北京の胡同から

第70回

胡同空間をクリエイティブに再生

tada7004

▲「北京ONE国際パフォーマンス芸術ウィーク」の出品作品

 長らく東北関連の話題が続いてしまったが、本コラムの主要な舞台である北京の胡同が話題に欠けている、というわけでは決してない。この冬も、胡同のあちこちにあるクリエイティブなスペースで、展覧会や上映会、ライブなどの活動が活発に繰り広げられている。めぼしいものだけでも参加を、と思っても、とても時間のやりくりがつかないほどだ。
 想像性へのチャレンジは特別なイベントだけに限らない。生活の場を個性的なアイディアに満ちた快適な空間にする地道な試みも、辛抱強く、着実に行われている。

tada7001

◀「北京ONE国際パフォーマンス芸術ウィーク」の出品作品

胡同がギャラリーに

 この秋、胡同をテーマにした芸術祭が開かれ、話題を呼んだ。北京で毎年の恒例となりつつある「北京ONE国際パフォーマンス芸術ウィーク」というイベントが、今年は胡同そのものや胡同の中にある空間をアートの場に変えるという画期的な実験を繰り広げたからだ。(参照サイト
 このイベントの主旨に共鳴した筆者は、後述するような講演者という形で積極的に協力した。だがさまざまな事情から、いくつかの主要なアート・イベントは参観ができなかった。そのため、ここに掲げられるのは長期的に胡同に展示された作品のみだ。だが、これらを垣間見るだけでも、この催しの面白さは十分に伝わるかもしれない。

tada7002tada7003

▲「北京ONE国際パフォーマンス芸術ウィーク」の出品作品

 壁に突然現れるカラフルだがいつわりのドア、さまざまな角度から胡同の風景を映し出すミラー、本来なら硬いはずのレンガを、あえて布のパッチワークで「柔らかく」再現した壁。さまざまな国籍や背景のアーティストたちは、素材である胡同空間に巧みに手を加え、観る者にさまざまな驚き、体験、思考、発見をもたらしていた。

ファッションとしての胡同

 居住空間としての胡同に顕著な、「壁だらけ」という特色を生かした作品があった一方で、一部の胡同がもつようになった商業性と上手に呼応した作品もあった。
tada7005

▲同展、マルセラ・キャンパとステファノ・アヴェサニ「インスタント胡同──『私のカバンを見て』」

tada7006

◀同上、部分

 写真の作品は、近年流行りのバー&ブティック通り、五道営胡同沿いに出現した「インスタント胡同──『私のカバンを見て』」だ。イタリア人アーティスト、マルセラ・キャンパとステファノ・アヴェサニの手によるもので、観客は自由に好きなカバンを手に取り、写真を撮ることができる。だが、カバンのデザインはいずれも胡同に並ぶ伝統的な民家、四合院の一部分ばかりだ。それらを身につけることで、ある者はこう気づくかもしれない。自分は時に、胡同文化を単にある種の「ファッション」として消費しているのではないか、と。一方、胡同の文化に親しんでいる人なら、これらの「パーツ」が本来は、ブランド品に負けないくらいのデザイン力の結晶であることも、思い浮かべることだろう。

じつは未来的な大雑院

 ちなみに、筆者はこのイベントの一環として、「快活的胡同、創意的大雑院(楽しく暮らす胡同、クリエイティブな大雑院)」と名づけた中国語の簡単な講演を行った。内容は、多世帯が同居するようになった四合院、「大雑院」にいかにクリエイティブに住むか、というものだった。
 現状としては、大雑院を「四合院の本来の良さを失ったスラム的空間」として捉えている住民が大半だ。だが実は、捉え方によっては、大雑院には他の居住形態にはない有利な特質もいくつかある。そのため、利用の仕方次第で、大雑院は時代を先駆けた、快適で価値のある空間にもなり得る。そういった主張を基軸としつつ、具体的なイメージが湧きやすいよう、日本の古民家のクリエイティブな活用例もいくつか引用したのだった。
 宣伝不足や平日の午後だったこともあって、聴衆はわずかで、しかも一番聞いて欲しい相手である大雑院の住民はほとんどいなかった。だが幸い、個人の居住空間を多くの人に開放し、共有してもらうことを表す「住み開く」という言葉を紹介した際、ある参加者が強い興味を示してくれ、勇気づけられた。社会や個人が今、住宅に求めている性質には、国境を越えて共通するものが少なくないはずだ、という確信が得られたからだ。

限られた空間を生かす

 もうひとつ、胡同空間の利用に関するもので印象深かったのは、四合院の建て直しやリフォームを専門としている建築家、許義興さんの講演だった。
 すでに「壊す余地」が減っていることもあって、景観保護地区の胡同空間の破壊は近年、鐘鼓楼地区などの例外を除いては、速度を緩めつつある。だが、保護の動きが強まると同時に、高さや容積関連の法規も厳しく適用されるようになっている。そのため、住民たちにとって、伝統住宅としての四合院の価値を残しつつ、その限られた空間をいかに上手に利用するかは、難しいテーマだ。
 そんな中、許さんは日光を十分に取り入れられる地下室や中二階の増築などを設計することにより、限られた空間を快適かつクリエイティブに使う可能性を開拓していた。もちろん、再利用できる古い建材はなるべく生かし、外観もできるだけ伝統的な風格を保つなどの配慮も怠ってはいない。
 興味深かったのは、中二階に畳を敷き詰め、寝室とした例もあるという話だった。言うまでもなく、限られた空間を機能的に使う技は、中国より日本の建築文化においてむしろ顕著だ。日本の建築遺産にも造詣が深いらしき許さんの講演に触発され、四合院の再生において日中の建築家が協力できる余地や可能性にあれこれと思いを巡らせた。

tada7007

◀許さんの講演会の様子

 許さんが手掛けているプロジェクトはすべて小規模ながら手間がかかるものばかりだ。しかも、周辺の住民たちの同意が不可欠なため、長い場合は完成まで十年前後かかるという。つまり率直に言えば、許さんにとって採算的には釣り合わず、いわば伝統住宅をクリエイティブに蘇生させたい、という強い信念がなければ完成しえないケースばかりだといえる。
 そのせいか、現時点では、四合院のデザインを専門としている許氏のような建築家はまだ希少で、四合院のリフォームの大半は、伝統建築の修復を専門とする会社、つまり修復専門の大工さんたちが担っているらしい。
 だが、会場を満たした観客たちの熱気は、同じような情熱を持つ顧客層がゆりかごとなって第二、第三の許さんを生みだしてくれるのでは、と十分期待させてくれた。

コラムニスト
多田 麻美
フリーのライター、翻訳者。1973年静岡県出身。京都大学で中国文学を専攻後、北京外国語大学のロシア語学科に留学。16年半の北京生活を経て、2018年よりロシアのイルクーツクへ。中国やロシアの文化・芸術関係の記事やラジオでのレポートなどを手がける。著書に『老北京の胡同』(晶文社)、『映画と歩む、新世紀の中国』(晶文社)、『中国 古鎮をめぐり、老街をあるく』(亜紀書房)、訳著に王軍著『北京再造』(集広舎)、劉一達著、『乾隆帝の幻玉』(中央公論新社刊)など。共著には『北京探訪』(愛育社)、『北京を知るための52章』(明石書店)など。
関連記事