梅蘭芳故居に掲げられた題額。揮毫は故鄧小平氏による 昨年末、映画『梅蘭芳』が封切りになった。かの『さらば、わが愛 覇王別姫』で大ヒットを記録した陳凱歌監督が、ふたたび京劇の女形を主人公とする作品を撮った、ということで、公開前から話題が沸騰。決して陳監督の全作品のファンとはいえない私も、昔立ち見で観た『覇王別姫』の感動を再び、と、公開初日にいそいそと映画館に足を運んだ。
 主役は、四大名旦の筆頭に挙げられた名女形、梅蘭芳。作品では、そんな名優の人生の節々がバランスよく描かれていた。師匠であり、最大のライバルであった名優、十三燕(譚鑫培)との舞台上での勝負、男役を演じていた美女、孟小冬とのロマンス、アメリカ公演の成功、そして日本軍からの公演依頼を頑なに拒み続けた戦中の日々。そのそれぞれに印象的な場面があり、類稀な名優の伝記作品としてよくまとめられていた。
 だが残念ながら、内容に関して遺憾な点も少なくなかった。詳しいあらすじは避けるが、戦中の日本兵がきちんと人間として描かれているという積極的な面があるのにも関わらず、最後のエンディングが何とも物足りないのだ。率直に言えば、あまりに梅蘭芳の抗日芸術家としての側面が強調された終わり方だった。これでは、全体がステレオタイプに堕し、観る者に、プロパガンダ映画的な後味を残してしまう。

 この時想い出したのは、昨年公開された馮小剛監督の映画『集結号(邦題:戦場のレクイエム)』。この作品は、国共内戦中の共産党軍の一連隊にまつわる物語を綴ったものだ。絶望的な戦況で、いわば「捨て石」とされ、全滅した連隊。その連隊で奇跡的に生き残った隊長老谷(ラオグー)は、死んだ部下たちの無念を晴らすため、当時、連隊に包囲の突破と撤退を命ずるための軍用ラッパが鳴ったかどうかをつきとめようとする。最終的に判明したのは、本隊を守るため、軍用ラッパは「故意に」鳴らされなかったという事実だった。そもそもはこのことを裁判で訴えるつもりだった老谷。だがやがて、団長が朝鮮戦争で戦死したことや、生前の団長が、内戦中に自らが見殺しにした連隊の事を思い出しては、罪悪感に悩まされていたことを知る。
 ちなみに、雑誌『北京文学』2008年2月号に発表された本作品の原作『官司(裁判の意)』を読むと、この『集結号』の原作が、史実に基づいて事のいきさつを淡々と追っただけの、ノンフィクションに近い作品であることが分かる。これを起伏ある魅力的な脚本に仕上げた作家、劉恒の功績は大きい。
 しかし残念ながら、結末に関しては原作の方がずっと魅力的だ。原作で連隊長老谷は、団長の生前の心の苦しみを知り、彼を許す。そして、複雑な思いを抱えつつ、かつて40年間団長の知らせを待ち続けた山村で亡くなるのだ。だが、映画『集結号』はこうは終わらない。ほぼ存在を抹殺されていた状態から名誉を回復するまでに至った老谷は、連隊の兵士たちとともに、何と烈士として表彰されるのである。原作と対極的な、派手派手しいエンディングは、共感どころか反感さえ催させる。
 馮監督は制作当時、3通りのエンディングを考え、その一つは、かつての部下らの墓に向かおうとしていた老谷が、その途中で、食べかけのマントウを手に凍死する、というものだったという。だが、「観衆は伝説を求める」という劉恒の主張により、馮監督はこの選択を諦めたのだった。
 もちろんこの時、中国国内で発表するための便宜というものも考慮されたに違いない。だが、この改変により、老谷をめぐる逸話は、普遍的な人間の物語から、国家のイデオロギー内の物語へと縮小されてしまった。多くの犠牲を出した戦争を、英雄ではなく、頑固な連隊長という小さな人物を通して描こうとした馮監督の野心は、特に中国においては評価されるべきだと思うが、このエンディングにより、映画が海外の観客にとって共感し難いものとなってしまったことは否めず、何とも惜しい。
 遠回りをしてしまったが、映画『梅蘭芳』から得たのも同じような印象だった。ついでに言うなら、梅蘭芳という人物像についても、その描写や黎明の演技に物足りなさを感じた。梅蘭芳の芸術的、人間的感性の鋭さはもちろん伝わってきたし、結局は彼が周囲にずいぶんと操られていたこと、そして彼の人間的な弱さ、脆さも強く感じられた。それらが、大戦中に一切の公演を拒む頑なな意志と同居していたことは、確かに興味深い。だが、その弱さ脆さがもうちょっと掘り下げられていれば、もっと共感できる魅力的な人間像が浮かび上がったはずだ。
 制作にあたっては、顧問として梅蘭芳の息子の梅葆久氏が関わったという。つまり、遺族への配慮というものがどうしても影響してしまった可能性が高い。近現代の人物を取り上げた映画の限界であろうか。