アジアから見る日中

第06回

カンボジア/ボランティアではなくビジネスを

トンレサップ湖で舟をこぐ子供

トンレサップ湖で舟をこぐ子供

 インドの話ばかりが続いてしまい、しかもアジアから見る日中という題にもかかわらず、日本と中国があまり出て来ない、とのご指摘を受けたので、今回は突如カンボジアから見てみたい。カンボジアにはこの3年半の間に数回行っているが、ある意味でとても不思議な国だと言わざるを得ない。

 中国の文化大革命の末期、その活動に触発されて、暗黒のポルポト時代が訪れる。多くの人々が虐殺され、文化が破壊され、内戦が続く。それから約20年、筆者が初めて首都プノンペンを訪れた1996年、街は暗く、まだ内戦の後遺症が至る所に見られた。家を失い、手足を失った物乞いが溢れ、家の壁には銃弾の跡が見られた。

プノンペンのおしゃれなカフェ

プノンペンのおしゃれなカフェ

 そのカンボジアの復興には日本をはじめ、世界各国が手を差し伸べ、政府機関関係者や多くのボランティアが現地で様々な活動を行ってきた。そして今、首都プノンペンを見る限り、他のアジアの首都に追い付くべく、高層ビルが建ち、ショッピングモールが展開される。日本のイオンも進出し、急速な発展を遂げている。

 一方でこの間、各国の支援を当てにしたカンボジア政府は、国の産業育成などを十分に行わなかったのではないかと思う。その結果、今日でも国家財政の半分以上が外国からの援助という、歪な構造が出来上がってしまっている。普通はある程度国が立ち直れば、自らの力で発展しようとするはずだが、政府関係者も「自らの利益確保」に走っている、と在プノンペンの日本人は苦々しい表情で言う。

 勿論外国政府も単なる経済支援ではなく、様々な政治的な思惑も重なり、この国への支援を続けている。カンボジアはタイやベトナムに挟まれた小国との印象があるが、東南アジアの要にあり、その地政学的価値は歴史的に見ても高い。その微妙な国際関係を利用して、上手い外交を展開し、支援を引き出しているといえる。日本は以前から地道な支援を継続しているが、近年は中国が大規模支援を次々に打ち出し、そのプレゼンスをかなり高めている。カンボジア側も中国には警戒しながらも、その経済の魅力には勝てず、どんどん受け入れている。これは危険な兆候だと、ある大学教授は指摘していたが、今後もしばらくは継続されるだろう。「嫌がられても経済的に押し切る」中国戦法が遺憾なく発揮できる国、ということだろう。

中国人が集うプノンペンのカジノ

中国人が集うプノンペンのカジノ

 民間で見ても、「支援されて当然」「援助は空から降ってくる」という雰囲気がまかり通っており、日本の支援団体の中には「お願いして支援させてもらっている」という雰囲気の活動まである。もう本末転倒というしかない。それなのに、なぜか日本人は「ボランティア好き」なのである。ボランティアは決して悪いことではないが、「果たして相手は本当に求めているのか」「自己満足ではないのか」といった点に注意を払う必要がある。

 近年大学生のスタディーツアーというのが流行っている。これは世界各地に行き、ボランティア活動などを通して、その国を理解するというものだと解釈できるが、日本人が経営するある旅行会社によれば、「スタディーツアーで経営がとても安定した。従来7〜8万円で安い旅行をしていた大学生が、1週間で15万円払ってくれ、しかも希望者が多く、キャンセル待ちの盛況だ」とホクホク顔で話してくれた。

 特にこのツアーの行先にカンボジアが多い。行き易さとボランティア受け入れ先が多いからだろう。援助を簡単に受け入れる体質がここにも見える。実際このツアーは何をするのか。1つの例を挙げれば、1日目はカンボジアの歴史や習慣、簡単なクメール語を勉強し、2日目から現地の村に入り、村の子供たちと交流する、というのがある。一応大学生が子供たちに何かを教えるはずなのだが、実際には村の子供たちに色々と教えられて帰ってくるらしい。

 ツアー主催者が「大学生に日本のスポーツを見せて」といっても、戸惑ってなかなか出来ないが、現地の子は直ぐにキックボクシングを見せてくれる。「日本の歌を歌って」と言っても、色々とあり過ぎてすぐには歌えないが、村の子はさっと草を抜き取り草笛を吹いたりする。完全に負けを悟った大学生は教えを乞うことになるという。

 しかしなぜこんなツアーが流行るのか。それは昨今の就職事情が大きく影響している。ようは「カンボジアで1週間ボランティア活動をしてきた」と履歴書に書くためだ、とある大学生は教えてくれた。そしてその旅行費用は就活経費として親に出させるらしい。思わず「自分の尻拭いが出来ないうちに、ボランティアなんかするな。先ずは稼いで余裕ができて初めてやれ!」と言いたくなってしまう。

カンボジアへ来たらハンモック生活

 そんな中、大学生の時からカンボジアの児童売買防止の活動を続けてきた『かものはしプロジェクト』に出会った。シェムリアップに常駐する副代表の青木さんを訪ね、話を聞いた。彼らの活動はすでに10年、世間からも注目され、寄付も沢山集まっているようだ。初めは様々な模索を試みた彼らだが、「子供が売られないための方法」として行き着いたのが、「家庭の安定」だったようだ。結局病気などで急にお金が必要になった時に、安定した収入がないために子供を売ってしまう、という現象が起きると分かり、井草などを使った小物の生産事業を立ち上げ、貧困家庭から1人ずつ、工場に働きに来てもらっている。

 青木さんによれば「ボランティアには限界がある。ただお金を支援しても、自己満足に陥る可能性があり、目的を達成できない」といい、「プロジェクトへの寄付とビジネス収益半々」を目指していくという。単なる支援ではなく、持続可能な支援の模索といえる。

辞めようとする女性を説得する

辞めようとする女性を説得する

 因み彼らの工場へ行くとちょうど50代の女性が「今日で工場を辞める」という場面に出くわした。理由は「目が悪くなり細かな作業が出来ないため」だったが、青木さんは「それはメガネを掛ければ解決する」と丁寧に説明したが、女性は「村でメガネなんかかけている人はないから嫌だ」とその申し出をあっさりと拒否した。我々の心のうちには「あの女性の家庭は明日からどうやって生活していくのだろう」という心配が過る。だがそれは大きなお世話であり、彼女たちのコミュニティーでは「何とかなる」ということなのだろう。「ボランティアは何て難しいものなんだ」とふとその時思ったが、カンボジアの喧騒の中、一瞬で現実の世界に戻ってしまった。

コラムニスト
須賀努
1961年東京生まれ。東京外国語大学中国語学科卒。金融機関在職中に、上海語学留学1年、台湾地場金融機関への出向2年。香港駐在合計9年、北京駐在合計5年では合弁会社日本側代表。合計17年の駐在経験を有し、日経BP社主催『中国ビジネス基礎講座』でトータルコーディネーター兼講師を務める他、進出企業向けアドバイスを行う。日本及びアジア各地で『アジア最新情勢』に関する講演活動も行っている。 現在はアジア各地をほっつき歩いて見聞を広めるほか、亜細亜大学嘱託研究員、香港大学名誉導師にも任ぜられ、日本国内及びアジア各地の大学で学生向け講演活動も行っている。 時事通信社「金融財政ビジネス」、NHK「テレビで中国語テキストコラム」など中国を中心に東南アジアを広くカバーした独自の執筆活動にも取り組む。尚お茶をキーワードにした旅、「茶旅」を敢行し、その国、地域の経済・社会・文化・歴史などを独特の視点で読み解き、ビジネスへのヒントとしている。
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