明子の二歩あるいて三歩さがる

第06回

エアコンのある世界、ない世界

 「いのちにかかわる暑さが続いています! 猛暑はまだまだ続きます! 夜もエアコンを適切に利用してください」──今年の夏、毎晩、テレビニュースはそんな言葉を連呼していた。

やれやれ、今年は7月初旬からずっと暑かったやれやれ、今年は7月初旬からずっと暑かった

 では、日本より暑いサウジアラビアやインドやフィリピンでは誰もが夜な夜なエアコンを入れて寝ているのか? そうでもなさそうだ。世界的に見ると、一家にエアコン1台はまだまだ贅沢だ。世界的には多くの人が夜になっても気温が30度より下がらない環境でスヤスヤ安眠している。デリーの街路では50度近い外気温の中を、今日もリキシャーの運転手が1日中、ペダルを漕ぎ続けている。

 日本でも少し前までは、NHKがエアコンを入れろと国民に呼びかけたりはしなかった。自宅を締め切ってクーラー入れっぱなしなど、日本人にとって一般的でなかった。エアコンが国民の夏の必需品になったのは、年々暑くなる気候のせいだろうか? それとも日本人が暑さに弱くなっているせいだろうか? 

 昔より暑くなっているのはたしかだろう。だが、それに加え、わたしたちはいよいよ自然環境に身を委ねて、無為にのんびりと時を過ごすということができなくなっているのかもしれない。紙やパソコンに向かう生活、肉体より頭脳を使う仕事、「生産的」なライフスタイルはいかにも暑さと相性が悪い。30度以上の気温は半裸になってのんびりするには良いが、コンピューターに向かって何かを書いたり、読んだりしようとすると、途端にむずかしくなる。

 だから、暑い地域が経済発展するためにはエアコンは不可欠だった。20世紀後半以降の東南アジアや中東の発展はエアコンなしには語れない。アジア随一の繁栄を誇るシンガポールはエアコン以前は未開の瘴癘の地だった。建国の父、リークアンユー自身、「エアコンがなければシンガポールの発展はありえなかった(https://www.vox.com/2015/3/23/8278085/singapore-lee-kuan-yew-air-conditioning)」と語っている。ちなみに、彼の自伝には、まるでイギリス人のように長袖シャツにカーディガンを羽織ってコンピューターに向かって執筆する本人の写真が登場する。たぶん、リークアンユーの自宅はキンキンに冷えていたにちがいない。

 アメリカのデスバレーを抜け酷暑の砂漠をドライブしていると、突然、砂上の楼閣のようなラスベガスが出現する。初めて見たときは、その規模と唐突さに度肝を抜かれた。1936年にできた巨大な水力発電所フーバーダムの電力供給を受けてできた人工都市ラスベガス。外気が40度以上でも街全体は冷蔵庫のようにキンキンに冷えている。砂漠に浮かぶドバイもそうだし、亜熱帯の島香港もそうだ。それらの場所は、エアコンで外気を遮断することで初めて人間に快適な環境が手に入る。世界的には暑さに耐えてエアコンなしに生活している人と同じくらい、エアコンが効いた室内からほとんど出ず、育ち、死んでいく人もいる。全てのヒトは自然から生まれ、自然に還っていくという紋切り型の人生観と21世紀の現実はかなりズレているのかもしれない。

 エアコンを入れて屋内を冷やせば、その分、屋外に暖気が排出される。すると、それでなくても暑い外気はますます温められ、夜になっても気温が下がらない。いわゆるヒートアイランド現象だ。酷暑の街に室外機の暖気はとても不快で、だから人はますます外気を嫌い、エアコンの効いた室内に閉じこもる。そうすると、外気はますます温まる。悪循環はますます深まっていく。

東京の夏が暑いのはエアコンの室外機や自動車から排出される熱とアスファルトの蓄熱が一因だ東京の夏が暑いのはエアコンの室外機や自動車から排出される熱とアスファルトの蓄熱が一因だ

 「暑さに注意してください! エアコンを入れてください!」と今日も連呼するNHKのアナウンサー。もし、彼らが替わりにこう言ったらどうだろう──「エアコンを入れると、街全体が温まってしまいます。室内が涼しくなる分、外がさらに暑くなってしまいます。まだまだ世界にはエアコンのない人も大勢います。温暖化のせいで、そういう人たちの生活がどんどん、難しくなっています。やむを得ない場合を除き、エアコンを我慢しましょう。一人がスイッチを切っても効果はありませんが、全員で切れば気温は下がります。また、ドライブやパソコンなど、排熱を生む生産活動、消費活動も、夏はなるべく控えましょう。そうやって地球の温暖化を防ぎ、過ごしやすい自然環境を子供たちに残しましょう」。

 ありえないかもしれない。だが、タバコがここまで世界的に糾弾され、廃れることを30年前、誰が予想できただろう。いつかエアコンが温暖化の元凶として糾弾される日が来ないとも限らない。「昔は、『クーラーどんどんつけろ』、なんて、環境に悪い、信じられないようなこと、NHKが言ってたのよ」──数十年後、涼風吹くエアコンレスの東京の夏。うちわ片手に生き字引の老女のわたしが目を細めながら、ひ孫に語る。そんな時代を夢見つつ、真夏の熱帯夜は更けていく。

コラムニスト
下山明子
翻訳業、ブロガー。早稲田大学、パリ政治学院卒業。格付会社、証券会社のアナリストを経て2009年より英日、仏日翻訳に携わる。チベットハウスの支援、旅行、読書を通じて、アジアの歴史を学んでいる。著書『英語で学ぶ!金融ビジネスと金融証券市場』(秀和システム)。訳書『ヒストリー・オブ・チベット』(クロード・アルピ著、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所)
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