書棚に飾られた劉暁波夫妻の写真本・人・旅

 本とパソコン、そしていくつかの原稿の締め切りを抱えながら、日本と中国を行き来している。1冊の本と出会い、その著者や本に関わる人物に会うために旅をし、交わした言葉を思い返しながらまた本を読み、そして書くことが、この数年来の日常になった。
 前回紹介した劉暁波の『未来的自由中国在民間』は、原稿を書き終えて一度は書棚に戻したのだが、ふと思い立って北京行きの旅支度に加えた。本の中表紙に、購入した日付と書店の名前を記すのはいつの頃からかの習慣で、「2006年11月18日、香港・田園書屋」とある。この本が2005年の11月にアメリカで出版されたことは劉暁波本人から聞いたのだが、北京で購入できるはずもなく、ようやく手に入れたのは出版の翌年のことだ。
 そういえば、劉暁波の代表的な言説が日本で本格的に紹介された翻訳書『現代中国知識人批判』の出版を著者自身が知らずにいて、驚いた私が日本から持参して贈ったところ、とても喜んでくれたことが劉暁波との不思議な縁となった。「今度ゆっくり食事をしながら話をしよう」というお誘いを頂いて、その折には『未来的自由中国在民間』にサインをお願いしようと思いながら、果されないまま時間が過ぎている。未だ拘束中の劉暁波に会うことは叶わないが、この数日北京で改めてこの本を読み返しているので、今回は劉暁波についての続編をお届けしたい。

波紋・観察・再会

 「08憲章」の発表と劉暁波の拘束は、天安門事件20周年の2009年を迎える直前の事件だったこともあり、中国の民主化の新たな歩みとして大きな波紋を投げかけ、国際的にも高い関心を呼んでいる。「08憲章」を支持する欧米の政府関係者やダライ・ラマなどの著名人が声明を発表し、劉暁波の釈放を要求する胡錦濤国家主席宛ての公開書簡には、ナディン・ゴーディマやサルマン・ラシュディなど5名のノーベル文学賞受賞者たちをはじめとする世界各国の文人たちが名を連ねている。
 日本ではテレビや新聞での報道のほか、「08憲章」が発表された数日後には日本語訳がインターネットに登場し、「08憲章」に関心を示す個人のブログも多い。社団法人日本ペンクラブの獄中作家・人権委員会は、昨年12月22日に「中国政府に作家劉暁波氏の拘束を直ちに解くよう求める声明」を発表し、「中国政府が最大級の自制をもってこの問題に対処し、劉暁波氏の拘束を速やかに解くことを強く求めるとともに、『憲章08』署名者ならびに賛同者が意見を発表したことのみをもって、いかなる形による脅迫、拘束等の圧力を受けないよう要請する」と訴えている。この問題に関心を抱く人びとは、波紋の大きさに驚きを隠さないまま、事態の推移を見つめているのだ。
 「08憲章」をどのように考えるべきなのか、中国の言論事情について学ぶ者のひとりとして、中国政治やメディアを研究する日本の専門家の様ざまな立場からの意見や批判を読む機会があればと期待しているのだが、私の情報収集が悪いのか、残念ながらまだその機会がない。長いタイムスパンで物事を分析し批判する研究者たちにとって、「08憲章」は「研究対象」にするにはあまりに生々しい現実だということなのだろうか。自戒を込めて、また誤解を恐れずに書けば、中国という研究対象が激しく変化している現実がある以上、観察・研究する側は常に自らの視点や手法が問い直されていると考えるべきではないだろうか。隣国で同時代に生きる者として、私たちは中国の現実をどれだけ知っているのかと、気付かされることばかりのように思う。
 「08憲章」の公表時に署名した303名は影響力のある著名な知識人たちだが、では、具体的にどのような人物たちなのか、それぞれの言説について日本語で書かれたものはあまりに少なく、ほとんど知られていないのが現状だ。インターネットの中国語簡体字版大手検索サイトでは、「〇八憲章」と入力すると「当地の法律法規と政策により、検索結果の一部は表示されません」というメッセージしか表示されないが、海外に拠点を置く中国語の論壇ウェブサイトでは、その後も「08憲章」に署名した当事者たちの新たな文章が次々と発表されている。劉暁波と志を同じくする決意表明がある一方、「08憲章」の精神を支持することに徹し、各項目の主張をさらに掘り下げて専門的に議論すべきだという主張もあり、意見はさまざまだ。署名の理由や発表前後の経緯を詳細に著した徐友漁や崔衛平などの言説はいずれ稿を改めて紹介したいが、その他にも、劉暁波たちの民主化要求の手法はすでに時代遅れだという若い知識人の批判も出ていると伝え聞いているし、そうした意見に対する更なる批判もあるという。
 「08憲章」の発表後、劉暁波の文章を読み返しながら、これまで感じていたある種の違和感のようなものに再び思い当たった。劉暁波の存在を語るときによく使われる「反体制派の知識人」、「民主活動家」という呼称だ。それらはメディアで頻繁に登場し、私自身も使用する言葉で、事実「反体制派の知識人」であり「民主活動家」であるからその用法は間違いではないのだが、それらの言葉が持つイメージが一人歩きをしてしまい、劉暁波の言説から乖離してしまうことの危うさも感じている。中国内外の様ざまな問題に対して時を置かずに痛烈な批判を書き記し、インターネット上で次々と発表していた劉暁波の姿は、まさに言論を以て闘う反骨の知識人であり、1989年の天安門事件当時の劉暁波を想起させることもあるのだが、現在の中国ではさらに過激な言論で知られる若い知識人たちも登場しており、相対的に見れば劉暁波の言説は穏健派とも言われている。
 「反体制」という概念は、「体制内」・「体制外」という対立構造に基づいているので、劉暁波が「反体制」であることは改めて確認するまでもないのだが、劉暁波を取り巻く外的な環境の変化を考えると、そうした分類はこれまでのような意味を持たないのではないかという疑問が生じている。『未来的自由中国在民間』の頁を開くと、自序には次のように記されている。

 「現在、中国は高度に政治化された集団的な社会から、日増しに分化する社会へと既に変化した。多元的な社会構造を既に形成したとは言えないが、しかし少なくとも多元的な道筋を歩んでいる。(中略)体制内ももはや一枚岩ではなく、その利益の主体と価値観念は一貫して急速な分化の過程にある」
 「08憲章」の署名者には、政府系シンクタンクの研究者たちなど、いわゆる「体制内」の知識人たちも名前を連ねている。「体制内」にも民主的な変革を求めて政治改革を主張する人びとは存在しており、「体制外」にも極めて保守的な論客は存在する。現代中国の思想地図を明確に色分けすることが困難になっている昨今、「体制」の内外を区分する線引きにどれほどの意味があるのか、そもそも「体制」をどのように認識すべきなのかということも考えるべき問題なのだろう。
 「未来の自由な中国は民間にあり」という劉暁波の主張は、中国社会の現状を認識する意味から考えれば、声高に理想を叫ぶものではなく、あくまでも現実を肯定する文言だ。今後の展開に強い関心を抱きながら、このフレーズに続く言葉を探そうとすると、読むべきもの、考えるべきことは余りに多い。北京を訪れても劉暁波との再会は叶わないが、彼の著作を通しての再会は果されたと感じている。

写真・煙草・珈琲

 春節から数日後、劉暁波夫人の劉霞を囲んだ食事会に同席する機会があった。劉暁波が拘束されたときの詳細や1月1日に一度だけ面会が許可された際の様子を聞きながら、あてもなく今後のことを語る同席者の重苦しい空気を打ち消そうと、周囲を気遣う劉霞の姿が印象的だった。
 劉霞は、詩を書き、写真を撮り、絵を描く。そして、愛煙家だ。自宅で煙草の煙を燻らせながら見せてくれた作品の中に、『未来的自由中国在民間』の表紙にも使われた、修行僧のように研ぎ澄まされた表情の劉暁波のモノクロ写真があった。カメラ好きの同席者がレンズやフィルムの話をすると、劉霞は光の露出度についてひとしきり語ってから、「これは、前回刑期を終えた頃の写真」と言って眼を伏せた。書棚に飾られている二人の笑顔の写真は随分前のものらしく、家庭人としての劉暁波の素顔がうかがえる。
 「かつて3年間投獄されていたときには、一月に1回の面会が許されて本や煙草の差し入れが出来たのに、今はそれすらも叶わない」と言いながら、劉霞は大量の本を詰め込んだバッグが置いてある窓際に目をやった。大量の文章を読み、書いていた人にとって、その自由が奪われることの苦痛は、想像を絶するものだ。差し入れの荷物には、同じく愛煙家の劉暁波がいつも吸っていた煙草が3カートン、自由に煙草を吸うことすらできない夫へのささやかな心遣いは、届けられることもなく寒々しいガラス窓の傍に置かれたままだ。
 「毎日どんなふうに過ごしていたか、後で読んでもらおうと思って」と笑いながら取り出したノートには、達筆な字で毎日のあれこれが綴られていた。「民主活動家」を支える妻は海外の人権団体から表彰され、外国メディアの記者たちから取材のリクエストも絶えないようだが、周囲の関心の高さには感謝しながらも、劉霞はこれまでと同じように静かに煙草を燻らせながら文字を綴り、劉暁波の帰りを待つことを望んでいる。
 読みたいものを読み、書きたいものを書く。時には、気の置けない友人たちと食事を共にして語り合う。機会があれば旅に出かけ、気に入った小さな雑貨を持ち帰って書斎の片隅に飾っておく。そうした二人のささやかな日常が奪われ、彼女自身の自由すらも制限されている今、劉霞の煙草の吸殻だけが増えていく。
 どうしたら珈琲を美味しく淹れられるかという話題で、少しばかり和やかなひとときが過ぎた後で、劉霞は「遠くからわざわざ会いに来てくれてありがとう」と言った。「大丈夫だから、心配しないで」と見送られながら、ふと、今度は美味しい珈琲豆を持って来ることにしようと思った。
 この原稿を書いているのは、「初一」と呼ばれる春節の一日目から数えて五日目、「初五」は「破五」とも呼ばれる節目の日だ。早朝からすぐ近くで、また遥か遠くで鳴り続ける爆竹と花火の音は、家々の全ての窓から邪悪なものを追い出そうとするもので、私がいる北京郊外の住宅地では、激しい音で窓ガラスが震えるほどだ。鳴り響いて止まない爆竹が、この重苦しさを吹き飛ばしてほしいものだと願いながら、2009年の春節を過ごしている。(文中敬省略)