特報/北京芸術区
北京の胡同から/特別編
「当たり前の権利」を求めて——暴力に抗うアーティストたち
近年、中国にも現代アートなるものが存在し、一部の作品にいたっては、かなりの高額で取引されていることが、日本の人々にも知られるようになってきた。北京五輪後、金融危機の打撃は受けたものの、北京の郊外に広がる広大な芸術区の数々では、まだまだ意欲的な創作活動や展示が行われている。北京で活躍する欧米出身のキュレーターの中には、現在の北京の芸術的雰囲気の強さは「芸術の都パリ以上だ」と言う人もいるほどだ。
先日の『新京報』では、アジアをまたにかけて活躍してきた文化人である陳冠中も、「金がなくても、北京で絶望することはない。全国で人々が金が多いか少ないかだけを比べている時、北京にはまだ一日中『俺とお前のどちらがすごいか』を競っている人がいる」というコメントで、北京の魅力を伝えた。
パリとの比較はともかく、後者については、筆者も同感だ。経済的な利益は二の次、ただ自己表現をしたい、という純粋な一念で、仲間と切磋琢磨しあいながら制作活動を続けている人々を、筆者はこれまで多数インタビューしてきた。
だが、どんな創造的行為にも、それを支える環境が必要だ。ところが先日、悲しいニュースが伝わってきた。どうも、本来ならクリエイター達をしっかり支えるべき人々まで、今は金欲のとりことなってしまったようなのだ。
北京の胡同から/第19回
やむを得ない事情により、長らく連載をお休みしてしまい、申し訳ありません。
春節を機に心機一転し、再開させていただきます。ちなみに、先月1月に新しい
訳著『乾隆帝の幻玉——老北京骨董異聞
』(劉一達著、中央公論新社刊)が刊行
されました。こちらでは、民国期の北京を舞台にした、ストーリー性とディテー
ルの豊富な小説の形で、皆さんに北京の奥深い文化を楽しんでいただければ、と
願ってます。
継続か否か——保護と伝承の合間で揺れる廟会
中国の最も盛大な祭日と言えば、やはり何といっても日本の旧正月に当たる春節 だろう。旧暦に基づいた多くの北京の行事が、さまざまな歴史的経緯から消失、 または商業化、形骸化の一途をたどっているなか、春節はまだ割合と伝統的な節 句としての雰囲気が濃厚な祭日の一つだといえる。
春節ならではの風習の中で、爆竹や餃子を食べることと並んで、大きな存在感を 誇っているのが、廟会巡りだ。廟会とはそもそも縁日に寺院の周辺に立った月ご との定期市が由来で、かつては春節に限らず毎月開かれていた。文革をはさんで 一時期途絶えたが、その後政府のバックアップによって徐々に復活。今は毎年春 節が近づくと、北京では次の廟会をめぐる話題が新聞を賑やかに埋めている。
北京の胡同から/第18回
新たなクリエイティブ空間「方家胡同46号」と『青い凧』

田壮壮監督の名作、『藍風箏』(邦題『青い凧』)の上映会が行われると聞き、8月のある日、国子監近くにある「方家胡同46号」を訪れた。実際に田監督も訪れ、上映後には質疑応答も行われるという。会場は、映画ファンのサロンとして名高い『猜火車』。映画『トレイン・スポッティング』の中国語タイトルを引用した店名で、以前はやや郊外にあったが、つい最近、「方家胡同46号」に移転した。
北京の胡同から/第17回
民間が保護に奔走「梁思成・林徽因故居」
7月11日付の『新京報』に、心の痛む記事が掲載された。北総布胡同24号(番地)にある梁思成と林徽因の故居の一部が、再開発のために取り壊されつつある、というのだ。梁思成といえば、拙訳の『北京再造――古都北京の命運と建築家梁思成』にも登場する、著名な都市計画学者、建築学者、そして建築家だ。都市計画をめぐるその志の多くは実現されなかったものの、古都北京の文化財保護のために奔走し、その卓越した学識は世界でも認められていた。
北京の胡同から/第16回
胡同といえば、元の時代から受け継がれた時代の遺物。歴史に興味がある人には面白いかもしれないが、全体としては古臭く、遅れているもの、と思われがちだ。先回ご紹介した南鑼鼓巷にしても、若者たちの心をとらえた流行のデート・スポットになっていながら、タクシーの運転手などからは未だに、「こんなに古臭い平屋のどこがいいんだ?」と吐き捨てるように言われることがある。
だが胡同は本当に「古い」だけだろうか?いや、実際は胡同と斬新なアイディアとの相性は、なかなかのものなのだ。













