2015年9月13日、三江教会の跡は、この階段の一部の残骸のみ

◀2015年9月13日、三江教会の跡はこの階段の一部の残骸のみ

はじめに

 聖書「ヨハネ福音書」冒頭の「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった」の「言葉」はギリシア語の「ロゴス」である。小論は、この「ロゴス(言葉)」の本源的な意味を踏まえて現代中国のキリスト教における言説(ディスクール)の一側面について検討する。
 キリスト教は思想的精神的にヘブライズムに位置づけられる。またギリシア語はヘレニズムと密接に関連する(日本人でこれを論じた嚆矢は新渡戸稲造の『武士道(Bushido: The Soul of Japan, 1899)』である)。そして、ヘレニズムにおけるギリシア神話やギリシア哲学はヘブライズムのキリスト教とともに欧米の思想、精神、さらには文化の基盤となっている。これを踏まえると、聖書がヘブライ語とギリシア語等で書かれていることは極めて重要である。

同上

◀同上

 このような聖書が中国にもたらされ、それを読み、信じるキリスト者が増加してきている〔林日峰『二一世紀中国教会的崛起、挑戦、装備與契機』財団法人基督教出版部、2014年参照。現在、中国政府の統計では、プロテスタントの人口は約2000万人とされるが、研究者や海外のミッション系団体の統計では6000万人から8000万人である。いずれも「家庭教会」の方が「三自会」よりも多い。「家庭教会」と「三自会」に関しては後述〕。これは西洋と東洋の遭遇であり、交流であるが、これから述べるように問題は多い。しかし、それを切り拓く契機が、中国共産党政府が公認しない「家庭教会〔中国の民間シンクタンク「世界と中国研究所」所長の李凡は「家庭教会」について、house church、undergurand churchであり、family churchでも、home churchでも、家族の教会でも、血縁、地縁の教会でもなく、正真正銘のNGO(非政府組織)であると述べている。李凡「基督教和中国政治発展」(2015年2月4日閲覧)〕」に見出せる。
 即ち、そこから中国共産党一党体制の危機(クライシス=危険だが機会でもある危機)の深まりにおいて、それを梃子にして新たな地平へと進みゆくビジョン(展望)を得ることができると考える。それでは、まずこの危機について述べる。

 

1.危機の深刻化と「潰敗(クェイバイ)」

 中国において危機は、政治腐敗、環境汚染、有害食品、バブル経済、格差拡大、群体事件(群衆の突発的事件)、強権的な取締り、人権蹂躙、イデオロギーのプロパガンダ、言論統制、内心の自由の侵害、モラルの低下(モラル・ハザード)、人心の荒廃、欲望と頽廃など多方面で深刻化している。しかも、それらが絡み合い、複合し、社会全体の奥深いところまで浸食している。

三江教会

◀三江教会

 清華大学の孫立平は、このような状況を「中国社会は大激震だけでなく、それ以上の危険に直面している。つまり、最大の危険は大激震ではなく、潰敗(クェイバイ)である。前者は深刻な社会的衝突により引き起こされる現政権や政治制度の基本的枠組みへの脅威であり、後者は社会を有機的に構成する細胞の壊死である。人間に例えれば、前者は健康な身体への殴打による外傷であるが、後者は生体の細胞組織が蝕まれる内傷である」と指摘し、「中国社会はまさに潰敗に向かって加速して」いることを認識すべきだと論じた〔2011年2月27日、人民網サイトより。孫立平は『重建社会(社会再建)』(中国社会科学文献出版社、2009年)以来、この社会「潰敗」論で注目されている。辻康吾「『潰敗』する中国」(『アジア時報』二〇一三年五月号)も参照〕。この「潰敗」は「崩壊」に似ているが、本質的には異なり、不摂生、過労、ストレスなどによる「内傷」、生体が爛れ崩れる「潰爛」、「壊死」などの意味を内包する。彼はこれを鍵概念として、社会的なアイデンティティや求心力が拡散し、流失し、改革は徹底されず、また革命が勃発することもなく、問題は鬱積し続けて、人心は荒廃し、さらに危機が深まり、国家が内側から潰え、滅んでいくと問題提起したのである。
 そして、日本でもこのような状況が認識され、富坂聰は「大難」と概括している〔富坂聰『中国という大難』新潮文庫、2013年〕。これは、興梠一郎の2005年から2009年の中国社会の分析を踏まえると〔興梠一郎『中国激流-13億のゆくえ』岩波新書、2005年、興梠一郎『中国──巨大国家の底流』文藝春秋、2009年〕、妥当であることが確認できる。つまり「潰敗」が「大難」であることと言える。しかも、それは今も悪化し続けている。
 このような現実認識と問題意識に立脚し、ここでは複合的な危機の中で内心の自由の侵害や人心の荒廃という問題に焦点を絞り、それに対するキリスト者のあり方を、その言説(ディスクール)に注目して論じていく。それは、危機、「潰敗」に対処し、乗り越えていくための展望を切り拓くことにもなる。危機は危険とともに機会にもなる。そして、強権的支配体制に対して柔軟なヒューマニズム(humanism)、及び人道主義(humanitarianism)に基づく「公民〔中国の「公民」日本の「公民」と意味が重なるが、ニュアンスが異なるため、ここでは括弧付きの「公民」を用いる。許志永や王怡によれば、「公民」とは民主主義の最も基本的な主体であり、自由な意志で自発的に道徳的な責任を担う者である。一般に言われる「老百姓」や「人民」との違いは、政治や社会に盲従し、依存しない点にある。「公民社会」は英語ではcivil societyと訳されている〕」社会の形成に、キリスト者がどのような役割を果たすか--果たすべきか、果たし得るか--について考察する。そのため、まず中華人民共和国でキリスト教が統制されてきた歴史について述べる。

 

2.中国におけるキリスト教の統制──「三自愛国教会」と「中国天主教愛国会」

 まず前提的作業として、中華人民共和国以前について述べる。唐元の時代、431年のエフェソス公会議で異端と宣告されたネストリウス(コンスタンティノポリス総主教)はエジプトに追放され、彼を支持するネストリウス派はアジアに宣教を展開し、中国に至り「景教」として信じられた〔桐藤薰『天主教の原像──明末清初期中国天主教史研究』かんよう出版、2014年、pp.12ff〕。
 明清の時代、ヨーロッパは大航海時代で、16世紀、フランシスコ・ザビエル、アレッサンドロ・ヴァリニャーノ、ミケーレ・ルッジェーリ、マテオ・リッチたちがカトリックを布教した。そして、プロテスタントの布教は、1807年に広州に到来したロンドン伝道会の宣教師、ロバート・モリソンが始め、200年余の歴史を形成するに至っている。その中で「反外国主義」が強まりキリスト教排撃運動が幾度か起こり事件(教案)も起きた。1920年代には「三自」(中国人自身が教会を運営する「自治」、教会を支える「自養」、伝道する「自伝」の総称)により「本色化(中国本土の色)」、「土着化」を迫られた〔佐藤公彦『中国の反外国主義とナショナリズム-アヘン戦争から朝鮮戦争まで-』集広舎、2015年、p.328〕。その一方で、布教は続けられ、聖書の中国語訳も改訂されてきている〔沼野治郎『現代中国語訳の聖書──モリソン訳から改訂和合本聖書に至る翻訳史』せせらぎ出版、2014年参照〕。
 このような歴史を踏まえて第二次大戦後について見ると、中国共産党の政権掌握を前にして、1949年1月、上海で開かれたプロテスタント「宗教教育促進会第十四回年会」において、「共産党が押し寄せて来て、政権を樹立すると、教会が迫害される時代となる。その時、福音を社会の最小の細胞としての家で宣べ伝える」という方針に従い、『家-基督化手冊』というパンフレットが六万冊配付され、これによりプロテスタント諸教派の「家庭教会」、「独立教会」の種が蒔かれたと言える〔姚民権、羅偉虹『中国基督教簡史』宗教文化出版社、2006年、pp.250-251〕。
 1949年10月、中国共産党は中華人民共和国の樹立を宣言し、そしてキリスト教は欧米帝国主義の侵略の道具であると非難した。翌1950年5月、周恩来は僅か一カ月足らずで三回も呉耀宗たち19名のプロテスタントの指導者を召喚し、以下の方針を伝えた。

①帝国主義との関係を徹底的に清算し、教会内の帝国主義の影響を正し、その走狗を一掃する。
②宗教行為は宗教施設内に限定され、公の場での伝道行為や未成年に対する宗教教育は禁止する。
③外国のキリスト教組織など指示や経済援助を断ち切り「自治、自養、自伝」の「三自」を原則とする。

 こうして中国共産党政権は「統一戦線」の名の下にプロテスタント系教会を「中国基督教三自愛国運動委員会(三自会)」に組織化し、それ以外の教会は登録されていないとして全て非合法化し、またカトリック教会は「中国天主教愛国会」という「社会団体」とされ、国家の厳しい管理下に置かれた(バチカンとの国交は今でも正常化されていない)。
 このような統制下で、あからさまな弾圧ができず黙認されている教会は「家庭教会」、厳しく迫害されているのは「地下教会」と一般的に呼ばれている。以下、王怡の『与神親嘴』に基づいて述べていく〔王怡『与神親嘴』2008年(所謂「深夜叢書」)pp.205ffなど。王怡は四川省成都市の秋雨之福帰正教会の長老、憲政学者、「〇八憲章」最初の署名者(「〇八憲章」については後述)。また田島英一「中国『家庭教会』の登記問題と自律的社会の復興」厳網林、田島英一編著『アジアの持続可能な発展に向けて-環境・経済・社会の視点から』慶応義塾大学出版会、2013年も参照〕。
 先述した周恩来の示達の後、1950年6月6日、毛沢東は中共中央全体会議で、帝国主義が我が国に設立したミッション・スクールと宗教界の反動勢力はみな我々の敵であり、我々はこれらの敵と戦わなければいけないと指示した。
 そして「中国キリスト教が新中国建設において努力すべき道」という宣言(三自宣言)への賛同署名が求められ、「三自会」設立の1954年までに41万6000人が署名した。当時のキリスト教徒は約84万人であり、半数以上が署名は内心まで支配する思想改造であるとして拒否したことになる。その中で伝道を続ける者から、公的な領域より退き取締りを避けて信教の自由を守ろうとする者まで、約10万人のクリスチャンは「地下教会」や「家庭教会」で礼拝や祈祷を堅持した。
 署名しないという消極的な対応だけではなく、北京史家胡同教会牧師の王明道は、1955年に異議申し立てを表明した。ところが、同年8月、王明道夫妻と18名の信者は「反党反社会主義」の罪で逮捕され、無期懲役の刑を受けた。また、この時期、カトリック教徒も「スパイ」の罪で多数逮捕された〔廖亦武/劉燕子訳「地下カトリック教徒」『中国低層訪談録』集広舎、2008年、参考〕。
 このような迫害は文化大革命で最高潮に達したが、その苦難を経ても、キリスト教は中国社会の中で静かに息づき、そして生きた信仰の伝統を創りあげてきた。
 文革期の大量虐殺事件や武闘の犠牲者は1000万人から2000万人などと言われているが、都市のキリスト教徒では処刑(殺害)に至ることは比較的少なかった(生活の基盤を奪うなどの間接的な殺害は除く)。その理由として、1956年、国務院宗教事務長は、次の三つの理由を述べた。

①クリスチャンには、医師や教師など、専門技術を持つ者がおり、社会主義の建設に役立てられる。
②クリスチャンを利用して西側諸国との関係を保てる。
③殉教者を作れば、さらなる反抗を招く。

 このうちの③に関連して、中国政府は浙江省の温州で「無宗教区」という実験を行ったが、1980年代からキリスト教徒が急激に増え、中国のエルサレムとまで言われる程になった。そのため当局は「直接的な消滅は失敗であった」と認めている〔前掲『与神親嘴』p.203〕。
 それでもキリスト教はじめ宗教の統制は変わりなく続いている。1982年改定の現行憲法では第三六条の1で「中華人民共和国公民は、宗教信仰の自由を有する」と信教の自由を保障しているが、全ての教派は国務院宗教事務局の指導と監督を受けるという条件の下で宗教活動が許されている。そして教会は「三自愛国教会」や「中国天主教愛国会」を通して統制されるだけでなく、聖書の印刷も、伝道も認められない。憲法第三六条の4は「宗教団体及び宗教事務は、外国勢力の支配を受けない」と記されており、これは先述したキリスト教は欧米帝国主義の侵略の道具であるという規定が存続していることを示している。
 しかし、厳しい抑圧の下でもキリスト教を学び、信教の自由を求める者たちが着実に増えている。河南省、安徽省、雲南省などの農村部では「地下教会」で信仰を守り続けているが、ここでは都市の「家庭教会」に焦点を絞り、考察を進めていく。

 

3.信教の自由を求めるキリスト者──都市の「家庭教会」を中心に

 都市部におけるキリスト者の信教の自由を求める動きは、三つの大きなうねりとなって現れた。
 第一は、文革が終息してから、その反動として数年後に勃興した。1980年代初、劉暁楓、何光沪たちキリスト教リベラル学者は、文革により荒廃した精神状況から脱却するために、キリスト教の教典を翻訳し、紹介し始めた。それは中国の伝統文化を反省し、「漢語神学」を構想しようとするものであった。それを代表する劉暁楓の著書『極救与逍遙』や『走向十字架的真』は一世を風靡するかのように読まれた。彼らは「文化基督徒(文化キリスト者)」、「書斎のクリスチャン」、「一人のクリスチャン」などと呼ばれたとは言え、キリスト教の布教の重要な転換点となった。
 第二は、1989年6月4日、天安門事件(血の日曜日事件)の後である。都市部の学生や市民の自由や民主への希望が、銃弾により打ち砕かれたが、武力鎮圧はまた共産党のイデオロギー的正統性の失墜をもたらし、それに反比例してキリスト教に心の拠り所を求める者が知識層を中心に増えた。
 また、弾圧を逃れて欧米諸国に亡命した学生リーダーやリベラル知識人には、キリスト教に入信する者が多く(張伯笠や遠志明たち)、彼らは福音を伝えるDVD「十字架」など数百万枚も作成し、様々なルートで中国に持ち込み、広めた。

三江教会

◀三江教会

 それにより入信した者の一人に王島(王通江)がいる〔2012年9月、米国ミッドランドのキリスト教系人権擁護組織チャイナ・エイド本部におけるインタビューより〕。彼は中南民族学院の学生で、天安門民主化運動では「外高聯」で活動していた。武漢のストライキを支援し、天安門事件の後も地下活動を続ける中で、仏教や道教を学んだが、キリスト教のDVDに惹かれ、香港のラジオ放送で福音を聞き、1991年5月31日、自分の原罪に初めて覚醒した。
 これは回心であり、また劇的なアイデンティティ・クライシス(危機)を撥条にしたアイデンティティ形成であった。そして、彼は伝道に励み、1998年に海南島で教会を建て、2003年、広州で雑居ビルのテナントを借りて良人教会を創設した。ところが、妻や子供への脅迫、学校でのいじめがひどくなった。さらに教会の伝道者が不審な交通事故死に見舞われ、2010年頃からヤクザまで現れた。当局の圧力もあり、賃貸契約が一方的に打ち切られ、2006年から2012年の間、教会は40回以上も移転した。このため王島一家は米国に亡命せざるを得なかった。
 そして第三のうねりは、インターネットの発展に伴い起こった。1994年頃から中国でインターネットが一般的に利用され始めた。1995年、アメリカ在住の基甸(本名は程松)は「基甸連線」という福音のHPを開設し、「ネット福音の仕掛け人」と呼ばれた〔余傑、王怡『我有翅膀如鴿子』基文社、台北、2010年、pp.169ff参照〕。基甸は「中国語インターネットにおけるキリスト教発展史」において、次のように述べる。
 「ネット空間において、“基督教”と“極毒教”(中国語で同じ発音)の論争が起きるなど、多様な価値観が共鳴・呼応・反発している。このような議論により、思想が交流し、理念が伝わる。ポータルサイト、BBS(ネット掲示板)などでユーザー間のコミュニケーションが促進され、それを通して世論が喚起され、大きな影響をもたらしたと実感する。」
 そして、政府系の調査機関の中国インターネット情報センター(CNNIC)は1997年からネットの利用状況を報告し始め、それによれば「中国ネット社会の急激な発展」により、ネットユーザーは1997年10月では62万人であったが、2013年末では6億を超えた。
 このような高度情報化において、1998年1月、「家庭教会」の指導者たちは河南省の地方都市(場所は当局の追及を逃れるために伏せてある)に集まり「中国家庭教会信仰告白」を発表した。さらに、翌1999年、「政府、宗教政策、及び“三自”に対する態度」において、教会は国家に拉致された一機関となることに反対し、信仰の自由を求めるのであり、我々は決して異端でも、邪教でもないと表明した。しかし、起草した張栄亮は、2004年に逮捕され、今でも獄中である。
 この「中国家庭教会信仰告白」や「政府、宗教政策、及び“三自”に対する態度」について、王怡は「画期的」であると評価する。それは初めて公に「三自」と一線を画すことができたからである。
 事実、2000年頃から都市部に「三自愛国教会」や「中国天主教愛国会」から独立した教会が現れ、「城市家庭教会」と呼ばれるようになった(都市は中国語で「城市」)。その後、急速に信徒が増加し、近年では2030年に中国は世界最大のキリスト教国になるという言説まで出ている。
 この動向は海外にも現れ、2008年12月8日、世界各地から中国人や華人の牧師、聖職者、伝道者がサンフランシスコに集い、「一世代の証」というテーマで大会を開催し、「サンフランシスコ・コンセンサス」を提起した〔余傑『誰為神州理旧疆』基文社、台北、2010年、pp.272ff〕。その要点は、以下の通りである。中国の現在の変革は、過去三千年の歴史において未曾有のものである。今や政治、経済、社会、文化にわたり全面的な変化に直面している。しかも、今回の変革は過去の変革と根本的に異なる。それは十字架の変革である。未来の中国は、より自由で、より文明的な「公民」社会を建設するプロセスから生み出されるであろう。そこにおいてキリスト者のコミュニティはますます建設的で実践的な役割を発揮するであろう。キリストの恵みから新たな命を得た多くのクリスチャンたちは、中国で最も必要とされる博愛、誠実、公義、平和、寛容、和解などにおいて、目に見えるかたちで証を示すであろう。
 また、翌2009年、華人クリスチャンは、イエス・キリストにのみ従うとしてナチス独裁に抵抗したドイツ教会闘争の神学的基盤となった「バルメン宣言〔正式名称は「ドイツ福音主義教会の現状に関する神学的宣言」。1933年にナチスが政権を掌握すると、翌1934年にカール・バルトを中心に起草された〕」を踏まえ、「天安門事件20周年の公開書簡」を発表した〔前掲『誰為神州理旧疆』pp275ff〕。以下は要点である。
 「自分のように愛しなさい」〔聖書「マタイ福音書」22章39節など〕と説く神の愛において、我々は天安門事件の大惨事を忘れることはできない。天安門大虐殺はまさに独裁体制の残忍と偽善、及び人心の奥深い罪悪や暗黒を現している。今日になっても、この大惨事の真相は、中国政府により意図的に隠蔽されており、しかも多くの被害者は今もなお迫害され、苦難の中に置かれている。だが、それは煌びやかな経済成長でカモフラージュされている。天安門の悲劇の記憶は統制されされ、忘却させられ、さらには精神までねじ曲げられている。汚職腐敗や貧富の格差により、新たな若い世代は人間として持つべき正直、誠実、博愛、勇敢など喪失させられている。これらの問題は、いずれも天安門事件と密接に関係している。そして我々が、何故、クリスチャンになったか? これも天安門事件に結びつく。もはや沈黙できない。これから、毎年6月4日、中国人の教会では祈祷会を開くことを呼びかける。そして、真相究明とともに、事件に対する麻痺、沈黙、忘却の赦しを祈ろう。迫害されている人々への人道的な支援、犠牲者や被害者への国家の賠償、亡命者の帰国の実現のために祈ろう。

 

4.「家庭教会」の公開化、合法化を求めて

 このようにキリスト者が声をあげる中で、王怡は「六十年間の宗教迫害を終結させるために」として、以下のように「家庭教会」の公開化、合法化を提起した〔王怡『観看中国城市家庭教会』基文社、台北、2012年、pp.123ff〕。

 家庭教会は違法かという疑問に対して、私はそうだと答える。六十年もの間、家庭教会はずっと法律を犯してきた。礼拝、集会、教義、聖礼典、宣教など、非暴力非協力のかたちで、中国の行政管理、及びそれに関する法律に背いてきた。しかし、より重要なのは、中国政府が違法かどうかである。我々は誠実に、勇気をもって答える。そうである。中国は六十年間も自分の憲法を踏みにじり、非合法的で独裁的で野蛮な方法で、主キリストの子と教会を迫害してきた。我々は礼拝と宣教において主キリストの律法も良心の自由も犯してはいない。六十年間ずっと、平和的に忍耐をもって中国社会で憲法を守る代表たらんとしてきた。そして今こそ、家庭教会の公開化、合法化を求める。ただし、これは政治化ではなく、まさに政治的迫害の結果である。

 また、余傑は「家庭教会」や「地下教会」という名前は誤解を与えると指摘する〔余傑『白昼将近』晨鐘書局、香港、2008年、前掲『誰為神州理旧疆』を参照〕。何故なら「家庭」は私事性と密接に関連するが、我々は公共性を有しているからである。「地下」に潜行し不法活動しているのでもない。むしろ、まさに「地上」の「光の子」〔聖書「ヨハネ福音書」12章36節など〕である。「私たちの信仰の自由は、中国の数千万もの家庭教会の兄弟姉妹が傷つけられている信仰の自由としっかりと繋がっている。たとえ一人のクリスチャンでも獄中にいれば、一つでも家庭教会が閉ざされていれば、私たち自由はない。私たちは泣く人と共に泣」く〔前掲『天安門事件から「〇八憲章」へ』p.147。及び聖書「ローマの信徒への手紙」12章15節〕。また「三自教会」は真の教会ではないから、「教」を取り「三自会」とすべきである。それは当局がキリスト教を統制する迫害の装置であり、さらに石油や電気の企業などに匹敵する大規模国有企業にもなっている。信徒の献金の使途などは不明で、複雑なコネクションが絡み合う権益集団と言っても過言ではない。
 これらは次のような意志の現れである。即ち「家庭教会」と呼ばれてきた教会こそ、キリスト教の教会であり、「三自教会」は実質的には教会ではないから、今や「家庭」という形容を取り去り、教会の実体を的確に伝えるようにすべきである。
 このような「家庭教会」の公開化は、以下のプロセスで進展した〔王怡『霊魂深処閙自由』基文社、台北、2012年、pp.274ff。また前掲「中国『家庭教会』の登記問題と自律的社会の復興」も参照〕。
 1998年の「中国家庭教会信仰告白」と1999年の「政府、宗教政策、及び“三自”に対する態度」は公開化の第一歩であり、当局の認可を求める登記も「三自会」への参加も拒否した。そして、2000年以降、都市の「家庭教会」は、次の四段階で公開化を推し進めた。そのキーワードは「家庭」、「登記」、「テナント」、「建堂」である。
 2000年から2004年、「家庭教会」はその活動を社会に公開した。
 2004年12月に「宗教事務条例」が公布され、当局の統制に緩和が見られたので、一部の「家庭教会」に「登記」を行う動きが現れ、2005年から2007年にかけて「家庭教会」が急増した。また「三自会」は「家庭教会」との関係を調整するとして、見方や対応を変え、謂わば共存関係となった。
 2007年から2009年、「家庭教会」はビルや企業用テナントを借りて会堂とした。これにより私的な空間からの公開がさらに進んだ。
 2009年以降、私有財産の所有が緩和されて、テナントなどの「借家」から、会堂を建設し所有するという段階に至った。
 さらに、活動や組織を見ると、多くは長老制を採用し、レイマン(平信徒)主体で運営し、民主的な自治を実践する場となり、「公民」の権利意識も高まった。
 ただし、このような進展にも関わらず、北京のエヴァンジェリカルな守望教会や上海の萬幇教会などは、今もなお会堂を購入しても、そこに入れず、野外礼拝を強いられている。

 それでは、次にキリスト者に視点を当て、余傑や王怡のキリスト教信仰の形成について述べていく。

 

5.余傑のキリスト教信仰の形成

 余傑にとって、謂わば天安門事件は「成人への通過儀礼」であった〔余傑「文章の力が民主化を実現する」『「私には敵はいない」の思想』藤原書店、2011年、及び石平、劉燕子『反旗』育鵬社、2012年、第三章を参照。以下同様〕。
 彼は、1973年に、北京から数千キロ離れた四川省の僻地、炭鉱の町に生まれた。成長し、遠く離れた高校に進学したため、寮に入り、多感な思春期を独り読書にふける日々を過ごしていた。
 高校受験を前にした、ある夜、勉強を終えて部屋に戻り、気づかれないようにふとんを頭からかぶり、懐中電灯でラジオを照らし、海外からの短波放送を聞いていた。すると、戒厳部隊が、天安門広場にいた無防備の学生や市民に発砲し、戦車のキャタピラで轢き殺したというニュースが飛び込んできた。この流血の武力鎮圧に対してすぐさま義憤を覚え、余傑は「内心に独裁への拒絶と抵抗が芽生えた」、「まだ十六歳だった私は、六四(天安門事件)の銃声の響きがまだ残る中で劉暁波の文章を読み、激しく心を揺さぶられた」という。
 さらに、その後の政府の対応を見て、歴史の真相を解き明かすべきだという使命も感じた。毎年、天安門事件の六月四日が巡ってくると、治安当局は緊張し、多数の警官を動員し、圧力を強めるが、このことから、独裁体制への疑問はますます強まり、真相究明の使命感はいよいよ高まった。彼は筆者に次のように語った。

◀他の教会の破壊(ネットより)

◀他の教会の破壊(ネットより)

 1989年6月4日の未明に、ぼくの少年時代は繰り上げられて終わった。一夜でぼくは通過儀礼を経験し、成人になった。あの未明、ぼくは涙でかすんだ目から、善と悪、自由と奴隷、暗黒と光明をはっきりと見ることができた。それ以来、ぼくを欺き、愚弄する者は誰一人いなくなった。ウソと偽りで建てられた共産党政権の宮殿は、紙の家のように崩れた。
 ぼくの人生は一変した。ぼくは母が産んだ子であり、また天安門事件の子でもある。ぼくと天安門事件の間には血まみれの臍帯がある。
 天安門事件がなかったなら、ぼくは悲惨なブタ小屋にいて、やがて屠殺される運命など知らずに飼い馴らされていたも同然だった。

 その後、余傑は北京大学に入学し、鋭い批判で健筆を揮うようになった。また、2003年、妻とキリスト教の教理を学び、箱舟教会の創設に加わった。
 このような余傑について、ギ・ソルマンはペンを「武器」にする「反逆の士」と評する〔ギ・ソルマン/山本知子、加藤かおり訳『幻想の帝国──中国の声なき声』駿河台出版社、2008年、pp.36-40。以下同様〕。余傑は、政治的な闘争ではなく、信仰によって中国を変えようとする。信仰と言えば、確かに中国にも道教や仏教があるが、それは「道具としての宗教」で「超越的というよりは内向き」であり、「釈迦や神々に加護を願うのは、具体的な利益を得るため」である。それ故、中国を変えるためには「本源」に「回帰」する、「以人為本」から根本的に脱却する「以神為本」のキリスト教が必要であり、その中で「中国に一番ふさわしいキリスト教の形態は、福音派のプロテスタント」であると論じる。
 このため長年、余傑は当局の監視、軟禁、拷問を受けていたが、2012年1月、活動の場をアメリカに求め出国し、事実上亡命した。 

 

6.王怡のキリスト教信仰の形成と秋雨之福帰正教会

 王怡は成都大学で憲政を教えつつ、理性と良心に基づき独裁への抵抗を提唱し、人権擁護を論じた。2004年にはリベラルな週刊誌『南方人物週刊』の「中国に影響を与える50人の公共知識人」に選ばれた。ただし、その頃は無神論でも信仰者でもなかった〔前掲『霊魂深処閙自由』pp.233ff。以下同様〕。それにも関わらず、大学当局により授業を停止され、教壇から追われ、文章を発表する自由まで奪われた。政治的な恐怖はなかったが、疲労困憊し、空しさに囚われていた。
 また、天安門事件はリベラル知識人にとって分水嶺となったが、彼もその一人だった。「修身斉家治国平天下〔『礼記』大学より。儒学儒教的な知識人の座右の銘の一つ〕」などでは何も変えられないと分かったという。
 このように考えていた時、二つの訴訟事件の弁護団に加わり、それがキリスト教を信じるに至った直接的な理由となった〔前掲『霊魂深処閙自由』p.237など〕。第一は華南教会訴訟事件である。2001年、当局未公認の「華南教会」の60数名が逮捕され、その中で創始者2名が、「邪教」を利用し違法活動をした罪などで死刑判決を言い渡された(まだ執行はされていない)。第二は、2004年、未公認の教会の牧師である蔡卓華が、聖書などの宗教書を自費出版したとの理由で9月11日に逮捕され、妻の蕭雲飛、義兄の蕭高文、姪の胡錦雲も9月27日、湖南省で逮捕された。そして、公安当局はこれを「建国以来最大の広範囲の宗教浸透事件」と発表した。
 これら二つの事件を通して、王怡はとても深く考えさせられ、信仰へと導かれ、さらに秋雨之福帰正教会〔この教会名は聖書「詩篇」84篇7節「嘆きの谷を通るときも、そこを泉とするでしょう。雨も降り、祝福で覆ってくれるでしょう」より〕を創始した。
 2005年4月、王怡と妻の蒋蓉の二人は家庭で『聖書』を読み、賛美歌を歌い、キリスト教の教理を学び始めた。そして二、三人のクリスチャンが集い始め、まもなく二十人以上になり、12月には「団契」を交わした。2007年、信徒たちが献金を出しあい、中古マンションの一室を借りて「家庭教会」とし、2008年5月25日、「教会の信条と規則」を定め、「秋雨之福帰正教会」の成立を宣言した。そして、信徒は百名を超え、求道者を含めると約千名を数えるまでになっている(知識人や学生が多く、王怡は長老を務める)。
 「教会の信条と規則」では、プロテスタント、福音派、長老教会(Presbyterian Church)であると表明し、いかなる世俗権力による介入や干渉も受け入れず、「三自愛国教会」と一線を画すとともに、「聖俗分立」の立場にも立たず、文化的使命(ミッション)と社会的責任を認識すると表明している。このため秋雨之福帰正教会に対しても嫌がらせや迫害が繰り返されている。

 

7.「〇八憲章」と「家庭教会」

 ここで「〇八憲章」について論じるのは、余傑や王怡はじめキリスト者が大きな役割を果たしたからである。
 「〇八憲章」は、2008年12月9日、インターネットで発表された。劉暁波が中心的起草者で、303名が実名で名を連ね、「我々は勇気をもって実行するという公民の精神に基づいて〇八憲章を発表する」と謳いあげた。この最初の署名者の一割がキリスト者であった(その後も署名者は増え続けた)。
 次に「〇八憲章」の内容について述べる。
 それは、中国の立憲100周年、「世界人権宣言」発表60周年、「民主の壁」誕生30周年、中国政府の「市民的及び政治的権利に関する国際規約」締結10周年に当たる2008年12月10日に発表する予定であった。ところが、8日夜に劉暁波が拘束されたため、急遽9日に発表された。
 「〇八憲章」の基本的理念は、自由、人権、平等、共和、民主、憲政である。これに基づき、「我々は責任を担う建設的な公民の精神に基づいて、国家の政治制度、公民の権利と社会発展の各方面について以下の具体的な主張を提起する」として、憲法改正、分権の抑制均衡、立法による民主、司法の独立、宗教の自由、公民教育、連邦共和など19項目を提起した。
 確かに中国には憲法があり、それに基づく法制度が整備されているように見えるが、現実は法治ではなく、共産党一党独裁体制の「党治」、さらには指導部の「人治」である。だからこそ信教の自由が許されないだけでなく、言論のみを理由に投獄されるのである。劉暁波もその一人であり、彼は、2010年2月に「国家政権転覆煽動罪」により懲役11年の刑を言い渡された。ところが、国際社会は劉暁波を高く評価し、彼は10月にノーベル平和賞を受賞した。
 ここで劉暁波の思想や実践について述べると、彼は欧米の思想や精神と中国のそれを組み合わせ、独自の思想を形成し、それを実践している。これは漢字で現せば「知行合一」であり、聖書では「正しい答えだ。それを実行しなさい」(「ルカ福音書」10章25節~37節)である。
 さらに、劉暁波には、キリスト教的な愛をもって暴力に立ち向かう非暴力の闘争の側面がある。実際、彼は「家庭教会」の意義に注目していた。そして、中国の希望は「民間〔中国の「民間」は、一党独裁体制が社会生活の隅々まで統制管理している社会における「民間」で、日本の「民間」とは意味が異なる。『天安門事件から「〇八憲章」へ』のⅢの表題は「希望は民衆の自治・共生にあり」だが、原義は「未来の自由な中国は民間にあり」である。劉暁波他『「私には敵はいない」の思想』藤原書店、2011年、p.90の「中国の変革を推進する根本的な希望は、政府ではなく、民間にある」も参照〕」にあるとして、「家庭教会」は「民間」の力の自発的な成長の具体例となっていると提起した。彼は次のように述べる〔前掲『天安門事件から「〇八憲章」へ』p.148〕。
 「民間の自由を獲得する事業の中で、民間のキリスト教は、疑いもなく偉大な力である。それは、暴政に対するクリスチャンの抵抗の歴史によって証明されているように、自由を求める行為は、神の愛がカエサルの剣を征服した過程である。殉教のような非暴力の抵抗が依拠したのは、パンでもなければ、剣でもない。聖霊に満たされた人の本性であり、善なる心と敬虔な心である。また苦難を引き受ける勇気でもある。」
 さらに、劉暁波は一審における最終弁論「私の自弁」、「私には敵はいない-私の最後の陳述-」で、明確に「敵はいない」と表明した。これは敵を赦し、愛するという精神に通じる〔前掲『「私には敵はいない」の思想』も参照。「私の自弁」、「私には敵はいない──私の最後の陳述」の日本語訳も所収〕。
 このようにして、キリスト者のコミュニティと自由な精神の公民によるコミュニティを提唱する者たちの間に、公正な社会秩序を理想とすることでコンセンサスが形成された。それは、キング牧師のような、敵を赦し、愛しなさいという教えに立った非暴力で闘うための共闘である。ジョン・グルーチーによれば「キングは全世界的な正義を求める闘いは不可逆的であると確信し(略)非暴力直接行動という社会的抗議こそ、『社会革命の鉄槌』」であると論じた〔ジョン・グルーチー/松谷好明、松谷邦英訳『キリスト教と民主主義』新教出版社、2010年、p.156〕。実際「全世界的な正義を求める闘い」は中国にまで及んだのである。
 「〇八憲章」第二章の結びでは、「公民は、正真正銘の国家の主人になるべきなのだ。“明君”“清官”を頼りにする臣民意識を払いのけて、権利を基本とし、参与を責任とする公民意識を発揮し、自由を実践して、自ら民主を行い、法治を尊重することこそ、中国の根本的な活路なのだ」と提起されている。この中の「自由」の意味は、「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」(「ヨハネ福音書」8章31 ~32節)に通底している。
 共産主義の唯物論が党是・国是とされ、天安門事件でそのイデオロギー的権威が失墜して、唯物論が物質主義、物欲へと変質し、「自由」は自分勝手に好き放題できるという自己中心主義、利己主義と誤解・曲解する者が増える中で、「自由」の本来的な意味は民主や法治という普遍的価値に密接に関連していることが明示されている。社会で生きる人間は、自分の自由とともに他者の自由も尊重しなければならず、そのために民主や法治が必要なのである。そこに自由の本義(聖書では「真理」)がある。

 

8.非暴力の闘いとノーベル平和賞

 劉暁波は投獄されたが、余傑や王怡たちは非暴力で独裁体制と闘い続けた。
 2009年、天安門事件20周年に当たる六月四日を前にして、王怡は一個人として「華人クリスチャン天安門事件二〇周年宣言」に署名した。ところが、当局は秋雨之福帰正教会に圧力を加えるべく、貸し主に対して貸さないようにと通達した。さらに、王怡は常に監視・尾行された。
 六月七日、街道弁事処(都市における政府の末端機関の一つ)の総合管理弁公室は「消防設備が不合格」という理由で礼拝の中断を強行した。
 六月一四日、信徒たちは建物に入るのさえ阻止された。このため礼拝を屋外で行わなければならなかった。
 六月二一日、信徒たちが教会近くの茶館に集まっていると、弁事処副書記の王英才が街道聯防治安隊を率いて、茶館の経営者に圧力をかけ、このため、信徒たちは川辺で礼拝を行った。そして午後、成都市青羊区民政局が「行政処罰通知書」を読みあげ、「国務院の社会団体登録管理法第三五条により、登録されていない団体を取締り、非合法の財産を没収する」と通知した。
 六月二五日、秋雨之福帰正教会は弁護士の李和平に依頼して行政訴訟を起こしたが、七月一日「不受理決定書」が出された。それでも、七月八日、上級機関の四川省民政庁に陳情書を提出したが、結果が出ないままであった。このような状況下で信徒たちは毎週野外で礼拝しつつ献金を出しあい、十月に密かに中古マンションの一区画を購入し、室内を会堂にリフォームし、秋雨之福帰正教会を再建した。
 十二月二四日、クリスマスイブの礼拝のために、市内のホテルで500人規模の会場を借りたが、警官と「二警官(国営工場をリストラされた労働者や出稼ぎの農民工などの臨時雇いの警官)」が200名以上も出動して入場を妨害し、座席を占拠した。このため入場できた信徒や求道者は200名ほどであった。さらに、外では警官と「二警官」が約百人いて、信徒や求道者は約八百人も集まっていた。
 翌二五日、クリスマスの日の朝、劉暁波に一審判決が下された。これは数秒後には世界各地に知れ渡り、様々な抗議がなされた。筆者は成都で余傑や王怡たちとこれについて議論した。そして、秋雨之福帰正教会は、劉暁波のための祈祷会を開き、六十人以上が祈りを捧げた。
 二七日、王怡は礼拝で「週報」を配り、そこで次のように述べた。

 「二五日早朝、ニュースが届きました。我が国は特にクリスマスを選び、既に一年も拘禁していた劉暁波先生に重刑を言い渡しました。劉先生は我が国の良知ある知識人のシンボルで、『〇八憲章』の起草と署名の呼びかけのため、民主的改革のため『国家政権転覆煽動罪』で懲役十一年の刑を言い渡されました。これは一九八九年以降、四度目の入獄です。
 みなさんに隠すつもりはありません。みなさんを伝道する、この私も劉先生の共犯者です。何故なら、この憲政と民主の理念を表明し、政治改革を呼びかける『〇八憲章』に、私も署名したからです。一年前に私は成都大学を辞職しましたが、最後の授業では学生に『〇八憲章』全文を読みあげました。
 クリスチャンは必ず政治に関わらなければならないということではありません。政教分離の原則は守るべきです。それでも、正義のない時代にあっては、迫害された人のために祈らなければなりません。私たちの責務は、不義の時代にあっては、つき従う者、慰める者、代わりに祈る者、とりなす者としてあることです。……主イエス・キリストは避難港です。……中国の教会は、我が国の社会、文化、政治が転換する現在において、その長い道のりのなかで、勇気をもってつき従う者、慰める者、代わりに祈る者、とりなす者として劉暁波の奥様、劉霞さんの夢が実現するように祈りましょう。それは、夫の劉暁波先生が、中国において言論のために罪を負わされる最後の人になるということです。また、中国全土の警察が『平安の夜(クリスマスイブは中国語で「平安夜」)』に総動員されず、自宅で平安に過ごせるように祈りましょう。中国の平安のために祈りましょう。」

 そして、王怡はこれを読みあげた後、「〇八憲章」を出席者に配った。
 翌2010年10月12日、王怡や余傑たち国内外のキリスト者は「悔い改めと和解―現今の中国社会の唯一の出口──劉暁波氏ノーベル平和賞受賞を祝賀するキリスト者の公開書簡」を発表し、「劉暁波氏の受賞は、ただ彼個人のことに止まらず、天安門事件の受難者の受賞でもある。一九八九年の天安門民主化運動を指標として、中国の新たな世代──自由や民主を追求する真に愛国的な良識者こそ、国際社会の公認や支持を得ているのである」と表明し、「劉暁波及び他の宗教的政治的理由で拘禁されている良心犯の釈放、天安門事件の真相究明、社会的な和解、自由で民主的な政府の確立」を呼びかけた。
 三日後の10月15日、王怡は三名の信徒とともに、10月17日に開会するローザンヌ世界伝道会議(第三回)に出席するため、成都空港で搭乗しようとしていた。税関を通過し、全ての手続きを終えたが、突然、如何なる法的な説明もなしに六人の警官に「拉致」された。
 当局により暴力的に引き戻された王怡は、その日のうちに「なぜ私たちは家庭教会なのか」をインターネットで発表した。
 「私は豚かゴミのように税関から階段や廊下を二〇〇メートルも引きずられ、荷物のように持ちあげられ、警察の車に投げこまれた。……私は力を尽くしてケープタウンまで赴き、主キリストとの約束を果たし、中国の家庭教会と世界の教会との約束を果たそうとした。……獄中にいる敬愛する友人の劉暁波と同じく捕らわれることで、まさに一つの体として再会できた〔聖書「ヘブライ人への手紙」13章3節「自分も一緒に捕らわれているつもりで、牢に捕らわれている人たちを思いやり、また、自分も体を持って生きているのですから、虐待されている人たちのことを思いやりなさい」より〕。つまり、私は一人のクリスチャンとして、キリストの肢体において劉暁波と繋がったのである。……三自愛国教会は国家独占の宗教同業組合で、政治勢力に屈服している『単位〔社会主義体制下で、都市に住む者は政治・経済・社会的な機能を有する企業、機関、団体、学校、軍隊などの「単位」に所属しなければならないとされる〕』で、独立して真実を求めるキリスト教会ではない。」
 そして、あくまでも信仰の自由を求め続けると表明した。
 このような信仰に応えて秋雨之福帰正教会では信者が増えている。王怡によれば、信徒は、2009年12月には120人ほどであったが、2010年では260人くらいに増え、前の会堂からより広い会堂へと移転した。
 また、若い信徒がボランティアで海外の短波ラジオ放送を聞けるようにし、ネット警察の封鎖に対して、「反封鎖」ソフトを使って統制を突破して、多くの情報を得て、広く伝えている。さらに、若い信徒はバイクで巡回し、多くの人たちにソフトの使い方を教えたり、またパソコンに付けたりしている。「虐待されればされるほど、彼らは増え広がった」(「出エジプト記」1章12節)を思わされる。

 

9.「ダニエル書」における像をめぐる言説とビジョン

 以上述べてきたように、20年ほど前から「家庭教会」は息を吹き返し、政治、経済、文化などのあらゆる面で現代中国の重要な一角を占めてきていると言える。そして、中国社会は根本的な変化を余儀なくさせられている。
 そもそも中国の伝統文化では個人は中心的な存在として位置づけられず、まして人権や尊厳という概念は希薄であった。中国社会には前近代的な血縁、地縁、氏族的な紐帯が根深く存続し、それが東洋的専制の王朝を支えてきた。それに儒教的な過去を尊ぶ尚古主義、祖先崇拝、長幼の序が正統性を附与している。これに対して、超越的な存在の神の下に全ての人々は平等であるというクリスチャンのコミュニティが広がるならば、自由、人権、民主、法治などを中国社会に根づかせることができる。
 2006年、中国基督教会聯合会編著、中国基督教徒維権律師査定のハンドブック『基督徒維権』では問答形式で、福音に基づく個人の権利擁護行為を法律に即して分かりやすく説明し、インターネット空間で大きな反響を呼び起こした。個人の権利や尊厳を高めることは、法治の原則に基づき「公民」精神を育む社会的文化的価値観の形成に資するものであった。
 李凡は「家庭教会」は中国の「公民」社会の発展を担う存在で、国と社会の架け橋という役割を果たしていると論じ、今後の「公民」社会の建設、及び中国の自由民権運動のためのプロセスにおける「家庭教会」の役割として、以下の三点を提起している〔前掲「基督教和中国政治発展」(2015年2月4日閲覧)〕。

①社会の周縁に置かれた人々に対して関心を向け、公共的な福利厚生、福祉、医療、衛生、教育などのサービスの提供を通して、より包括的で参加型の社会にコミットする。
②社会の変化を求めて活動するための自由な空間を提供する。
③民主的なシステム、個人の人権意識の進展において、公正な法制度を求める声をあげる。道徳的な責任感のある「公民」を生み出す土壌を作る。

 専制的な王朝の支配は暴力的であり、その交代も暴力的である(暴力革命による共産党一党独裁も本質的には同様)。しかし、愛の信仰に力づけられる「家庭教会」は非暴力で体制を改革し得る力量を秘めている。この改革において「家庭教会」がリーダーシップ、イニシャティヴを発揮し、自由、人権、民主、法治などに関する精神的な資源を提供するならば、古代から現代まで、暴を以て暴に代える政権交代の歴史を根本的に乗り越えることができる。これは劉暁波の「非暴力の諸権利の擁護運動は政権奪取の目標を追求するのではなく、尊厳をもって生きられるヒューマニズム社会の建設に努力する。すなわち愚昧にして怯懦な、使役に甘んずる民間の生存方式の改変を通じて、独立した公民社会を拡張する」というビジョンと共鳴・共振する〔劉暁波/矢吹晋訳「社会を変えて、政権を変える」矢吹晋、加藤哲朗、及川純子『劉暁波と中国民主化のゆくえ』花伝社、2011年、p.287〕。
 そして、李凡は、2010年の時点で、中国のキリスト教人口が1億人に達し、「家庭教会」が80万を超え、2020年までに中国のキリスト教徒は2億人規模になると予想されると述べた〔レコード・チャイナ、2010年8月3日11時6分。2015年2月4日閲覧〕。
 勿論、楽観はできない。当局は、2014年1月から12月まで教会を次々に破壊した。為政者は現体制の秩序に脅威があると見なすと、黙認できず、暴力を行使する。チャイナ・エイドによると、2014年には全国で800箇所の教会が破壊され、そのうち温州だけで408教会に達したという。キリスト教徒の多い浙江省温州市では、4月29日、完成目前だった三江教会の約二千人収容の会堂が「違法建築」を理由に当局により強制的に取り壊された。信徒は21日から取り壊しを阻止すべく会堂に泊まり込み、千人規模で抗議したが、排除された。しかし、これに対して、王怡は「目に見える教会は壊されても、見えない教会を建てましょう」〔聖書「サムエル前書」16章7節「わが視るところは人に異なり、人はその貌(かたち)を見、エホバは心を見るなり」、「ヨハネ福音書」20章29節「見ずして信ずる者は幸いなり」、「コリント後書」第4章18節「我らの顧みる所は見ゆるものにあらで見えぬものなればなり。見ゆるものは暫時(しばらく)にして、見えぬものは永遠(とこしえ)に至るなり」など参照〕とネットで表明した。
 その後も締め付けは強められている(2015年現在、1500の教会で破壊か十字架撤去)が、それでも、王怡は「信仰は現代中国にける復興」であるという。このような状況において、「家庭教会」の間で「ダニエル書」第二章の像に関する言説が広がっている。そこでは、頭は純金、胸と両腕は銀、腹と腿は銅、その下は鉄と陶土からできた巨大な像が啓示されている。そして、人の手が全く加えられないのに、一個の石が当たっただけで、この巨像は粉々に砕け、風に吹かれて雲散霧消した。預言者ダニエルは、これについて、純金の国から銀の国、銅の国と代わり、鉄のように物を打ち砕く強い国なるが、その後は鉄に陶土が混在し、お互いに相容れぬようになり、石が当たるだけで粉々に砕けると解き明かす。
 煌びやかに耀き、鉄の如く硬いように見えるが、一個の石が当たっただけで崩壊する巨像は、まさに「潰敗」に蝕まれている現代の中国である。その中で、柔らかい「陶土」は柔軟なヒューマニズムを表象していると捉え返すことができると考える。それは、柔らかくて弱いが、固い鉄に混ざることで、輝く巨像を崩壊させる。「家庭教会」の存在は、そのように考えさせる。このことは「家庭教会」は個人の尊厳を高める価値観や実践を蓄積して健全な市民社会を形成する「土壌」にもなっていると言える。
 このことは、劉暁波の次の展望(ビジョン)に呼応している。
 「自由を許さない権力とその制度の力は、見たところ、いかに強大であっても、実際は、人間性の廃墟の上に建てられている幻の城である。人心にまで直接浸透するクリスチャン的な非暴力の抵抗は、まずモラルにおいて専制体制が頼る性向の基礎を崩す。独裁体制は、人の魂の中で腐乱し、一度時期が熟成すれば、専制の御殿が瞬く間に崩壊するビロード革命が出現するだろう」〔前掲『天安門事件から「〇八憲章」へ』p.150〕。
 この中の「独裁体制は、人の魂の中で腐乱し、一度時期が熟成すれば、専制の御殿が瞬く間に崩壊する」を、「ダニエル書」に即して換言すれば、光り輝き強固な巨像の如き独裁体制は、その中の柔らかな陶土のような信仰により、「一度時期が熟成すれば」瞬く間に崩壊するというビジョンとなる。もちろん、それがいつになるかは分からない。しかし、信仰は祈り、待ち望む力を与え続ける。

付記:
 小論は『関西学院大学言語教育研究センター研究年報』第18号(2015年3月)掲載の「現代中国におけるクライシスの深まりとディスクールの動向-聖書「ダニエル書」と「家庭教会」をめぐり-」を加筆したものです。