北京の胡同から

第38回

伝統空間の再利用をめぐる議論 – グッゲンハイム美術館と皇室の文書館「皇史宬」①

(写真のキャプションはズーム時に表示されます)

始まりはマイクロブログ

 実は今年の夏、密かに北京の建築関係者や文化財保護に従事する人々を騒がせた事件がある。それは、「皇史宬改造計画」だ。
 事の発端は、マイクロブログ上で発表された、「皇史宬」をグッゲンハイム美術館の北京分館へと改造するプランについての書き込み。その書き込みに刺激を受けた北京文化財保護センターの責任者が発表した記事が、あちこちへと転送され、波紋を呼んだ。
 その批判を要約すれば、「保護される文化財建築の内部で保護目的以外の建設行為を禁じる『文物保護法』違反、皇史宬の歴史的、芸術的価値に対する侵犯、歴史的資源の極端な消費、そして、文化財の置かれる空間は、かりにそれが『空』であっても、絵画の空白と同じように意味があり、恣意的に埋めてはならない」というものだ。

 そもそもグッゲンハイム美術館が北京に分館を建てるという計画は、6年前、国際的なアートスポットへと発展を続けていた798芸術区を舞台に「噂」の形で広がり、世を騒がせたことがある。その後、建設候補地は798から故宮に隣接する、皇史宬一帯へと移った。皇史宬とは、明清時代に朝廷関係の重要な書籍や文書が保管された場所だ。当時、プランを作成したのは、著名なデザイナーの朱●(ジュ・ペイ)[●は金+培のつくり]。北京オリンピックでデータ管理センターとして活躍した「デジタル・北京」の設計者として知られるデザイナーだ。氏は美術館デザインにかなりの経験の蓄積があり、深圳、都江堰、杭州などで美術館を手掛けている。そのため、2010年のヴェネツィア・ビエンナーレの中国館を手掛けるなど、美術関係者の信望も厚い。しかもグッゲンハイムとのコラボは初めてではなく、現在彼がデザインしたアブダビのグッゲンハイム美術館の建設が進行中だ。
 今回筆者が驚いたのは、かつて朱氏に詳細なインタビューを行って以来、朱に対し、むしろ「古い街並みや伝統的な建物を生かした再生」に取り組むデザイナーである、という印象を抱いてきたからである。著名な現代アート作家、蔡国強の四合院を改造したプランでは、味わいある古いレンガ壁を扱う際、一度解体した後、補強しつつもう一度同じレンガを一つ一つ積み直すという手法まで用いている。
 かつて筆者がグッゲンハイムのプロジェクトについて尋ねた時も、その建設予定地について、「皇史宬ではないですか?」と尋ねると、「いや、そうではない」ときっぱり断言し、文化財である「皇史宬」は動かさない、という固い決意を示していた。

浮いて消える建築物

 何はともあれ、このような不確実かつ未確認の情報に基づいたまま、論が過激化することは、もともと手を結べたはずの文化財保護関係者と保護を前提としたデザインを行うデザイナーとの間の離間にもつながり、結果としては、決して文化財の保護に有利とはならない。
 そこで朱氏にインタビューを申し込むと、プロジェクトの真っ最中ということですぐには無理だったが、数週間後に応じてくれた。
 氏によれば、プロジェクトは、2007年にグッゲンハイムの理事長だったThomas R. Krens氏が辞職した後、実際は停止し、白紙に戻った、という。その後、北京にグッゲンハイムが分館を建てるという計画自体が立ち消えになった。
 また、そもそもの朱氏のデザイン・プランにしても、文化財の保護に最大限の努力を注いだものであることは疑いを入れない。そのプランとは、周囲の皇史宬のある敷地の空き地に、地面から浮いた形の現代的建築物を作り、元々の皇史宬の建物には手を加えないどころか、壁も床も接しないというもの。新しい建築物は皇史宬の北側と南側の空間を占めるが、南側はそもそもが複数の世帯が住む雑居地帯だ。しかも、建設にあたっては、建材は他の場所で作り、それを現地で組み立てて建てることが想定されていた。つまり、新しい建築物とはいえ、不要な時は比較的容易に取り壊すこともできる、仮設の建物に近い。

 筆者が誤解を解くべく、批判の発信元である北京文化遺産保護中心に連絡をとると、関係者は、中国のマイクロブログでデザインプランが転送されていたのを見て反応しただけだと語りつつ、「あのデザインでは、空間の配置が変ってしまうことで、伝統的な建物もどうしても影響を受ける」とし、純粋に建物への影響という面から、懸念を強調した。
 それにしてもこれらはいずれも過去の、実現しなかったプランだ。ではなぜ今、「皇史宬」のデザインがふたたび問題になっているのか。朱氏はその理由を「不明」としながらも、こう語る。
「今、やはり中国の古い建築をめぐる新たな試みをしており、それは、北京グッゲンハイムのプロジェクトと直接の関わりはないが、内容的にその延長線上にある。それは蔡国強の四合院プロジェクトなどと同じだが、しかし、それが具体的な形になれば、周囲の批判の角度にも変化が生じるだろう」。確かに、説得力において、実例に勝るものはない。
 だが、これはあくまで憶測に過ぎないが、この「内容的に延長線上にある」プロジェクトの内容に疑問を持った者、あるいはその将来持つであろう影響力を危惧した者が、バッシングのために昔のプロジェクトを叩き台にしたという可能性も無いとはいえない。

使わない建物は荒れる

 だが、プランを今改めて見ても、伝統建築を「公開、活用しながら保護しようとしている」という意味で、皇史宬の敷地の改造案は極めて魅力的だ。
 朱氏もこう語る。「歴史的な、古い建築物の保護については、伝統建築を今日の人々の生活の中に取り入れていく必要があります。現状の保護だけではなく、歴史の発展という角度からも見なくてはなりません。なぜさまざまな歴史的建築物が残ってきたのか、考えてみましょう。例えばなぜアポロン神殿が今まで残ったのか。古代の人には古い建築物を残そうなどいう意識はなかったはずです。そもそも当時は古い建物でもなかったのですから。それでも今まで残ったのは、けっして受動的に残ったのではありません。建物だけを残し、ただ保護のためだけに保護しようとしたのであれば、今まで残っていない可能性が高いでしょう。消失しなかったのは、それが『動態』の中にあったからです。ローマ時代が終わったばかりの当時、アポロン神殿は、当時新興の宗教であったキリスト教の建築物になりました。つまりその、『活用できる機能』によって保存されたのです」。
「その時代の文化と対応し、交流があること、建物の最大の価値はそこにある」と語る朱氏は、「使用できる建物は、極力使用するべき」と主張する。以前、自分用に買った四合院の例を挙げ、朱氏はこう続けた。「本来の建物をそのまま保存したいという願いから、これまでずっと貸しに出さなかったが、今見に行くと、2007年頃と比べてだいぶ荒れてしまった」。そもそも、古い建築物は人が使わないと荒れる。現在は、自分に知識がなかったことを後悔しているという。
「復元ならやってもいい」とする、一部の文化財保護関係者の考えに対し、朱氏は、「建て直しは不可能」とする。「たとえ荒れていったとしても、それは歴史の記憶。遺跡であっても価値がある。だが、もしそれを無理やり建て直したら、本当の破壊になってしまう」と考えるからだ。

美術館化による再生

 用途や機能の問題に話題を移せば、そもそも、歴史ある建物をミュージアムとして利用することは、世界的に見ても珍しいことではない。美術館は、火や水や電気の使用が最小限に抑えられる、古い建築にとっては理想的な用途だからだ。故宮博物院がその代表例であり、また最近ではレム・コールハースがクレムリンを美術館として一般開放し、第二のエルミタージュのようにしてはどうか、と提案している。
 これについて、朱氏もこう主張する。「ルーブル宮殿だって、美術館として利用することで、その配置を残し、美しく保存できている。現在の皇史宬は、一部が雑居地区になっている。そこを改造して、その代わりに絵画を置いてどこが悪いのか、分からない」。
 確かに、皇史宬のある敷地の一部は、住民の雑居するエリアになっており、空間を大きく占拠している。火災やガス爆発などが、住民自身はもちろん、国の文化財にも危害を及ぼす危険を秘めているのだ。つまり、しかるべき補償を保証した上で彼らを立ち退かせ、そこに火もガスも使わず、厳重な警備が行われる美術館が入るのは、大変合理的な案のように見える。実際、筆者の知る限り、十年ほど前の一時期、皇史宬を囲む建物の一角には、大手の画廊が入っていた。

 さらに言えば、伝統建築と現代アートの組み合わせは中国では珍しくなく、北京の最初期の現代アート展ではしばしば古い建物が利用され、より故宮と密接な関係をもつ、「太廟」の一角にも、欧米資本の入った現代アートの画廊が入っていた時期がある。また、北京の城壁址にあり、現存では唯一の角楼である東便門の角楼の一階と二階には、長年にわたって、オーストラリア系の現代アート画廊が入っている。
 もちろん、保守的なアカデミズムを中心に、伝統建築と現代アートという組み合わせを拒否する傾向も強い。筆者が清華大学で教鞭をとる、ある建築デザイナーに意見を求めたところ、「歴史ある建築物と現代アートなど、もともとまったく釣り合わない。皇史宬にグッゲンハイムが入るなどあり得ない話」と一蹴されてしまった。

(次回に続く)

コラムニスト
多田 麻美
フリーのライター、翻訳者。1973年静岡県出身。京都大学で中国文学を専攻後、北京外国語大学のロシア語学科に留学。16年半の北京生活を経て、2018年よりロシアのイルクーツクへ。中国やロシアの文化・芸術関係の記事やラジオでのレポートなどを手がける。著書に『老北京の胡同』(晶文社)、『映画と歩む、新世紀の中国』(晶文社)、『中国 古鎮をめぐり、老街をあるく』(亜紀書房)、訳著に王軍著『北京再造』(集広舎)、劉一達著、『乾隆帝の幻玉』(中央公論新社刊)など。共著には『北京探訪』(愛育社)、『北京を知るための52章』(明石書店)など。
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