北京の胡同から

第65回

北京の文化界の現状をめぐる私見

 最近、北京は日本の人々にとって、以前にもまして「近くて遠い街」になりつつあるようにみえる。北京滞在の日本人にも、帰国者は目立つ。確かに、現在の北京の言論界や芸術界に、十年前のような期待感や活気はない。表現の自由をめぐる日本での報道を見る限り、北京の常識は日本とかけ離れていく一方にも見えるはずだ。
 だが本当にそうなのだろうか。

制度上の不自由と心の自由

 まず、最悪の面から語ると、現在確かに北京の一部の知識人たちに対する弾圧は、ここに長く住んでいる人間でも信じられないほど厳しい状態にある。実際、ごく平和的で地道な啓蒙活動を行っていた私の友人も、最近2カ月ほど拘束された。拷問を受けながら尋問され、外部との通信もすべて監視されたという。もともと政治運動とは距離を置いていた人だったため、その後幸いにも釈放され、今でこそ本人は「拘束も面白い経験だった」と笑っているが、油断はできない。どうもその友人は今もある種の監視の下にあるようだからだ。
 もちろん、こういった動きは、中国国内では報道されない。よほどの著名人でもない限り、国外でも報道されない。つまり、その拘束はごく親しい友人にしか伝わらない。親しい友人でも、拘束中にどんな待遇を受けているかまでは分からない。つらいのは、そんな時、どんなに友人のことが心配でもむやみには騒げないことだ。なぜなら、自分はもちろん、自分とつながっている他の人間まで渦中に投げ込むことになりかねないからだ。ただ、不当な拘束であることが一日も早く証明されることを祈るしかない。
 そういう意味では、一般的な通信手段を用いていて、他人とつながっている誰もが毎日、中国では多少なりとも監視下にあることになる。
 だからといって、すべての人間が委縮してしまっているわけではない。少なくとも私はそう感じる。
 むしろ、人は自由な表現を制限されてこそ、限られた範囲でできる限りのことをしてやろう、いろんな新しい手を試してみよう、というチャレンジ精神に燃えるものだ。芸術文化関連の直接政治に関わらない表現なら、なおさらチャレンジの自由度は大きい。彼らを資金面、ハード面で支える存在も、多くはないまでも、しっかりと存在している。
 明日はどうなるか分からないが、とにかく今できることをやろう、という彼らのエネルギーには、ときに感動すら覚える。そういった表現者の存在に惹かれ、北京であえて創作活動を行っている西側諸国出身のアーティストも少なからずいるほどだ。
 逆説的だが彼らはよく、北京では表現の自由が制限されているはずなのに、心はむしろ自由になる、という意味のことを言う。自由にはいろんな種類があり、危機に瀕してこそ、その意味は深く模索され、享受されるものなのだろう。
 その模索はひいては「人間や社会にとって大事なものは何か」をつきつめて考えるきっかけにもなる。それゆえか、一見不自由な環境にある人ほど、社会の表層的な変化や圧力に惑わされない、独自の確固とした価値観を身につけていることが多いようだ。
 中国で最近、宗教に心の拠り所を求める者が目立つのも、その模索が行きついた結果なのかもしれない。親しい友人の範囲に限っても、一線で活躍するアーティストが、同時に極めて敬虔で実践的な仏教信者でもある例を、私は三つ知っている。在家居士として年に数回、寺で1カ月の修行をする現代アート作家もいれば、剃髪し、山寺にこもって修業を始めてしまったミュージシャンもいる。

つながる人々

 つまり、どんなに政治や外交の世界が荒れようと、北京でも志ある人々は自分なりの価値観を追求しつつ毎日を過ごしているわけで、しばしばクリエイティブな活動にも参加している。
 そんな様子を目にした時に感じるのは、人と人のつながりが、仮想とリアルが入り混じる中、以前にも増して複雑になっていることだ。
 とくに、微信をはじめとする通信手段の発達は、イベント活動を以前より多様で活発にしているようだ。私も友人やネットの呼びかけに応じ、文化関係の講演や対談を何度か聴きに行ったが、会場はいずれも主催者が予想した以上の大盛況で、椅子の間隔を極限まで詰めた上、座席のない聴衆がずらりと周囲に並ぶありさまだった。
 ある日など、国営や民営の企業に務めるごく普通のホワイトカラーたちが、好きな小説の作家をめぐる著名人の対談のために、大気汚染をもものともせず、繁華街にあるわけでもない講演会場まではるばる足を延ばし、2時間立ち続けで話に聴き入っていた。
 そういう場の熱気に身を包まれると、私は自由な討論や交流の場を人々がいかに切望しているかを、身にしみて感じる。質問タイムにはたいてい次々と手が挙がり、個性的な質問や感激の言葉がどんどんと投げかけられる。

ある文化イベントの会場

▲ある文化イベントの会場

 誰でも聴きたいのは本音だから、本音が聴けそうなイベントほど人気は高い。だが当然、そんな場ほど監視の目もある。だから、話題がタブーぎりぎりのところまで行くと、暗喩やほのめかしが駆使され、聞く方も手に汗を握る。
 発言の内容や影響力が最低許容ラインを越えると、活動は縮小させられたり、継続できなくなったりもするが、抑圧しすぎると、人々の集会や言論の自由への渇望はむしろ高まってしまいかねず、さすがの当局もそれは知っているはずだ。つまり、ネット空間が存在する限り、こういった文化活動を完全に抑え込むことは不可能だといえる。
 もちろん、自由度は分野にもよる。社会派のインディペンデント映画祭などの上映会は、北京ではまだまだ厳しい。だが、上述のような小規模な文化イベントであれば、ネットワークを含む土台の部分は、決して消えることはないばかりか、むしろ強化されているように見える。プロモーションなどの商業ベースにある程度載せれば、イベントの実現はより容易だ。

強まる統制の影で

 こういった活動の数については統計があるわけではない。大勢としては、多くの中国ウォッチャーも語っているように、ここ数年、中国の言論統制は強まるばかりだ。だが逆からみれば、それは当局側に弾圧を強めるべきだと考える根拠があるから、ということになる。となると、やはり民間に何の目立った動きもないと考える方が不自然だろう。
 もちろん、そういった動きに抱く「希望」は往々にして完全に裏切られる。民主や言論の自由といった政治と直接関わる権利のために闘っている人々にとってはなおさらだ。だが、かといって北京では厳しい監視の下、自由なイベントはほとんど行われていないのかというと、そうでもない。静かにみえる水面の下では、筆者の知る範囲でも環境や文化財保護や文学や芸術に関わるさまざまな人々が各自の活動を繰り広げており、そこから明るい希望を感じることも多い。
 こういう北京の微妙に拮抗する空気をぜひ日本にも伝えたいとつねに思っているが、なかなか難しい。最大のジレンマは、希望を感じる大胆な活動や動きほど、当局の彼らへの干渉を避けるためにも、紹介の仕方が限られてしまうことだ。
 ささやかな文化活動や独自の表現活動を行っている人々は往々にして弱者で、国内で孤立したり弾圧されたりしても海外から支援を受けられるほどの影響力や勢力はもたない。孤立しても闘い抜けば影響力が高まるかというとそうでもなく、むしろ活動が不自由になるだけの場合も多い。そのため、彼らの大半は目立たない草の根に徹したり、抜け道を探したり、コマーシャリズムの仮面をつけたり、当局と妥協したり、あえて政府内部に籍を置いたりしながら活動している。
 そんな彼らにとって海外メディアの不用意な報道は、援助どころか致命傷となりかねない。ささやかな活動に懸命に従事している人たちの志が、過度の政治的色付けをされることによって水泡に帰すのは忍びない。そのため、この記事がきわめて具体例に乏しい内容となってしまったことについても、事情をお察しいただければ幸いである。

コラムニスト
多田 麻美
フリーのライター、翻訳者。1973年静岡県出身。京都大学で中国文学を専攻後、北京外国語大学のロシア語学科に留学。16年半の北京生活を経て、2018年よりロシアのイルクーツクへ。中国やロシアの文化・芸術関係の記事やラジオでのレポートなどを手がける。著書に『老北京の胡同』(晶文社)、『映画と歩む、新世紀の中国』(晶文社)、『中国 古鎮をめぐり、老街をあるく』(亜紀書房)、訳著に王軍著『北京再造』(集広舎)、劉一達著、『乾隆帝の幻玉』(中央公論新社刊)など。共著には『北京探訪』(愛育社)、『北京を知るための52章』(明石書店)など。
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