「拉洋片(覗きからくり)」を珍しげに覗く若者たち 最近私の住んでいる胡同で、ふたたび毎日のようにドラマが撮影されていた。衣装棚や出番待ちの人用のベンチがずらりと並び、照明がギラギラと光って、狭い胡同がまるで撮影スタジオさながら。噂ではすでに放映されている回もあるのだとか。
 風情のある胡同の残る一帯が映画やドラマの舞台となることは珍しくないが、今回は、近所の胡同に雨後のタケノコのように増殖しつつあるバーや喫茶店が舞台のもよう。海外はもちろん北京でも、昔ながらの胡同の風景が、懐かしがられるもの、消えゆくもの、としてより、おしゃれなもの、新しい感性で楽しめるもの、として紹介される機会が増えている。モダンさを狙うがゆえの過度の改造も多いが、伝統の再生という意味では、いい流れだといえるだろう。

 ところで、胡同はこのように映画やドラマの舞台となるだけではない。もちろん、映画やドラマを鑑賞する場所でもある。

 今年の春節、東岳廟の廟会(一種の縁日)で面白いものを見つけた。「拉洋片」、いわゆる「覗きからくり」だ。会場には覗き穴のいくつかついた大きな箱。5元を払うと、穴の覆いが外され、中を覗けるようになる。拡大レンズのようになったガラスの奥には巨大な紙芝居があり、箱の脇で講釈師が物語を語るにつれ、その場面が変わっていく。制限時間が来ると、再び覆いがかけられ、追加料金を払わないと、続きが見られない。いわば、コマーシャル・タイムの代わりに追加料金を払わされる連続ドラマのようなものだ。

流暢な語り口の講釈師 天橋の寄席演芸の一つとして発達したものだが、現在その伝統は「風前のともしび」らしい。講釈師の人に普段はどこで演じているのか、と尋ねると、春節の時期に廟会で演じるだけ、とのこと。本業は漫才師で、春節の時期だけ「覗きからくり」屋になるという。
 残念なことだが、じっと中を覗きこむ姿勢は確かに疲れるし、講釈師の語り口は昔ながらのもので、現代っ子には結構難解なはず。しかも、一度に観られる人数が余りに限られている。かつては人気を博したというが、その後、より時代を捉えた映画などにその座を奪われたのは仕方がない、といえるだろう。でも、限られた人だけが覗けるという「特別な感じ」が刺激的なのも確か。独特な文化を絶やさないためにも、年に一度の興行は確保してもらいたい、と切に願った。

 ところで映画といえば、中国で多くの人が懐かしく語るのが、露天映画。解放後の中国を描いた映画によく登場するが、比較的最近の映画では、姜文監督の『陽もまた昇る』にも、露天映画の上映会を背景にした印象的なシーンがあった。かつては、スクリーンの表と裏、両方から観賞できたため、反対側から観た人には全てが左右反対に映った、というのは有名な話だ。だが、各家庭にテレビが普及するにつれて姿を消し、数年前に郊外で、建設労働者を対象にした上映会が行われているのを見た以外は、北京で目にする露天の大スクリーンといえば、広告用の電光掲示板ぐらいだった。

 そんなある日、四合院が取り壊された後の近所の空き地で、この露天映画が上映されていた。地元の居民委員会が企画したものらしい。スクリーンは正面からしか見られないものの、皆が折りたたみ椅子を持ち寄って、賑やかにスクリーンを仰ぐ風景は、かつて映画やドラマから想像したものとそっくり同じ。私もさっそく興味津々にその中に加わった。

『葉問』の野外上映風景 この催しに何度か通ってはっきりしたことだが、実はこの上映会は地元の住民への情報伝達の場も兼ねている。そのため、映画の上映前や上映中に、居民委員会の責任者によって、「私たちも平安胡同に選ばれるように頑張りましょう。ちょっとした問題なら、すぐに警察に通報したりせず、まずは自分たちで解決するんですよ」とか、「明日は地元の委員の選挙です。みな投票を忘れないように。8人の候補者から、7人を選ぶんです。手順はかくかくしかじかで……」といった告知が行われていた。
 ちなみに、「平安胡同」とは、予防可能な犯罪の発生率が低かった胡同に送られる称号で、上映会場の隣の地区にある胡同が以前これに選ばれたため、ライバル意識を燃やした委員会のメンバーが「我が胡同もいざ」と住民らに発破をかけていたのだった。

 その後、何度かこのような露天上映会があったが、映画や上映の環境を楽しみつつも、どうしても気になったのは、その映画のチョイス。『紫日』『葉問』『梅蘭芳』など、日中戦争中の残虐な日本軍兵士が登場するものばかり上映するのだ。同地区は、軍関係者や政治家の多く住む地区で、それと関わりがあるのかもしれないが、野外では映画館以上に映画へのコメントがオープンに行われるため、日本人の私には居心地の悪い瞬間もあった。

 でも、考えてみれば、かつて講釈師が好んで語ったのも、『三国演義』や『水滸伝』などの軍記物。だとすれば、この露天上映会も、ある意味で長い長い「伝統」を受け継いでいるのかもしれなかった。