北京の胡同から

第24回

「青木さん家の奥さん」北京版上演──北京で見つめる「日本人」像

 北京で長く暮していると、よく日本の知人から言われるのが、「日本の文化からも離れないようにね」という趣旨の忠告だ。

 もちろん、それはそれでとても有難いことなのだが、実際は、北京の日本文化をめぐる情報は多くの日本の人が考えている以上に豊富だ。正直なところ、筆者は大相撲も、人間国宝が演じる歌舞伎も、東京以外では鑑賞が難しい日本の小劇場の名舞台なども、北京で生まれて初めて自分の目で観る機会を得た。かつて本コラムでも紹介した通り、2008年の「日本ドキュメンタリー映画交流会」では、日本の優秀なドキュメンタリー映画が一気に6本も鑑賞でき、「観たかったのに見逃した」という日本在住の映画ファンの友人に羨ましがられたものである。

 だが、それらはあくまでも日本からの「直輸入モノ」であって、北京の日本人にとってみれば、日本から送られてきた特上のお土産のようなものだ。そんななか、珍しく、北京を活動の場とする日中のスタッフによって作り上げられた日本像、というものを楽しめる機会があった。日本のミニシアター界では伝説的な作品とされている「青木さん家の奥さん」の北京バージョン「珈琲店的太太(喫茶店の奥さん)」が、北京の胡同内にある舞台愛好者の人気スポット蓬蒿劇場で、2月24日から一週間上映されたのだ。

夢を追う人たち

 北京版「青木さん家の奥さん」の主人公は、アクション俳優を夢見る青年、真二。周囲の演劇仲間がどんどんと有名になって行く中、自分の不甲斐なさに焦りを感じつつ、問屋でアルバイトをしている。バイト先の先輩たちの影響で、「幻のマドンナ」である「青木さんの家の奥さん」に配達をしたい、という願いを抱くが、その夢をかなえるための数々の試練に挑むことで、新たに自分本来の夢をもみつめ直す。

 演出を手掛けたのは、現在北京で喫茶店を開きながら、写真家としても活動を続けている六渡達郎さん。六渡さんの舞台との関わりは深く、長い。東京での大学進学後間もなく、下北沢に通って舞台写真を撮るようになり、その後ありとあらゆる舞台を撮影。劇団の制作を手掛けたり、役者を集めて芝居のプロデュースを行ったりしたこともある。だが、演出を担当したのは今回が初めてだ。

 ではなぜ、敢えて北京で、舞台を演出しようと考えたのか。六渡さんが最初に中国を訪れたのは十数年前。文化交流の一環で中国公演を行った劇団に同行し、記録写真を撮った時のことだ。その後北京に移住するが、北京にも外国人が比較的自由に上演できる小劇場が出来たことを知り、「日本の小劇場を中国国内で紹介したい」と考えるようになったという。

 もっとも、今回が「初舞台」であったのは、演出家にとってだけではない。それは、ほとんどの俳優にとっても同じだった。主人公を演じた黒木真二さんも、その一人。これまで映画やドラマに出演する機会はあったが、「舞台劇は全くの初めて」だったという。

 黒木さんは、中学の時にジャッキー・チェンが好きになり、その頃から「中国で役者活動をする」という夢を抱き始めた。だが、日本ではなかなかその道に踏み出す勇気が無く、北京に来てからようやくそれが実行できたという。

「青木さんちの奥さん」の舞台風景、問屋でイモの皮を剥き続ける真二。

▲「青木さんちの奥さん」の舞台風景、問屋でイモの皮を剥き続ける真二。

 そもそも「青木さん家の奥さん」は演技の負担が大きな作品。しかも、黒木さんを含めた出演者のほとんどに、学校や劇団で舞台専門の訓練を受けた経験がなく、稽古は、基礎の発声練習や動きからスタートせざるを得なかった。これに加え、出演者らには本来の仕事や学業があり、稽古時間そのものを確保することも非常に困難だった。

 だが苦労の甲斐あって、収穫は大きかった。黒木さんは「大勢の人間で切磋琢磨してモノを作る過程はやはり刺激的でしたし、面白かった」と語る。

 夢をつかんで、その実現に向かって真剣にがんばる潔さ。熟練のスタッフが必ずしも生みだせるとは限らないすがすがしさで、今回の舞台が包まれていたのは、演出家や俳優を含めたすべてのスタッフが、作中の「真二」に近い存在であったことと無縁ではないだろう。その夢は各自それぞれであったとしても。

バイト先の先輩から特訓を受ける真二

▲バイト先の先輩から特訓を受ける真二

演じられる日本人像

 作品の中で、舞台は北京に設定されている。六渡さんによれば、敢えて北京を舞台にした理由は、「自分たちが生活の中でリアルに感じ、モチベーションを維持することが出来るようにするとともに、観に来ていただく方々の共感も呼ぶものにしたいと思ったから」。

 もっとも、実は筆者が最も面白く感じたのは、舞台で展開された人間模様が実に「日本人臭かった」ことだ。消えかけた夢を再びつかもうとする真二の「がんばる」哲学。根性を鍛えるため、いじめぎりぎりまで後輩を痛めつける厳しい上下関係。自意識の過剰さを生む「ご近所との関係」。そして、時に行き過ぎで滑稽にさえ見える日本的「サービス精神」。時折、中国のドラマや映画で、誇張された「日本人像」を見て、中国人の目には日本人がこういう風に映るのか、と面白く感じることがあるが、実は日本人自身も、海外生活が一定の時間に達すると、他の日本人をより突き放して観察する習慣がつくのかもしれない。

 そんな外からの視線によって、上のような、どこか可笑しくて、愛すべき日本人像が強く浮かび上がるという効果に加え、その演じ手にも特色があった。舞台では日本人俳優だけでなく、流暢な日本語を操る中国人俳優も2人、起用されていたのだ。

巧みな日本語を操り、日本人の観客を驚嘆させた中国人の于智為さん。

▲巧みな日本語を操り、日本人の観客を驚嘆させた中国人の于智為さん。

 そもそも、本来の脚本自体が、登場人物の掛け合う言葉が微妙にかみ合っていない、など、不条理さに満ちた風格をもつ。その風格が生みだす時空をさらにねじれさせようとするかのように、北京の街にいきなり日本人社会を登場させ、その社会で生きる「日本人像」を、北京在住の日中の俳優によって演じさせる、という試み。その試みには、やや不徹底さも残ったものの、舞台の中の「日本人像」は、こういった挑戦的な設定によって、その客観性、演じられる客体としての性質を強化されていたことは確かで、それがこの舞台に、意外な奥行きをもたらしていた。

次へとふくらむ夢

 気になるのは、中国人の観客の反応だが、「日本語でこだわりたい演劇的に面白い部分を、丁寧に中国語に」という六渡さんの依頼を受けた日本通の中国人俳優、于智為さんの丁寧な中国語字幕のお陰で、中国人観客の反応は日本人とあまり変わらなかったという。

 しかも、舞台を終えた六渡さんを待っていたのは、満面の笑顔で握手を求めてきた中国人の観客だった。「日本語での上演でしたが、日本人に限らず、夢を抱いて北京で生活している人たちへのエールと思って作っていましたから、非常に嬉しかったです」。

 各方面での評判も上々で、六渡さんの元には、再演を望む声が続々と届いている。「本当に楽しい時間を過ごした仲間たちだったので、時間が許すならもう一度集まりたい」と六渡さん。北京で生活をしているため、「今後も日中間のエピソードを織り交ぜた作品を作りたい」と抱負を語る。

 一方、黒木さんは「中国語での劇にチャレンジしたい」という。今回演じたのは全て日本語で、主な観客も日本人、しかも作品も日本の作品を改編したものだったが、次は「全編中国語で、中国人の観客に、オリジナルの脚本を」というのが夢だ。

 自らの夢を見つめ直し、追いかける主人公、真二のように、今回の参加スタッフも今後、それぞれの夢を大きくはばたかせていくことだろう。

息の合った出演者たち

▲息の合った出演者たち

コラムニスト
多田 麻美
フリーのライター、翻訳者。1973年静岡県出身。京都大学で中国文学を専攻後、北京外国語大学のロシア語学科に留学。16年半の北京生活を経て、2018年よりロシアのイルクーツクへ。中国やロシアの文化・芸術関係の記事やラジオでのレポートなどを手がける。著書に『老北京の胡同』(晶文社)、『映画と歩む、新世紀の中国』(晶文社)、『中国 古鎮をめぐり、老街をあるく』(亜紀書房)、訳著に王軍著『北京再造』(集広舎)、劉一達著、『乾隆帝の幻玉』(中央公論新社刊)など。共著には『北京探訪』(愛育社)、『北京を知るための52章』(明石書店)など。
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