北京の胡同から

第56回

昆明発、都市から失われた伝統

 10月3日の朝、『南方週末』を手にした私は、その一面記事に目を疑った。今年の9月6月、雲南省昆明で開かれたある会議で、雲南省の省委員会書記、秦光栄の口から、地元の人文・自然環境を破壊する無節操な開発を批判する発言が、容赦なく発せられた、というのだ。
 それは以下のように「6つの反省」としてまとめられた。

  • 都市の発展の核である歴史的文脈が引き裂かれた。
  • 都市がもともと備えていた山水空間のマクロな構造が破壊された。
  • 都市の街区と建築のスタイルが特色と個性に欠けている。
  • 「中心攤大餅(中央から周りに同心円状に広がっていく都市構造の形容)」により、都市と山水の環境の有機的繋がりが恣意的に破壊されている。
  • シンボリックな伝統建築が取り壊され、一部の歴史文化街区も埋没している。
  • 建築物が千篇一律で、見渡す限りの「コンクリート・ジャングル」になっている。

異例の開発批判

 実際のところは、「6つの反省」は決して、画期的な内容などではない。都市の文化財や都市景観の保護や整備に携わっている者たち、ひいては街の変化に注意深い一般市民の間でも、常日頃からささやかれてきた、至極もっともな内容だ。それを他でもない、省の行政責任者が口にしたというのは、一見、快哉を叫びたくなるほどの明るいニュースに違いない。実際、同紙によれば、昆明では都市計画の専門家でさえ、乱開発を前に何の力も発揮できなかった。少しでも開発に批判的な意見を述べると、「干される」こともあったという。
 とはいえ、1950年代以来、城壁を壊し、堀を埋め立て、古い街並みを次々と壊してきた昆明で、それらの行為を許容し、促したのは他ならぬ現地政府だ。今回の批判は、乱開発の元凶とされる省委員会副書記、仇和氏に直接の矛先が向けられたものではあったが、省のトップが都市開発のやり方を公開の場で忌憚なく批判するなど、極めて異例のことだった

守るべき街並みはどこに?

歴史的文脈を絶たれ、成都の旧市街地に残る民家

◀歴史的文脈を絶たれ、成都の旧市街地に残る民家

 近年、急ピッチで進む再開発によって、内陸の都市も大きな変化に直面した。昨年、中国の内陸部の主要都市のうち、成都、昆明、貴陽を訪れる機会があった。そのいずれもにおいて深く心に刻まれたのは、伝統的な街並みの喪失、あるいは変容だ。
 貴州省貴陽の繁華街のすぐ裏では、飲食店街に寄り添うようにして連なる、2階建ての古い木造の民家や商店が、人の気配の極めて乏しいまま、まるで置き去りにされたように残っていた。住民に話を聞くと、2年ほど前に取り壊しを望む政府や開発商と、それに反対する住民の間で攻防戦があったという。だが結局決着はつかないまま、歴史ある民家の建物は、壊されないが、保護もされず、ただ風化に任された。もちろん、この状態が進むと、建物は劣化し、危険家屋へと近づく一方。何かと口実をつけて「一面の取り壊し」を望むデヴェロッパーの思うつぼになることは火を見るより明らかだ。
 一方、四川省の成都では、伝統的でオリジナルな古い建物の残る一角を探し出すことそのものが困難だった。タクシーの運転手に聞いても、そんなところはもう無いと言われたり、商業施設としてきれいにリノベーションされた建物を指さされたりするのみ。かろうじて見つけた一角は、建物こそ趣があったが、すでにビルに囲まれてかなり孤立しており、人影も少なかった。一角に立ち退きを拒んでいるらしき食堂があったので食事をしたが、荒んだ空気の中、学齢期の子どもが働いていて、女主人らの視線や口ぶりも険しく、結局何の事情も聞き出せなかった。

同上。ひさしが深く、低い、独特のかわら屋根

▲同上。ひさしが深く、低い、独特のかわら屋根

 昆明に関しても、基本的には似たようなものだ。観光名所となるような歴史的建築物が比較的きれいに整備されている以外は、いかにも近代都市らしい街並みが広がっていた。花市場と隣接する旧市街地を訪ねたが、そこは土産物屋の並ぶ観光エリアであり、道の片側はすでにリノベーションの真っ最中。反対側の建物も、オリジナルの状態が大切に保護されているとは言い難く、過度の改修で没個性な景観に生まれ変わるのも、時間の問題と思われた。

昆明の市場横に残る、伝統的な屋敷跡

▲昆明の市場横に残る、伝統的な屋敷跡

繁華街の一角に残る古い街並み。昆明にて

▲繁華街の一角に残る古い街並み。昆明にて

募る市民の不安

 つまり、いかに秦光栄氏の発言がまっとうでも、いまや「時すでに遅し」という感は否めない。実際、中国のブロガーやネットユーザーたちの間でも、「なぜ今頃になって言うのか?」という疑問の声が上がっている。秦氏は1999年に雲南省党委員会の常務委員や政法委員会の書記になって以来、ずっと雲南を離れていない。その間、2007年に仇和氏が市の党委員会の副書記に就任して以降の例も含め、歴史的、文化的コンテクストを無視した昆明の乱開発は嫌というほど目にしてきたはずだ。
 筆者は昆明滞在中、地元で生まれ育った知人と昆明市内を車で移動する際、彼らから昆明で進む急速な都市開発がいかに無節操であるかを聞かされた。昆明は山に囲まれた街で、市街地の中にも丘陵地がある。そこに突如出現したという高層マンション群を指し、あんな崩れやすい傾斜に建てて、果たして安全なのだろうか、とぼやいていた。
 また、中国の都市部の例に漏れず、少し前までは不動産価格の値上がりも激しかったようだ。かつては辺鄙で家賃も安かったことから、若手芸術家などがアトリエに使っていた山沿いの低層マンションも、その後、価格の急騰で、一般市民の住めるところではなくなった、とのことだった。外国人デザイナーが改修を手掛けた結果、自然の豊かな高級住宅地としてもてはやされるようになったからだ。かつて住民を苦しめた急な坂も、マイカー族にとってはたいした苦ではないらしい。
 つまり地元の市民も急速な都市開発の行方には近年ずっと不安を覚えていたはずで、彼らからすれば、秦氏の発言も、「何をいまさら」というところだろう。

背後にあるもの

 上層部の利権が絡む、本来なら解決が困難な問題で、突然「理屈が通った」時、気になるのは政争の存在だ。
 秦氏が今回、やり玉に挙げた昆明市委員会副書記の仇和氏は、そもそも大規模で人権をないがしろにする強硬な取り壊しの首謀者としてだけでなく、高圧的な政治手法でも物議を醸してきた人物だった。病院と教育の民営化改革を推し進め、35の企業誘致グループを全国に派遣するなどの、大胆な経済政策を推し進める一方で、贅沢禁止令的な規則も実施している。結婚披露宴のテーブルは最大8脚までに限り、それを越えたら罰金。官僚に至っては5脚まで、などという条例の実施により、地元で論争を巻き起こしたこともある。その手法は目先の利益や効率ばかりを考えた強引さによって、しばしば非難を浴びてきたようだ。
 そして、忘れてならないのは、昆明市の上層部と重慶市のトップだった薄希来氏とのつながりだ。そもそも、薄希来と仇和の政策は、しばしば「薄希来現象」、「仇和現象」として並置、比較されて語られてきた。その改革はいずれも最終的に否定されるが、2人が西部地区の改革のためにしのぎを削るライバル同士でもあったことは間違いない。
 そもそも秦光栄は、かつて薄希来に対する支持を熱心に表明したとされている。何より、起訴される直前の薄希来氏の最後の視察先が、昆明だったことは有名な話だ。2012年2月、薄希来氏は昆明郊外の滇池を訪れ、シベリアから越冬に来たカモメに餌をやったのだった。因みに滇池は、環境保護を後回しにした乱開発によって、市民の議論の的となっている場所でもある
 香港の『東方日報』によれば、山西省党委員会書記の袁純清は『人民日報』に寄稿し、今回の「6つの反省」は薄希来の失脚によって昇進が望めなくなった秦氏が「開明の士」を装い、「自分に逃げ道を残すため」の策だろう、と論じている。これは憶測に過ぎず、しかも調査不足で原文が確認できていないので恐縮だが、氏の発言が薄希来氏の公判の直前であることなどを考え合わせると、その論は一定の説得力を持っている。

さらなる乱開発への懸念

 結局、都市のあり方をめぐる重要な告発も、単なる飛び火した政争の表面化であり、政治家の保身のためのツールに過ぎないのだろうか?
 もっとも、ツールはある程度本来の効果も発揮したようで、『南方週末』によれば、2013年の都市計画関連の規制はすでに明らかに往年より強化されているという。
 だが、同紙が文末で引用している昆明理工大学教授、朱良文氏のコメントは、やはり不安を覚えされるものだ。氏によれば「秦書記が山水のコンテクストに言及した後、ある土地を手に入れたデヴェロッパーは、風水師を呼んで風水を見させた」という。氏はかつて政府が観光関連の創業を支援した際、結局それが不動産開発に終始した例を挙げつつ、今回の「反省」も開発側に商業利用される可能性が高いと懸念する。「デヴェロッパーはこれを機に、いっそう滇池と山水を利用し、観光関連の不動産開発を行うことで、自然環境を破壊するかもしれません」。
 この段階になると、乱開発に対抗できるのは、もはや市民側からの根気強い働きかけしかないのだろう。だが、沿岸地区の大都市と比べ、内陸ではまだまだ都市景観の保護をめぐって市民がアクションを起こすことは少ないようだ。
 古い街並みをめぐる情報を探していた時、インターネット上に、「近代的な大都市の北京でさえまだまだ古い街並みが残っているのに、なぜ僕らの成都には何も残っていないのだろう?」という書き込みがあり、共感を集めていた。成都などの大都市はもうかなり手遅れでも、まだまだ内陸部には伝統的な美しい街並みや自然環境が残っている。成都市民の疑問の声が、無念の「ため息」で終わらず、「まだ間に合う保護」への取り組みに繋がることを祈るばかりだ。

コラムニスト
多田 麻美
フリーのライター、翻訳者。1973年静岡県出身。京都大学で中国文学を専攻後、北京外国語大学のロシア語学科に留学。16年半の北京生活を経て、2018年よりロシアのイルクーツクへ。中国やロシアの文化・芸術関係の記事やラジオでのレポートなどを手がける。著書に『老北京の胡同』(晶文社)、『映画と歩む、新世紀の中国』(晶文社)、『中国 古鎮をめぐり、老街をあるく』(亜紀書房)、訳著に王軍著『北京再造』(集広舎)、劉一達著、『乾隆帝の幻玉』(中央公論新社刊)など。共著には『北京探訪』(愛育社)、『北京を知るための52章』(明石書店)など。
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