バウルの便り

第08回

タマリンドの木の下で一人の修行者が瞑想していた

 雨が降り出しました。乾燥し強張っていた大地は水を含みしなやかさを取り戻し、土埃を被っていた木々たちは緑の色美しく洗われ、沐浴後のように緊張をほぐし麗しげに見えます。そして枝枝を天に向けてぐうっと背伸びをしています。雨季の始まりです。新しい枝が、新しい葉が、次から次へと生まれ、ぐんぐん育ち鬱蒼と生い茂っていきます。庭を歩けばハイビスカスの花が肩を突き衣服を濡らします。田植えも始まりました。水田は水を湛えています。この時期の夕暮れの雲は、晴れていれば淡いパステルカラーの黄色、水色、ピンク、菫色に層を成し染められていきます。そして、まるで遊び疲れた子供が家に戻るように大地から姿を隠して行く太陽は、華奢な光を留別の挨拶のように投げかけ、池や水田の水面を輝かせます。

 過酷だった炎暑が終わり、人々も一息つきます。眠れない夜は去りました。とはいえ、自然は快適さばかりを与えてはくれません。今度はじめじめした不快な蒸し暑さが続きます。
 こういう暑い時、こちらではタマリンドの豆ざやを使って酸味のある料理を作ります。食欲が増し、身体にも良いそうです。このタマリンドの木は小さい無数の葉をつけますが、それにまつわるこんなお話を師から聞いたことがあります。

 タマリンドの木の下で一人の修行者が瞑想していました。身体に付けているのは腰に巻いた一枚の布だけで,のび放題の髪は頭のてっぺんで結われていました。身の回りの物と言えば寒い日に使う薄い毛布が一枚、敷物として使われているだけです。通りがかりの信心深い人たちが食物を差し出してくれた日はそれを取り、それが無い日は、「全ては神の思し召し……」と食べずに過ごしました。12年の修行期間が完成されるまで数日を残すばかりとなったある日、修行者の前を神界の聖者ナロードが通りがかりました。
 「おお、なんという光栄だろうか! ナロード様が私の前に現れてくださった。長年の修行の成果が現れたのだ。私が悟りを開く日も近いかもしれない。神ナラヤンの使いであるナロード様なら、きっとその日がいつか御存知のことだろう、そしてこんな機会は二度とないかもしれない。ナロード様に尋ねてみよう」と考え、聖者ナロードを呼び止めました。
「ナロード様!!」
 修行者の思いを察した聖者ナロードは言いました。
「修行者よ、ずいぶん長い年月この木の下に座っておられると見えるが、私に何か聞きたいことがおありかね?」
「はい、ございます、ナロード様。あと何年瞑想を続ければ、私は悟ることが出来るでしょうか?」
聖者ナロードは答えました。
「修行者よ。悟りを開くには、あなたが座っているこのタマリンドの木がつけている葉の数と同じ年数がかかるであろう。」
 ──ということは、今生で悟るどころか何回生まれ変わって来ないといけないか知れないではないか。
 それを知った修行者は肩を落とし、たった一つの持ち物である敷物の毛布を肩に掛け木の下を去って行きました。
 そのタマリンドの木からそう遠くない所に、もう一本大きなタマリンドの木がありました。その木の下にも、一人の修行者が座っていました。その修行者もまた、あと1日で12年の課程を終えるところでした。聖者ナロードはその木の下にも現れました。そして、一心に瞑想している修行者に声をかけました。
「修行者よ、ずいぶん長い年月瞑想していると見えるが、後どれぐらいで悟りを得られるか知りたくはないかね?」
 修行者は恭しく礼拝し答えました。
「ナロード様。神の恩恵により、あなたの姿を拝見できましたことは、この上ない光栄でございます。もしあなた様の御慈悲でお教えくださると言われるのなら、お聞きしてもよいと思います。」
「修行者よ、悟りを開くには、あなたが座っているこのタマリンドの木についている葉の数と同じ年数がかかるであろう。」
 修行者は、瞑想を始める姿勢をとりました。
「何度生まれ変わってこようと、いつかは神を得られるのだということを知り安心いたしました。全ては神の思し召しです。」
 そう言って再び目を閉じ瞑想を始めました。そのあくる日、修行者は悟りを開いたそうです。

 バウルは、瞑想や苦行を否定します。規定の一切の典礼を認めず、あらゆる宗教的儀式・教義に捕われません。
 神がこの身体に宿るのなら、神棚を祭ってする礼拝に何の意味があるのだろう。神がこの身体に宿るのなら、神が宿る身体を痛めつけて何の意味があるのだろう。神がこの「私」と共に存在するのなら、長い年月をかけて苦行し、時を無駄にすることに何の意味があるのだろう……とバウルは唄います。
 「私」を落とすための修行のはずが、「苦行をしている私」という「私」にとらわれ、驕りが生まれると神は遠ざかるでしょう。
「私」のあるところに「時間」が存在し、「私」のないところには,「過去」も「未来」もなく、「時間」と「空間」と「質」を超越した「今」があるだけです。将来のことを考えるから「今」が未来を含有します。過去を振り返るから「今」が「過去」を含むのです。心はいつも「今」にありません。思考が「時間」を生み,「空間」を裂き、「質」に捕われ個々人を分断していきます。その中心は紛れも無くこの「私」なのです。「私」を認めて貰いたいという悲しい欲求でしょう。そしてその欲望は、炎は立っていないけれど十分に熱い燠のように赤くおこり、知らず識らずのうちに人を傷つけ、自分自身もまた傷つきます。
「私」の欲望の熱は、乾燥した大地のように心を硬直させます。「私」というカーテンをサッと開ければ、そこに「プレム(愛)」があるのです。「プレム(愛)」は恵みの雨のように清爽な気をもたらし、心を優しくしなやかにすることでしょう。
  二人目の修行者の欲望は落ち、かすかな「私」が残っていただけでした。“すべては「あなた」次第”という「明け渡し」に到達していたのです。
 バウルはこの最終段階をまず最初に起こらせようとします。
 それは「愛」の態度です。「明け渡し」は「愛」によってしか起こりません。知識による考察ではなく、苦行による肉体の否定でもなく、身体のあらゆる感覚器官を「神」の世話に捧げ、その次元を引き上げ、「大いなる源」を体験するのです。

バウルの唄

 目の前にチンタモニ
 気づきさえすればいいことさ

 本当にしなきゃいけないことを知らないから
 それを見ることが出来ず
 世界中を探しまわる

 その人はすべての根源
 二枚の花弁を行き来する
 神秘知の眼が開いた者
 彼こそが、光り輝く姿を見るのさ

 神々の供養をする者もいれば
 アッラーの神を拝むものもいる
 お前の家の中に居るというのに
 その人とは面識がないのだ

「チンタモニ」とは何でも願いが叶う魔法の石、延いては神を意味する言葉です。家の中とはもちろん,この身体の中という意味です。

コラムニスト
かずみ まき
1959年大阪に生まれる。1991年、日本でバウルの公演を見て衝撃を受け3ヵ月後に渡印。その後、師のもとで西ベンガルで生活を送り現在に至る。1992年、タゴール大学の祭りで外国人であることを理由に開催者側の委員長から唄をうたう事を拒否されるが、それを契機として新聞紙上で賛否両論が巻き起こる。しかし、もともとカーストや宗教宗派による人間の差別、対立を認めないバウルに外国人だからなれないというのは開催者側の誤りであるという意見が圧倒的大多数を占め、以後多くの人々に支援されベンガルの村々を巡り唄をうたう。現在は演奏活動を控えひっそりとアシュラム暮らしをしている。