北京の胡同から

第16回

誰が精神病院へ送られたか・後編

誰が精神病院へ送られたか このデモ事件について、中国国内では報道規制が敷かれていたようで、関連報道はネットを含め国内では一切行われなかったようだ。だが、さすがに教授の暴言そのものは見逃せなかったのだろう。孫教授がテレビにもよく出る名の知れた御用学者で、しかも中国の最高学府、北京大学に籍を置く教授であることから、「御用哲学だ」「99%という数字の根拠を示せ」「陳情者たちが偏執性精神障害なら、お金のために汚職や賄賂の受け取りに奔走する輩はどうなのか」といった非難がネット上に集中した。

 また北京の地元紙「新京報」でも、「では、真理にこだわるすべての人々が精神病患者の範疇に入るのか?」「陳情によって問題が解決しないから、繰り返し陳情することになるのだ……学理上から言えば、『偏執性精神障害患者』の典型的な症状は他人への普遍的な不信感と猜疑心だ。もしそれが陳情者の中に表れたなら、それは彼らがある種の失望や連続的に起こった不信感に打ちのめされたためであり、政府がすべきことは、彼らの信頼を回復することである」といった、あるメディア関係者の意見が掲載された。

 その影響の大きさからか、孫教授は数日後に謝罪の言葉を発表。だがそれは表現の不適切さを詫びた表面的なものに過ぎず、多くの人を納得させたとは思えない。

 そして、翌週の水曜である4月15日、再びデモ予告があったので、心配になって相棒と二人で見に行った。もちろん、遠くから眺めるだけである。だが、人の数はほとんど通常通りで、しばらく待っても、増えたのはパトカーと見張りの警察のみ。西門前向かいの、朝食を提供する店に7日の様子を聞くと、急にむっつりとし、「知らない、人は多くなかった」と口ごもる。面倒に巻き込まれるのを恐れてだろうか。あるいは口止めされているのかもしれない。

 ところで、陳情者のデモが水曜日に集中するのにはわけがある。全国の陳情者が集まる最高裁判所の陳情受付部門「人民来訪接待所」は、水曜が休みだからだ。だが、警察もそれは予測して先手を打つはず。だから予告はあっても、8日も今回も7日の火曜ほどには大規模なデモにならなかったのかもしれない。

 陳情者の多くは生活の全てを陳情に捧げており、特に地方からの陳情者などは、北京での滞在費用も馬鹿にならない。そのため、空いた時間を縫って個人的な陳情活動に出かける。中には、昼は最高裁判所、夕方以降は中南海の門前というツワモノも。もちろん毎回しょっ引かれ、その数が一定の数を超えると、軽い処罰として5日間ほど拘留されるという。

 正直なところ、こういった人々が時にやや「偏執的」に見えるのは、確かだ。もちろん、事件そのものが悲惨なケースも多く、筆者が聞いた中でも、一人息子を殺されたのに裁判の判決が出なかったり、委託を受けて経営していた鉱山の不当な収用で全財産を失ったりと、人命や全財産に関わるケースが少なくない。事件の悲惨さだけで、十分精神的ダメージを受けそうな例は数限りなくある。だが、一度の陳情で解決するケースは皆無に近く、あるかなしかの希望に縋りついている陳情を続けてうち、執念だけが行動を支えるようになる、ということは当然ありうる。

 友人の田中奈美さんが、『北京陳情村』(2008年、小学館)という本で生き生きと描写しているように、陳情を重ねる人々は、陳情そのもの、あるいは陳情仲間を助ける行為に自らの存在意義、あるいは居場所を見つけていく傾向があるようだ。また、精神的にかなり高圧のプレッシャーの下に置かれ続けるため、それが偏りのある言動の形で表れていることも、筆者が目にした限り、いくつか例がある。

 もちろん、ケース・バイ・ケースで、確かに無理難題をふっかけている陳情者もいるのかもしれない。だが、やはり基本は、彼らをそうしたのは何なのか、なぜ彼らは「納得できなかった」のか、に司法関係者はもちろん、一般の人々も関心の目を向け、早急に適切な対処をとるよう圧力をかけていくことではないだろうか。世の中の「割り切れないこと」はあまりに多すぎるにしても。

 今年の春節前夜の夜10時過ぎに、相棒はこんな印象的な風景を目にしている。最高人民裁判所の「人民来訪接待所」の前の路傍に、露天のもと、横たわっている地方出身者たちがいた。ボロボロの布に頭までくるまり、体の上にはビニール布。春節といえば、漢民族にとって家族団らんの時期だが、上京だけでも大変な彼らは、余分な里帰り費用など持っていない。春節休みはもちろん裁判所も閉まる。彼らは肌をさす零下10度近くの空気に凍えながら、夜明けを待ちつつ、ひたすら「忍耐」の時間を過ごしていたのだった。

コラムニスト
多田 麻美
フリーのライター、翻訳者。1973年静岡県出身。京都大学で中国文学を専攻後、北京外国語大学のロシア語学科に留学。16年半の北京生活を経て、2018年よりロシアのイルクーツクへ。中国やロシアの文化・芸術関係の記事やラジオでのレポートなどを手がける。著書に『老北京の胡同』(晶文社)、『映画と歩む、新世紀の中国』(晶文社)、『中国 古鎮をめぐり、老街をあるく』(亜紀書房)、訳著に王軍著『北京再造』(集広舎)、劉一達著、『乾隆帝の幻玉』(中央公論新社刊)など。共著には『北京探訪』(愛育社)、『北京を知るための52章』(明石書店)など。
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