バンク・オブ・仏陀の道

第03回

バングラディシュのチベット

 バングラデシュ南東部のチッタゴン丘陵地帯はチッタゴン、コックスバザール、バンダルバン、ランガマティ、カガチャリの5州からなる地域だ。ほとんどがインドと国境を接するが、丘陵地帯南東部はビルマのラカイン州およびチン州に接する。このため、古くからビルマ系住民が多く住む地域であり、仏教徒が多く暮らしている。バングラデシュはその名の通り「ベンガル人の国」として存在し、チッタゴン丘陵地帯(CHT)は仏教徒最後の砦といった感がある。バンダルバンはバングラディシュ第2の都市チッタゴンから東に約3時間CHTの入り口にあたる。

 翌日、この日は日曜日。バンダルボンの大きな川ジョンコガット沿いのメインストリートに、週に一度の市が立つ。近隣の少数民族が集まり干物や作物、工芸品などを持ち寄り売りに出すのである。
 早朝にぎやかな通りをぶらつきながら、シャッターを切り続けた。世界中何処に行っても先住民の人たちというのはフォトジェニックだ。存在感があり、絵になる。久々にエキサイティングな気分だ。日本を出てからタイなどでの滞在を合わせて約2週間、やっと少し手ごたえのある写真が撮れ、モチベーションがあがってきた。与えられたミッションのことが頭から離れず、撮影には集中できていなかっただけに、ここにきてやっとサードギアに入ったというところか…。

 地元バンダルバンの民族博物館に行ってみた。10部族以上の民族が昔営んでいた生活が再現されており、美しい刺繍の衣装や装飾品が飾られている。いずれ失われてしまうかもしれない、貴重な文化遺産だ。
 なぜなら、地元のマルマ(ジュマ)の人の話では、70年代後半この地域では人口の9割はジュマ(少数民族)の人々が暮らしており、ベンガル人は全体の1割程度だったそうだ。現代ではセトラー(ベンガル人入植者)が6割を超えてしまい、少数民族は20年もすれば絶滅するだろうという。

  …チベットと同じだ! そう…ここはバングラディシュのチベットなのだ…

 この日からの2週間後、僕の著書で『リトルチベット』というタイトルの写真集が発売されることになっている。チベット本土から逃れた亡命チベット人の居留地と暮らしを紹介した書籍である。中国の同化政策により入植地となったチベットは今では人口の6割が中国人だ。オーソリティはもちろん公用語も生活習慣も中国式に変えられ、ビジネスを牛耳のも彼らである。そして迫害…
 そうここチッタゴン丘陵地帯は、チベットと状況が驚くほどよく似ている。

 …不思議だぁ…俺はつくづくこういう土地に縁があるのだろう…

 6月5日朝、ブッダバンク役員のアシシュとシャンガプリア僧侶が仲良くチッタゴン市からここバンダルボンに到着した。4WDの車をチャーターしてさっそくラズビラ村に向かう。俺たちはいつも小型のバイクに2人乗りで十分なのだが、この2人は太りすぎてて車じゃないと移動できんのだ!

 車中アウンが、長い間取り組んでいる蜂蜜づくりや茸栽培についての話をした。するとアシシュがやったこともないくせに言う「僕も支援として蜂蜜をやるつもりでいるんだけどなかなか難しいよね~でもさ~キノコは簡単さ…」それお聞いたアウン、知ったかぶりするアシシュに向かって声高に「ノット・イージー」

 山道を揺られること1時間、ラズビラ村に到着。いよいよバングラディシュで最初のブッダバンクがスタートする。村の女性達がミシンで張り合わせてこしらえた、大きな日の丸の旗を広げて迎えてくれた。ちょっとじんわり来ちゃいましたぁ…

 異国の地で見る日の丸は格別なものだ。国を離れている時間にかかかわらず、見るたびにひたしみと、気はずかしさ、そして望郷の念がわきあがる。自分が日本人である事を実感する瞬間でもある…。

 ブッダバンク役員5人のうち4人がそろい、地元の住職ウーパンダワイサ僧侶も加わり、それぞれが挨拶して始った(もう一人の役員は法要でスリランカにいる)。
 男性5人女性5人が、写真付の申し込み書を持ち寄り集まった。お店を開く人、家畜を飼う人、マンゴ農園を開く人などなど。
 基本的に収入が見込まれる3ヶ月後からの返済になる。ところがマンゴの栽培には3年かかるそうで、いつから返済するかが議論の的となったが、他収入もあるらしいので3ヵ月後からの返済に話は決まった。
 10人全員で6万7千タカ、それとは別に実行委員でもあるウーパンダワイサ僧侶が2万タカを借り入れて、合計8万7千タカ(11万4千円)に。そこから先日決めた年会費10件分1000タカ(1500円)を徴収。
 役員はアウンをはじめ僧侶、村の女性、エコプロジェクとのスタッフ2名に決定した。しかし結果は予定より12000タカ(1万8000円)オーバーしている。

「だいじょぶかな~? 実行委員も借りるのはありなんだろうど…ここの坊さんが一番借りてんじゃん! まぁ20人以上の学童抱えてることだし良しとしよう。坊さんが要だし……」

 アウンの運営するNGOエコ・プロジェクトは、バンダルバン周辺にいインカム・ジェネレイト(収入を呼び込むことを見越した自立支援プロジェクト)による幾つかのワークショップを運営しており、販売のほか雇用も生んでいる。
 その中の一つに立ち寄る。なかでは農民たちが生産した蜂蜜や墨などが売られていた。すぐ隣にはきのこを栽培している小屋があり数千のきのこが培養されている。
 また試験農園があり、さまざまな薬草のほかマンゴやパパイヤ、さらに新しい試みとしてアロエの栽培に取り組んでいた。アロエはヨーグルトや薬として需要があり、一回の種植えで8年間ものあいだ何回でも育つらしい。
 ほかにも一般の主婦などが簡単に取り組める蜂蜜作りがある。「蜂蜜作りキット」という画期的なユニットが販売されている。もちろん蜂付だ! 1セット5千タカ(7500円)ほどで買える。そして年間3500タカ(52000円)の収入を生み出す。
 マンゴの木は苗木5500タカ(82000円)、収穫出来るまでに3年を要するが、年間15万タカ(20万)もの収入が見込め、10年以上実を付けるそうである。日本円に換算すると少なく感じるが、このあたりの平均月収5000円以下であることを考えるとその期待は大きい。

 レンガで出来た水と砂だけをエネルギー現にして稼動させる、ネパール式冷蔵庫があった。人間の知恵はすごい! 電気なんか使わなくても出来る事がたくさんある。日本もまねしてもらいたいものだ。基本的にバングラディシュは電力不足で日に何度も停電するのだが…。
 エコ・プロジェクトではこれらの取り組みを率先して住民に進め指導している。ブッタバンクを活用することで、多くの住民がこれらに参加できる可能性が広がるとアウンはいう。

「それ以外は、ノーサバイブだ(生きる道は無い)」と彼は言った…。
 それだけ切迫しているのだろう…。ブッダバンクの可能性と期待は大きい。更に責任も…。

 夕方、ションコット川に架かる大きな橋の欄干で夕涼み。地元の人たちの憩いの場所だ。すぐ上流にはビルマが、さらに川の東、山の向こうはインドだ。
 ここバンダルボンは、町は小さいが広大な土地と豊かな大自然の恵みがある。「失いたくない」と、アウンは言う…。
 ビルマ方面から心地よい風が吹く…。どこから仕入れたのかアウン、ビールを持ってきた! イスラム教国のバングラディシュ、それもこんな田舎で、まさかビールが飲めると思ってなかった。
 ぬるいけど、う、うめ~!

 6月7日エコ・プロジェクトの農園を視察した。スタッフの女性が美味しそうにカットしたパイナップルを運んで来た。ここのパイナップルは甘くてほっぺたが落ちるぐらいうまいのだ! バングラ行きが決まった時から、この瞬間を一番たのしみにしてた。
 やっぱうんめ~
 来年収穫がみ込めるパイナップルの木が1000本、マンゴの木が3000本あるそうだ。将来、輸出も考えているらしい。

 四方サンガの創立者である井本氏が語っていた夢のような構想を思い出した。将来我々で船を持ち自由に貿易をするというのだ。資本主義経済に左右されない物々交換や地域通貨を使い、国境や人種の弊害のないサンガをネットワークにした自由貿易だ。
 ロマンだぁ…。ブッダバンクの成功の先に、その夢は見えてくるのだろう。多くの国でブッタバンクが実を結べば、それはもう夢ではない…。

「井本さん、積み荷はもうここにそろってます」

コラムニスト
伊勢 祥延
1960年北海道生まれ。中学校を卒業と同時に美容師の道に進む。31歳の時に独立。同時に写真作家として活動を始め、以来世界50カ国以上を撮影して回る。主に難民や少数民族などにフォーカスを合わせたドキュメンタリー映像を製作「写真ライブ」と名付け各地で上映会及び講演を行っている。最近では東日本大震災で、被災者との交流や復興の様子を記録した映像を発表し話題を呼んだ。書籍の他に、2007年から毎年チャリティカレンダー(発行部数約2万部)を製作。主益金は四方サンガによりアジアの貧困地や被災地への緊急支援に使われている。写真集:Scenes (自費出版)TRIVAL VILLAGE(新風舎)カンボジアンボイス(四方僧伽)リトルチベット(集広舎)子どもを産んで、いいんだよ(寿郎社)
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