中国知識人群像

第10回

「自由」を問い続ける人びと(3)

黄色いリボン

 中国の「維権運動(権利擁護運動)」に関する情報発信をしているウェブ サイト「維権網」は、12月21日のトップページで「国家政権転覆扇動 罪」に問われている劉暁波の初公判が2日後の23日午前9時から、北京市 第一中級人民法院で行われると伝えた。「維権網」をはじめ、中国国外に拠 点を置いている各種ウェブサイトは、「08憲章」と劉暁波に関する情報を 逐次発信しているが、中国国内では厳しく管理されているために通常はそれ らにアクセスすることはできない。だが、規制があればその壁を超えるため の手段も開発され、規制されたウェブサイトを様ざまな方法で閲覧している ネットユーザーも多い。

黄色いリボン

 初公判の日程が公表された直後から、インターネット上では劉暁波への支 持を呼び掛ける動きが始まった。瞬く間に広がったのは、Twitter(ツイッ ター)での「黄色いリボン」だ。ブログや各種SNS(ソーシャル・ネット ワーキング・サービス)に続くインターネット上のコミュニケーション・ ツールとして急速に普及しているTwitterは、「鳥のさえずり」という意味 のとおり、個々のユーザーがわずか140文字の「つぶやき」のようなメッ セージを発信するというコミュニケーションだ。同時性の高さと伝播力の強 さは、2009年1月15日にニューヨークのハドソン川に不時着水した U.S. Airways 機の航空事故や、6月12日のイラン大統領選挙の結果に対 する抗議行動などがTwitterによってリアルタイムに伝えられたことで、世 界的に話題になった。

 中国では「推特(tuite)」と呼ばれて利用者が増えており、劉暁波に関す る「つぶやき」も発信されている。初公判の前夜、Twitterのユーザーたち の間では、自分の写真やイラストのアイコンに黄色いリボンを付け、「Let Xiaobo Go Home(暁波を家に帰そう)」という呼びかけに賛同する人たちが 増え始めた。偶然にも、公判当日の12月23日には、中国共産党の機関紙 『人民日報』傘下の「人民網」が、中国版Twitterともいえる「人民微博 (人民マイクロブログ)」を開設した。だが、その後わずか2時間で閉鎖さ れたのは、劉暁波の事件をはじめ共産党への批判などが飛び交ったためだと 外国メディアが伝えている。

 公判当日、アメリカ国務省のクローリー次官補は、劉暁波に「政治的な有 罪判決」が下されることについて中国政府を批判し、ニューヨークに本部を 置く国際人権NGO団体ヒューマン・ライツ・ウォッチも抗議のコメントを発 表した。アメリカやドイツなどの大使館員はもとより、劉霞夫人の傍聴すら 認められず、外国メディアの取材も厳しく管理されたと報じられた。しかし 同時に、その緊張感にもかかわらずインターネットで伝えられたのは、厳重 な警備が敷かれた裁判所の周辺に、黄色いリボンを手にして集まった劉暁波 の支持者たちの姿だった。公判を前に「08憲章」の署名者や支持者の多く が公安当局の監視下にあった中で、裁判所まで出かけられた人は多くはな かっただろうし、中にはその場で連行された人もいたと伝えられた。それで も、黄色いリボンはインターネット空間に増え続け、実際にリボンを手にし て出かけた人たちとともに、劉暁波への支持を表明したのだった。

星火燎原

 2009年のクリスマスの朝、劉暁波に「国家政権転覆扇動罪」による懲 役11年と2年の政治的権利剥奪という判決が下された。9時半に始まった 判決は、法廷で判決文が読みあげられてわずか15分程度で終了し、その1 0分後にはインターネット上に次々と関連情報が掲載され、筆者が判決内容 を知ったのは開始からわずか30分後だった。

「北京市第一中級人民法院刑事判決書(2009)一中刑初字第3901 号」と題した判決文書も、間もなくして全文がインターネットで公開され た。それによれば、劉暁波が罪に問われたのは「08憲章」を中心となって 起草し発表したことのほかに、「我が国の人民民主独裁の国家政権と社会主 義制度に不満を抱き」2005年から「観察」、「BBC中文網」などの国外 のウェブサイトで6編の「扇動的な文章」を発表したことが罪に問われた。 劉暁波は審理において、「自分は無罪であり、憲法が公民に与えた言論の自 由の権利を行使しただけにすぎず、発表した批判的な言論は、他人に対して 実質的な損害を与えてはおらず、国家政権の転覆を扇動したものでもない」 と主張した。弁護士も「劉暁波が発表した文章は、公民の言論の自由に属す ものであり、個人的観点を表現した範疇で、国家政権転覆扇動罪にはあたら ない」と弁護した。

 判決文には、次の記述が見られる。

 インターネットを利用した情報伝達は速く、その範囲は広く、社会的影響は 大きく、大衆の注目度も高いことが特徴であり、文章を書いてインターネッ トで発表するという方法で、我が国の政権と社会主義制度を転覆するよう誹 謗し、他者を扇動する行為はすでに国家政権転覆扇動の罪である。しかも犯 罪の時間は長く、主観的な悪質度は高く、発表した文章は広くリンクが張ら れ、転載、閲覧されて、その影響は劣悪であり、重大な罪を犯した犯罪者 は、法によって厳重に処罰しなければならない。

 判決文が言及したインターネットの特性は事実だが、しかし劉暁波の文章 については「社会的影響力」や「大衆の注目度」が高いとは言えないはず だ。劉暁波の言説は「08憲章」の署名者たちや中国の民主化に強い関心を もつ一部の人びとには強い影響力を有しているが、中国国内ではパソコンに 特殊なシステムを導入しない限り、劉暁波の文章が掲載されているウェブサ イトにアクセスすることすら不可能で、天安門事件の当事者を除けば、現在 の中国社会で劉暁波の名を知る人はわずかだろう。知られていない人物の、 読めないはずの文章が、いったい誰をどのように「扇動」したというのだろ うか。逆説的に言えば、重罪を科すことで劉暁波という人物がより強烈な政 治性を帯びて浮かび上がり、その言説が「国家政権転覆扇動罪」に問われる ことで、劉暁波がそれほどの脅威であるということを当局が認めたというこ とになるだろう。

 判決の後、9カ月ぶりに劉暁波との対面が叶った劉霞は、その後外国メ ディアのインタビューに答え、劉暁波が「中国で言論活動が原因で犯罪者と されるのは、私が最後であってほしい」と語り、控訴する決意を固めたこと を明らかにした。判決当日、国連人権理事会のナバネセム・ピレー高等弁務 官、ドイツのメルケル首相、カナダのキャノン外相、EU議長国のスウェーデ ン、アメリカ政府、台湾行政院大陸委員会が相次いで判決内容に対する遺憾 や抗議のコメントを発表したほか、国境なき記者団、アムネスティ・イン ターナショナル、ヒューマン・ライツ・ウォッチ、国際ペンクラブ、独立中 文筆会などが相次いで声明を発表した。判決後に「08憲章」の署名者たち が発表した文章は、膨大な量に及ぶ。

 中国国内では、新華社が短い英文で伝えたほかはCRI(中国国際放送局)が 報じたが、一般のメディアでは劉暁波の判決に関する情報は空白だった。し かし、インターネット上の「黄色いリボン」はその後も増え続け、「ブログ が中国を変える」をキャッチコピーにした「博客中国」のウェブサイトで は、掲載された判決文に対してネットユーザーが次々とコメントを書きこん だ。劉暁波に対する判決は支持者たちに強い憤りと深い絶望をもたらした が、増え続ける小さな「黄色いリボン」と、つぶやくようなネットユーザー たちの声を追いかけながら思い起こしたのは、「極めて小さな力でも、やが て強大な勢力に発展する可能性をもつ」という意味の「星星之火,可以燎 原」という言葉だ。12月27日時点での「08憲章」署名者数は1079 7名、28日時点での「我々は劉暁波とともに責任を引き受けることを望 む」の署名者は732名だという。それは、中国の全体から見れば小さな星 の光のような存在かもしれないが、夜空の闇が暗いほど星の光が映えるよう に、小さくても強い存在感を放っているといえよう。

知識人たちの「つぶやき」

 劉暁波に対する判決から二日後、「08憲章」の第一次署名者である崔衛 平・北京電影学院教授が、この件に対する友人知人のコメントをTwitterで 紹介し始めた。「最も敏感な三文字の人名」は、「彼」に置き換えられてい る。「08憲章」の署名者に限らない著名な研究者、作家、映画監督、編集 者などに電話やメールでコメントを求めたのは「彼らの見解を知りたかった だけ」で、許可を得て公開したという。それらの中から、一部を紹介したい。

 銭理群:彼に何か罪があるとは思わない。彼の観点ややり方の全てには必ず しも同意しないが、それはまた別のことだ。
 丁東:思想はこれまでもずっと自由を求めてきたのであり、08年にとどま るものではない。
 章詒和:私たちの制度は、そもそもどれほど改善したのだろうか?私たちの 社会は、いったい進歩したのだろうか?
 徐友漁:判決は、人類みなが公認する文明の規範に対する挑戦だ。中国の現 在の憲法には公民の言論の自由が明記されているのだから、憲法に対する挑 戦でもある。つまり、中国の人民と人類の良知に対する挑戦なのだ。
 賀衛方:まったくの罪のない人にとっては、一日でさえ重く、一日の罰でも 冤罪だ。
 朱学勤:「私はあなたの意見には反対だ、だが、あなたがそれを主張する権 利は命をかけて守る」とは、文化の共通認識で、法治の最低ラインだ。言論 を処罰するならば、文化はとこにあるのだ?憲法はどこにあるのだ?最高法 院が介入し、本件を差し戻し、文化を擁護し、憲法の尊厳を守るよう請願す る。
 呉思:言論の自由に関する各種の見解に賛成するが、しかし私は利害の計算 をしたいと思う。どんなことでも度を越せば、誰かが損をして誰かが得を し、逆に、それまでのこととして終わってしまうのだ。
 劉軍寧:期待しない、絶望しない!

 彼らのほかにも、楽黛雲、袁偉時、秦暉、余英時、汪暉、莫言、王暁漁、 李銀河、賈樟柯などのコメントが紹介された。劉暁波の言説そのものに対す る直接的なコメントは少なく、多くは自由な言論を擁護する内容だが、問題 の本質を歴史的な背景から考察する人もいれば、当然ながら発言そのものを 保留する人もいた。ネットユーザーからは、崔衛平とインタビューを受けた 人びとに対する称賛や敬意が数多く書き込まれていたが、その中には「(こ のような方法は)知識人の良心を拷問にかけるようなものだ」という強い批 判もあった。

 崔衛平の電話インタビューに対して、例えばコラムニストの連岳は自身の Twitterで次のようにコメントし、崔衛平もリアルタイムでフォローしてい た。

 劉暁波氏は、一人ひとり問い詰めることをするだろうか?態度表明ができな くても劉暁波氏を支持するという人はいないのだろうか?敵か味方かという 二分割は、個人的にはやはり慎重に慎重を重ねるのが良いと思う。どんな社会でも、大多数の人は中間に立っているのだから、彼らを劉暁波氏 の側に裁くかのように急かしてはいけない。

 ◎判決に対する崔衛平の電話インタビュー

 連岳の「つぶやき」を読みながら、ある作家の友人のことを考えた。学生 時代に劉暁波のもとで学んだ天安門世代で、劉暁波の思想と行動から強い影 響を受けたと聞いている。不当な逮捕に憤慨し、判決には感情を露わにしに していたが、「08憲章」に関連して発表された複数の共同署名には、名を 連ねた時もあれば、そうでない時もあった。考えに考え、悩みに悩んだ末の 決意を語ってくれた時に思ったのは、一人の友人としてその決意を尊重した いということだった。

 連岳が「態度表明」や性急な「敵・味方の二分法」に反対するのは、良識あ る意見として理解できる。そして筆者が知る限り、劉暁波は「一人ひとり問 い詰める」ことはしないだろうし、「態度表明ができなくても劉暁波氏を支 持するという人」がいることも事実だ。一方で、やはり筆者が知る限り、次 に引用するように崔衛平が「彼らの見解を知りたかっただけ」と言ったのは その言葉通りだろうし、おそらくは、著名人のコメントを集めてインター ネットに掲載することで、この件に関する多様な議論を呼び、志向を同じく する人びとと繋がっていこうと考えたのだろう。日ごろから、日常生活にお ける人間関係の「断裂」について多くの文章を執筆している崔衛平ならでは の行動だと思う。さらに、先にコメントを引用した人たちに限っていえば、 崔衛平のインタビューを受けて、思うところを率直に語ったということだろ う。

「知識人の良心に対する拷問」という表現がインターネットで広がりつつ あったことに対して、崔衛平は自身のTwitter、ブログ、関連するウェブサ イトで次のように弁明した。

 同じ分野の知識人たちに劉暁波重刑11年に対して尋ねたやり方は、絶対に 知識人の良心を「拷問」するものではないし、「拷問」とはあまりにも重す ぎる。ただ彼らの考え方を知りたかっただけのことで、みながこの事件を 知った後にどう考えるかを知りたかったのだ。一般の人には、そうした考え 方を公開するルートもない。(中略)こういうやり方をする自分には、『原 罪』があることもわかっている。普通ならばこういうことはしない。しか し、生活の中で繋がりが断たれた時、例えば暁波の重刑のように大きな出来 事が私たちの間で起こっているのだから、私たちはこの断裂を、自分の『原 罪』を背負わざるを得ないのだ。

 知識人たちの「つぶやき」は、様ざまなことを考えさせてくれる。一般のメ ディアがこの事件を報道できない中で、著名人のコメントやそれに対する意 見がTwitterで現れたことは、非常に興味深い出来事だ。政治的に敏感な問 題に対して発言することは、リスクを引き受ける覚悟が必要なのだろうが、 行動し、発言した人たちの勇気があったからこそ、この件に対する多様な意 見があることをリアルタイムで知ることができる。

 一方で、連岳が指摘した危惧は、個人と「言論の自由」との問題を指摘する ものだ。「発言する自由」があれば、当然のことながら「発言しない自由」 もあるのだから、そのいずれの「自由」も尊重されなければならない。そし て、社会や歴史に対して、何よりも自分自身の良心に対して道義的責任を果 たそうとする人たちが自らの意思に基づいて意見を表明したとき、それに対 する批判があり、さらに反論がなされ、より多くの意見によって議論が交わ されるとすれば、それこそがあるべき言論空間の姿なのではないかと思う。 知識人たちの「つぶやき」が現時点でインターネットから削除されていない ことは幸いだが、これほど重大な事件について事実報道や、このように展開 された議論が一般的には知られずにある現状こそが、批判されるべきことな のではないだろうか。

 最後に、劉暁波が2006年3月に執筆した「一点突破で全般が蘇る—— 言論の自由獲得を突破口とする民間の権利擁護」の一節を引用したい。

 国民の公共的な発言は、依然として政治の強権による脅しやすかしに直面し ているにもかかわらず、しかし、やはりますます多くの中国人ができるだけ 嘘に頼らずに生きようとし、勇気をもって自由に話をして真実を語ろうとし ている。たとえ依然として頻繁に発生している言論弾圧に直面しようとも、 言論弾圧に公然と抗議する中国人もますます多くなっている。(中略)

 民と官とに関わらず、大陸において報道の開放と言論の自由を推進すること は、実際には、中国社会の安定的な転換という最も重要な目標を推進するこ となのである。政党結成の禁止の緩和について一歩遅れるとしても、しかし 言論の禁制を解くことは一刻の猶予もない。言論の禁制が開放されれば、自 由な中国は必ずや訪れるのだ!(文中敬称略)

追記
「08憲章」については、2009年5月に李暁容・張祖樺の編集 で、香港の開放出版社から『零八憲章』が出版された。同月、アメリカでは 中国情報センター(中国信息中心)の編集で、労改基金会から『零八憲章與 中国変革』が出版された。いずれも「08憲章」本文と関連する文章が収め られている。10月には余傑の編集により、獄中にある劉暁波の近年の代表 的な文章が『大国沈淪』と題して台湾の允晨文化から出版された。12月に は日本の藤原書店から、「08憲章」と劉暁波の代表的な詩文を翻訳した 『天安門事件から「08憲章」へ』(劉暁波著、劉燕子 編集・翻訳、横澤泰 夫・蒋海波・及川淳子翻訳)が出版された。

コラムニスト
及川 淳子
東京出身。10歳のときに見た日中合作ドキュメンタリー映画『長江』で中国に魅了され、16歳から中国語の学習を始める。桜美林大学文学部中文科、慶應義塾大学通信教育部法学部卒業、その間に上海と北京に留学。日本大学大学院総合社会情報研究科博士後期課程修了、博士(総合社会文化)。外務省在外公館専門調査員(在中国日本大使館)を経て、現在は法政大学客員学術研究員。専門は、現代中国の知識人・言論空間・政治文化研究。共訳書、劉暁波『天安門事件から「08憲章」へ──中国民主化のための闘いと希望』(藤原書店、2009年)、『劉暁波文集──最後の審判を生き延びて』(岩波書店、2011年)、『劉暁波と中国民主化のゆくえ』(花伝社、2011年)、『「私には敵はいない」の思想』(藤原書店、2011年)など。
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