ウイグル、チベットの伝統文化が弾圧によって危機に瀕していると言うが

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◀浄瑠璃の三味線の棹の比較。手前が義太夫三味線。既に先人が数十年使われ、勘処(ポジション)がすり減れば棹の表面全体を削り、次第に厚み(重ねと言う)が薄くなっている。それでもこの太さである。奥は、常磐津、清元の三味線。常磐津、清元、新内では楽器はほぼ同じだが、糸、駒、撥は大きく変わる。

 この集広舎さんとのお付き合いでもそうだが、最近、中国の弾圧を受けているウイグルとチベットの伝統文化の危機について問われることが増えてきた。正直言うと返答に困っている。ひとつには、なぜウイグルとチベットだけなのか、という思いが素直に返答することを妨げているのだ。

 長い共産主義の悪政下にあったカンボジア、少なくとも文化的には同様の中央アジア、軍政権下にあったビルマ、現在も共産主義の文化統制下にあるヴェトナム、政治的弾圧ではないが、急速な近代化と物質的繁栄を志向する価値観によって崩壊の危機に瀕しているマレーシア、タイ、インド、フィリピン、全く異なる次元だが、イスラム国家としての新興独立国の育成に偏ったパキスタン、逆に経済的・物質的繁栄や発展に乏しいネパール、バングラデシュ、ラオスはどうなのか?
 これらの国々について、同じように伝統民族音楽の現状と行く末について危惧する人がいない。
 幼稚な喩えで恐縮だが、小学校のクラスで「A君がD君たちに虐められていることをどう思うか?」と問われても、私には「B君だってC君だって虐められている」という思いが過れば、返答以前の問題で口籠りたくなってしまう状況と同じ構造だ。もし私が口籠らず思いを正直に発したならば、私に問うた者はこう答えるだろう。「B君は、誰にも話しかけないから、誰も相手しようがない」「C君は、そもそも学校に来ない(その原因が虐めであるという話は聞かない)」。よって、ふたりは虐められているには含まれない、と。 単純に言えば、B君、C君は、D君たちに虐められている訳ではないからに過ぎない。要するに「被害者の被害」と「加害者」が明確でなければ「虐め問題」が生じないかのごとくなのである。

 ここで敢えて極論を述べてしまえば、ウイグル、チベットの伝統文化の危機の本来の被害者は、伝統文化であり、それに命を賭けた先人たちの魂であり、もしかしたら、今の世代がそれを受け継ぎ、受け渡せないならば、今の世代の孫、ひ孫たちであって、被害を訴えている人々ではないはずだ。そして、本当の加害者は、中国(漢民族)以前に、ここ数十年のウイグル人、チベット人、その人たちだと考えられるのだ。まさか、こう述べた途端に「お前は中国(漢民族)を擁護するのか?」とおっしゃるような人はいないだろうが、中国(漢民族)が悪いこと、間違ったことをしていないなどとは言っていないし、言うつもりもない。しかし、この事も頭を過れば、なおのこと返答に口籠ってしまうのだ。

 そもそも「伝統文化」というものの定義は何なのであろうか? そして、誰が何をすれば、それは正しく継承され、誰が何をすれば弾圧なのであろうか? 論理と基準(物差し)が共有できていない以上、問い掛けも返答も空回りになってしまう。それでも「弾圧の問題」を語りたいと言うのであるならば、やはり「被害者の言い分と加害者(犯人)探し」程度の問題意識であると言わざるを得なくなるが、それでよいのだろうか。ものの考え方や価値観は人それぞれであり,自由だとおっしゃることに関して異論を述べるつもりはないが、論理と基準が欠如していることの言い訳にはならない。にもかかわらず、今まで多くの人々が、伝統論を価値観や考え方の話にすり替えて(恐らく意図も他意もなく)ちぐはぐな空論で終わらせてきた。だから「被害者と加害者(犯人)」程度の話し以上に育たなかったのだ。

伝統とは何なのか?

 そもそも、伝統とは何なのであろうか? アジア諸地域における伝統の意味については、いずれ詳しく述べるとして、ここでは身近な日本の場合を例に挙げて説明したい。

 日本の伝統文化の具体例を音楽で挙げるならば、純伝統邦楽とも呼ばれる、長唄、端唄、小唄などの「唄物」と、浄瑠璃と総称される、義太夫、常磐津、清元、新内などの「語り物」、そして別格が、いわゆる「お琴(箏曲)」で知られる地歌であり、「語り物」の別格であろう琵琶楽などだ。
 これらは今日では、一般人にとって敷居が高い格式も品格もある伝統芸能とされているが、それぞれの流儀が誕生した頃は、相当の物議を醸した革新的な芸であり、多くが破廉恥極まりないとされていたものだ。
 そもそも歌舞伎創世記の、出雲(異説在り)の舞姫の時代には、いかがわしい大道芸であった訳であるし、それが禁じられ、男(しばしば少年)が女装して演じるようになればまた禁じられ、男臭く演じることで生き延びるなどの紆余曲折を経て、いつの頃からか「伝統芸能」と呼ばれるようになった。明確に伝統音楽と言われるようになったのは、太平洋戦争以降かも知れない。

 明治維新の後、一時、西洋文明への傾倒に反発して国楽思想の原形が芽生えたことがあったが、日清日露両戦争に勝利して以後は、西洋列強と同格の錯覚が文化観を支配した。
 太平洋戦争が始まって以降に再燃した「国楽思想」は、むしろ日本固有の伝統的音律が、西洋音律に当て嵌めると「音痴」であるという驚くべきコンプレックスから生まれたもので、「西洋音律を用いた自慢できる日本音楽の創造」が大命題であった。
 そして、私の長唄の師匠から伺った苦労話によれば、戦中は「お能」以外はことごとく規制弾圧され、やむなく「お能」に混ぜてもらい邦楽感を錆させないようにしていたという。

 これらのことから、戦前においては「伝統音楽」という認識評価が主流であったとは思えない。義太夫、常磐津、清元、新内などの浄瑠璃の場合は、そもそも不倫不貞で駆け落ち、心中、本妻が愛人を恨むや殺すなどが人気を博したテーマであり、実際の演者の実生活もそれに似たようなものが少なくない。もちろん、そのような芸能に命を捧げた者もいれば、そのような人生観を命を賭して表現した者もいれば、それらの負い目から芸や作品に心血を注いだ者も多いが、ここではその功績について詳しくは述べない。
 言うなれば、今日、日本の伝統芸能、伝統音楽と呼ばれているものが、世間に伝統的と呼ばれるようになったのは、その長い歴史の中でつい最近のことなのだ。しかし、これは担い手たちにとっては大きく異なった。彼らはきっと江戸時代の創世記において既に「伝統」の意識を持っていたに違いない。日本の場合それは「流儀」や「流派」といった概念の存在で、他のアジア諸国の群を抜いて顕著に見ることができる。