北京の胡同から

第63回

映画『黒四角』に込めた思い/奥原浩志監督インタビュー

 日々緊張の度を増す日中関係。それは北京で表現活動をする日本人たちにとっても、いまや無視できないテーマとなっている。
 そんな中、『タイムレスメロディ』、『青い車』などの作品で知られる映画監督、奥原浩志氏が、日中の映画界の精鋭を結集し、気になる新作『黒四角』を発表した。(公式サイト
 時空を超えたせつないラブストーリーを演じたのは、陸川監督の『南京!南京!』での熱演が話題を呼んだ中泉秀雄と、オーディションによって抜擢された新進女優の丹紅。
 残念ながら中国での公開はまだ実現していないが、北京のアート空間、TAMで行われたその試写会は、北京の映画ファンの間で大きな話題を呼んだ。5月17日からはいよいよ日本各地でも公開される。
 今回は、そんな『黒四角』の制作をめぐり、監督の奥原浩志氏にお話をうかがった。

映画『黒四角』より(奥原浩志氏提供)

▲映画『黒四角』より(奥原浩志氏提供)

『黒四角』あらすじ
舞台は北京郊外の芸術家村。さまざまなアイディアをもったアーティストたちが集住する、質素だが自由な空気に満ちた空間で、売れない中国人画家のチャオピン(陳璽旭演)と日本人アーティストのハナ(鈴木美妃演)は、恋人同士、仲良く暮らしている。ある日、チャオピンは、空中を飛ぶ不思議な黒い四角を追いかけたことがきっかけで、記憶を失った男、仮名「黒四角」(中泉英雄演)と遭遇。その男はチャオピンやチャオピンの妹のリーホア(丹紅演)、そしてハナの誰もが「どこかで見た」と思う存在だった……。

奥原浩志監督(撮影:張全)

◀奥原浩志監督(撮影:張全)

●2008年に文化庁のプロジェクトの一環として、北京での活動を開始されたということですが、今回、日本でも中国でもいろいろと議論を呼びやすい戦争というテーマをあえて扱ったのはなぜでしょう?

──まずはやっぱり、中国で最初に撮る映画なので、逆に一番難しいところをやってみようかな、と思ったからです。あと、今回は自分で資金を作って撮った映画なので、こういう時にしか、もしかしたら今回のような描き方はできないかもしれない、とも思いました。あともう一つの理由としては、上映についてはたぶん日本での公開がメインになると思ったので、日本の単館の映画館での公開や興行の面からみても、話題を呼びやすいテーマにしなければ、ちょっと厳しいというのがありました。

●ご自身の体験にも、日中の関係とか戦争などに思いを馳せるきっかけなどはあったのでしょうか。

──それは、こちらに来てからですね。今ほどじゃないにしても、映画を撮っていた頃、日中の摩擦みたいなものは、僕が初めて行った頃よりは激しくなってきていました。そんな中、一番の原因というのはやっぱりあの戦争にあるわけですよね。だったら、やっぱりそこから考えないと、今の日本と中国の関係というものも考えることはできません。あともう一つは、中国で友達などができてくると、普段はみんなほとんどしないんですが、酒飲んだ時に、結構戦争の話が出てきたりする。そういう時、逃げずにちゃんと議論したいな、と思ったんです。でも、それにはこっちもちゃんと勉強しなくてはいけない。それで、いろいろ本とか読んだりしている内に、変な言い方ですが、だんだんと興味が出てきました。つまり、今の北京にいる自分と、あの時の戦争というのが地続きで続いている感じがしたんですね。そういう経緯で、あえて戦争というテーマを選んだわけで、自然な感じで扱うようになったんです。

映画『黒四角』より(奥原浩志氏提供)

◀映画『黒四角』より(奥原浩志氏提供)

●作品を拝見した時、やはり北京に住んでいる監督ならでは、といいますか、基本に人間関係をめぐる実感があるように感じました。つまりテーマを選び、描いていく時に、ヒューマンな、人と人のつき合いというものを、すごく前面に押し出しているな、という感じがしたんですけれども、そこら辺は意識的にそうされたのですか?

──それはそうですね。やっぱり関心があるのはそこですから。戦局がどうなったとか、そういうことにはほとんど興味がないんです。あれだけ戦争は全国で展開されたけれども、でも一人の兵隊にとってみれば、個人的な体験に過ぎなかったはずです。そもそもその体験を大きく広げて描けるような資金もなかったし、何か一点に集中させなくてはなりませんでした。ならばやはり、一人の兵士が体験したことを考えてみよう、と思いました。

●でも作品の主人公は、一人とはいえ、母親が中国人だったり、妹と二人暮らしだったり、画家を志したりと、わりと多様な要素を持っていますね。

──実際に中国に来ていた兵士たちの手記みたいなものをなるべく読んだんです。すると、書いている人はもちろん、書き手の戦場での戦友の話なども出てくるじゃないですか。そうするとやっぱりいろんな人がいるわけです。彼らのほとんどが、戦争に行きたくて行ったわけじゃない。みんなそれぞれ背景があったんです。具体的に誰かモデルがいたりするわけではないんですが、その中には今回の主人公のような人がいてもぜんぜんおかしくありませんでした。

●やはりいろいろと考えさせる存在ですよね。血縁って何だろう、国籍や時代の違いって何だろう、と。

──中国に来るまではあまり意識したことはなかったんですが、やっぱり中国のような国にいると、個人と国家との関係とかについて、すごく考えさせられることが多いんです。戦争ってほんと、国の大事業じゃないですか。その中に個人というのはどう関わっていくものなのか。そういうことをよく考えました。

映画『黒四角』より(奥原浩志氏提供)

▲映画『黒四角』より(奥原浩志氏提供)

●作品の中では、友情とか、絵画への情熱とか、異性に対する愛情とか、そういうものが人と人をつなげる大事な要素になっていると思います。しかも作品の中では、次の世代は平和につきあっていますよね。結構、未来志向なのかな、という感じがしたんですが。

──でも、これから先は分かりません。撮っている時のイメージというのは、二つの時代、そしてもう一つ小説の中の世界というのが出てきて、それが並行してずっと存在している、というものでした。時間軸にそって時間が流れていくというよりは、いろんな世界がパラレルに並んでいるような感覚で、撮る時は撮ったんです。

●いろんな人生があって、それぞれが偶然交錯している、という感じですね。出会うタイミングや場所は、時代や状況によっていろいろですが。

──ある時は戦争し合わなければならないのに、ある時は平和に一緒に酒を飲んだりしている。それは彼らにはどうすることもできないんです。けれども、本来の人間関係というものはそうではない、ということを、彼らはかりに戦時下であっても感じながら生きています。たとえ相手が中国人ゲリラであったとしても、本来なら友達になれるはずの男だった、ということはあり得ます。口には出さないにしても、です。けれども、当時はなれなかった。そういう事実に目を向けてほしいです。それが果たしていいことなのか、悪いことなのか、と。なので、未来志向っていえば未来志向ですね。反戦映画ですから。

映画『黒四角』より(奥原浩志氏提供)

映画『黒四角』より(奥原浩志氏提供)▶

●「黒い四角」なんですが、作品の中では、どのような位置づけなのでしょう。何か「黒い四角」に込めた意味があれば、お聞きしたいんですが。

──あれをどう扱うかについては、わりと考えました。「黒い四角」を登場させ、そこから人を出そう、というアイディアはもともとあったんですけれども、ただあまりにも抽象的なので、映画の物語とどのように馴染ませるか、というのが大事でした。
 一番分かりやすい例をいうと、『2001年宇宙の旅』っていう映画がありますよね。あれはものすごく象徴的なものとして黒い板がドーンって出てきて、そこから物語が始まっていきます。でも僕は、あんまりあの「黒い四角」自体に意味を持たせたくなかったんです。あれは何だろう、ともあまりお客さんに考えさせたくなかった。いかに「黒い四角」の重みを軽くしていくか、と考えた結果、たまたま見かけた絵があって、というような導入部分を作って、スッと入れるようにしたんです。

●確かにそうですね。戦時下の中国に端を発する、時空を超えた愛情がテーマなので、すごく奇想天外な要素もあるのに、実際にはそれをあまり感じさせません。実際のトーンは全体的に静的でシンプルな構図に支えられていて、ディテールもむしろ芸術家たちの日々の暮らしぶりを感じさせるものです。

──2008年に北京に来た時、友達が住み始めたこともあって、北京郊外の宋荘に遊びに行くようになりました。そこにいるのは美術をやっている人ばかりだったので、最初のうちは彼らと飲むことが多かったんです。すると皆、お金の話ばっかりするんですよ。誰か一人、描いた絵が流行り出すと、みんなその真似をしだしたりする。ものすごく分かりやすいし、自分の欲望にストレート。それも面白いな、と思ったんで、その辺も普通にある光景としてちょっと描いてみました。

●そういう面白い傾向を、悪いものとして皮肉るのではなく、すごく自然に描いていますよね。芸術家村に住んでいるという設定の日本人の女の子についてはどうですか?

──少し前ですが、実際にああいう方がいました。実際には鈴木美妃さんというプロの女優さんが演じてくれたんですが、彼女の話を聞いていても、演じられた役と似た経験をされているようです。

インタビューを受ける奥原監督(撮影:張全)

◀インタビューを受ける奥原監督(撮影:張全)

撮影にあたって

●映画ではいろんな俳優さんを使われていると思うんですが、撮影を進める中でいろいろと変わっていったこと、撮りながら練っていった部分などはありますか?

──もともと僕はわりと、映画がどっちの方向に行くか、というのはどうでもいいんです。もちろん、撮影は最初に脚本を書いてから始めるんですが、演じる人によって結果は全然違ってくるものなので。
 撮影が終わった後、チャオピンの役をやった陳璽旭と飲んだ時に、彼は僕に最初に脚本を読んだ時の印象を「この役は本当は僕じゃなく、全然違う人を考えていたんじゃないですか」と語ってくれました。確かにそうなんだけれども、でも、陳璽旭がチャオピンを演じてくれたから、この映画はこういう風になったわけで、もし他の人が演じていたら、この映画はもっと別の方向に向かっていたかもしれない。別にそれはどっちでもよかったと、そういう考え方をしているんです。

映画『黒四角』より(奥原浩志氏提供)

▲映画『黒四角』より(奥原浩志氏提供)

●正直な印象として、今回の作品に出た中国の役者さんはすごく勇気があるな、と思いました。もちろん、いい演技をすれば最終的には認められるにしても、短期的には、日中関係の特殊さから、役者として今後中国で活躍するのに不利にならないかと、考えてしまったと思うんですが。

──それは人によるんじゃないでしょうか。基本には、やっぱり演じたいという欲求がみな役者さんにはあって、それで出てくれたんだと思います。とくにチャオピンを演じた陳璽旭は、すごくいい役者さんで、自分の考えもはっきりと持っていました。中国の人にはある意味、粋なところがあるじゃないですか。「政治的なことはどうでもいいんだ、とにかくやってみようぜ」みたいな。

映画『黒四角』より(奥原浩志氏提供)

映画『黒四角』より(奥原浩志氏提供)▶

●作品やチームが良かったら、受け入れられる、ということですね。

──陳璽旭は舞台演劇の方がメインなんで、わりとそういう、仲間で作品を作っていく過程に慣れていて、そういうのが好きなんだと思うんですね。あと、何か新しい事をやってみたい、という気持もあったようです。

●カメラマンさんなどは日本から来られたということですが、日中のスタッフの間で言葉の壁などはありませんでしたか?

──もちろん、直接言葉でやりとりできたら、それに越したことはないですが、でも、撮影してみて逆に思ったのは、言葉はそんなに問題じゃない、それよりもっと大きいのは言葉以外の部分ではないか、ということでした。例えばカメラマンにしても、やっぱり日本の映画のスタッフってものすごく真面目だし、すごく自分から動いて働くんですね。でも、こちらでは身分にまつわる権利意識、権力意識が強いので、上の人間であるカメラマンが部下の助手さんに率先して荷物を持つことはあり得ないんです。そんな中で日本のカメラマンがどんどんと率先して持つと、周りのスタッフも、だったら僕らも頑張らなくちゃ、みたいな雰囲気になる。そういうふうに伝わっていくものがあって、むしろそっちの方が言葉より大事なのかな、と思いました。

映画『黒四角』より(奥原浩志氏提供)

▲映画『黒四角』より(奥原浩志氏提供)

北京で映画を撮る

●北京で映画を撮ったことで、何か収穫のようなものはありましたか。

──他の人のことはよく分からないんですけれども、僕は作品作りについての考え方がちょっと変わったな、と思いますね。一つは、どう伝えるか、どう分かってもらうか、についてです。日本で撮って日本のお客さんに見せていた時は、映画を撮る自分とお客さんとの間にあらかじめ了解事項がいっぱいありました。だけど北京では、了解事項がない世界を見せて行かなければいけない。その結果、わりと普遍的なテーマに興味をもつようになってきました。その点が変わったなあ、と思います。
 あともう一つは、この『黒四角』を撮ってから、中国や日本に限らず、もうどこでも映画は撮れるんじゃないかという、そういう自信を持つことができました。

●中国で映画作りをする魅力などはありますか?

──僕は外国人なので、目にするものへの興味の持ち方が、ずっと住んでいる人とは違うと思うんですね。だから風景であれ、人であれ、新たに発見することが多いですね。そういう意味で面白いです。

奥原監督(撮影:張全)

▲奥原監督(撮影:張全)

●今回の映画ではどこにその発見が反映されていますか?

──やっぱり一番最初に宋荘に遊びに行った時の感じが、一番強く影響しているかもしれません。その頃はまだ言葉がぜんぜん話せず、知り合いもいなかったので、一人で投げだされたみたいなものでしたから。だからこそ、宋荘の風景もちょっとSFっぽく見えたんですね。そういう発見、つまり日本だとなかなか生まれないような発想が、北京にいると生まれてきたりします。
 僕は40歳近くになってから来たわけですし、それまでずっと日本で映画を撮っていたので、自分が変われる部分というのは、もうそれほど大きくはありません。だから、自分のやり方でやりながら、土地や人に委ねられる部分を委ねていきます。そういうバランスの取り方を、北京で学んだ気がします。

●次にはどんな作品を予定していますか?

──自分の企画ではありませんが、今、人から頼まれた日本での企画に取り組んでいます。でもそれにも、中国で一本撮ったという経験は反映されてくると思います。
 いずれにせよ今、中国で日本の監督が映画を撮るのはけっこう厳しいですね。『黒四角』みたいな映画なら、勝手に撮ってしまえばいいのでまたできるんですが、中国の映画館での上映許可が下りるような映画は、撮るのが難しいです。

●かりに上映許可が下りても、3日前に突然、上映中止になってしまったりします。

──そうなんです。だから資金調達の問題もあって、ちょっと撮るのは危険なんです。

●ぜひ、土壌が整って、外国人監督でも撮りやすいようになって欲しいですね。今後も拠点は北京に置かれるんですか?

──そうですね。今、家があるのが北京なので。最近は日本と中国の間をわりと行ったり来たりしているんですが、1カ月くらい日本にいると、不思議と北京に戻りたくて仕方がなくなっちゃうんです。日本にいると、ちょっと緊張するんですね。(完)

コラムニスト
多田 麻美
フリーのライター、翻訳者。1973年静岡県出身。京都大学で中国文学を専攻後、北京外国語大学のロシア語学科に留学。16年半の北京生活を経て、2018年よりロシアのイルクーツクへ。中国やロシアの文化・芸術関係の記事やラジオでのレポートなどを手がける。著書に『老北京の胡同』(晶文社)、『映画と歩む、新世紀の中国』(晶文社)、『中国 古鎮をめぐり、老街をあるく』(亜紀書房)、訳著に王軍著『北京再造』(集広舎)、劉一達著、『乾隆帝の幻玉』(中央公論新社刊)など。共著には『北京探訪』(愛育社)、『北京を知るための52章』(明石書店)など。
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