の食糧や家畜で「勝利」の祝宴を開き、みなで飲み食いした。

5.

 被害の側に視点を向けると、九千人もの人々が、簡単に虐殺の場に引かれていった。身の危険を感じて逃げだそうとしたり、抵抗したりする者はいなかった。
 これついて、譚氏は、この大虐殺の本当の犯人は誰か、「文化大革命の動乱による」とか、「法律制度がはなはだしく破壊されたから」などの曖昧な言葉で取りつくろうことはできないのではないか、と問いかける。それは私たちも同じである。
 譚氏の大著と言えども、文革の問題の奥深い暗部の一角に光を当てたにすぎないのだろう。なおも、その真相究明に努めなければならない。
 来年、二〇一六年は文革発動五十周年になる。この節目に際し、中国に根深く存在する暴力の宿痾に鋭くメスを入れ、根本的に治さなければならない。個人の自由や権利を尊重する社会を建設するための民主化の「土づくり」を急がねばならない。
 ここで、ロシアの作家で、ソ連の強制収容所、グラーグの生存者のユーリ・ダニエルの風刺小説「こちらはモスクワです」を思い出す。
 ある日、突然、モスクワ放送は、一九六〇年八月十九日を公式の虐殺日と決めたと発表した。広範囲の労働者の必要に応え、十六歳以上のソビエト市民の資格を持つ者はみな、恣意的に他の市民を虐殺する権利を有する。朝の六時から二十四時まで有効である。ソビエトの最高指導者がこの命令に署名した。これにより人間の内奥に秘められた暴力の衝動が触発された。
 これを私は二十代の学生時代に読んだが、同じようなことが、わが故郷で起きたことに愕然とし、深い絶望に陥る。
 とは言え、中国人にとって自らを省みるに必読の書と言える。そして、日本人にとっても中国の理解を深めるうえで重要であろう。