我輩は狼である。
 すべての生き物は、生まれ、成長し、そして死を迎える。それは、あらゆる者にとって、避けることのできない運命である。

 人間という生き物は、死というものに対して多くの価値観を持っている。単純に消滅として受け止めるもの。死後、天国、あるいは地獄が待ち受けていると考えているもの。あるいは、肉体は滅んでも魂は不滅で、何度でも生まれ変わり続けると信じているもの。残念ながら我輩は死んだという経験がない、あるいは少なくとも記憶に残っていないために、どの価値観が正しいかを論ずることはできない。

 チベット人たちの信じる仏教には、輪廻転生という考え方がある。正確には仏教だけでなく、ヒンドゥ教や、バラモン教などにも同じような考え方があるようだが、我輩が話すべき話とは無関係なので、それについては割愛する。
 野生動物である我輩は、当然のことながら仏教信者ではないので、仏教における輪廻転生の詳細はわからない。
 とにかく、生まれ変わりの信仰だということがわかるぐらいだ。 チベット仏教において、特に高位の僧達は、死ぬと新たに同じ人物として生まれ変わると信じられているようだ。
 正確には菩薩や如来の化身が人の姿で転生を繰り返しているというのが彼らの信仰のようだ。彼らはチベット語でトゥルクと呼ばれる。
 もっとも有名なチベット人であるダライラマ。現在のダライラマはダライラマ14世である。ダライラマ14世といっても王位の継承のように、ダライラマ13世の息子ということではない。ダライラマ13世が死去してから生まれた子どもの中から、チベットの高僧たちが、彼こそまさしくダライラマ13世の生まれ変わりに違いないという子どもを探し出し、ダライラマ14世として選んだのが彼である。
 先代であるダライラマ13世も同様に、ダライラマ12世が死亡してから生まれた子どもたちの中から、ダライラマ12世の生まれ変わりが捜索されて選ばれた。
 観音菩薩の化身である初代のダライラマの魂が13回の生まれ変わりを経て、今のダライラマ14世となっているというのがチベット人たちの信仰である。ダライラマが生まれ変わり続けているという話は案外有名であるが、ダライラマだけでなく多くのリンポチェ(高位のチベット僧)たちも生まれ変わるとチベット人たちに信じられていることを再度つけくわえておこう。

 さて、前回は我輩が年老いたヤクからチベットが中国に侵略された大雑把な経緯を聞いた話をした。我輩は、その話を聞き、より詳しく聞きたいと思ったことが二つあった。ひとつは、チベット人の主であるダライラマが何故、チベットでなくインドにいるのか。もうひとつは、中国が主張するチベットと中国が歴史的に切っても切れない関係であるという主張の真偽。
 本来は、両方を聞きたかったが、そのとき我輩は腹が減っていた。 もしも両方の話を聞いたら、我輩は空腹に耐えかねて、せっかく話をしてくれているヤクを食べてしまうことになるだろうと考えた。
 我輩の好奇心を満たすことに協力してくれた者を、胃を満たすことにまで協力させるのは道義的に過ちであると思い、我輩はしばし思案の後にダライラマに関する話だけを聞くことにした。

 ダライラマという名前は耳にしたことが無い者のほうが世の中には少ないだろうが、ダライラマとは何者か?と聞かれると正確に答えられない者も多いだろう。
 誰もが知ってるであろうことは、ダライラマがチベットにおける政治と宗教、両方の指導者であるということだと思う。
 ダライラマに関しては、我輩がヤクから聞いて意外と思った話が二つある。まずそれを話そう。
 一つ目は、ダライラマの「ダライ」というのはチベット語ではないということだ。「大海」を意味するモンゴル語なのだそうだ。
 何故チベットの指導者の名前がモンゴル語なのだろう? 我輩はヤクを問い詰めた。
 16世紀アムド地方に遠征してきた当時のモンゴルのハーンであるアルタンは、遠征の際にチベット仏教に感銘を受けた。そして、ゲルク派の僧スーナム・ギャツォと面会し、転輪聖王号を授かった。そのお返しにアルタイが、スーナム・ギャツォに贈った称号が「ダライラマ」だったということだ。
 スーナム・ギャツォはダライラマの称号を受けると、ダライラマ3世を名乗り、自分が生まれる前年に死去した高僧ゲンドゥン・ギャツォをダライラマ2世。ゲンドゥン・ギャツォの生まれる前年に死去した高僧ゲンドゥン・ドゥプパをダライラマ1世とした。
 また、ダライラマとモンゴル人との関わりはその後も続く。ダライラマがチベット全体の指導者となったのは1642年のことだったそうだ。その年、西モンゴル・オイラト族のグーシ・ハーンは、チベットを平定し、その支配権をダライラマ5世に献上した。それがダライラマがチベット全土の政治と宗教の指導者となった日だった。
 グーシ・ハーンとダライラマの関係は、お前さんたちの国でいうところの将軍と天皇の関係に近かったのだろうか?
 ヤクの話からだけでは、そこまでは理解できなかったので、後日チベットの歴史を調べるときの調査項目の一つとして我輩は頭に刻み込んだ。
 ともかく、「ダライラマ」という名前がモンゴル人によって名づけられた名前であることがわかった。チベットは中国よりも、むしろモンゴルと深い関係があるのだなと我輩は感じた。
 しかし、山の中で大海というのも不思議な話だ、大平原を大海原に見立てたのだろうか? この問いにヤクは答えてくれた。最初にダライラマの称号を受けたダライラマ3世の本名がソーナム・ギャツォ。ギャツォはチベット語で海を意味している。きっとここからつけたのだろうと。

 もう一つの意外な点は、ダライラマはチベット仏教全体の指導者ではあるが、自分の宗派の指導者ではないということだった。
 日本の仏教にいろんな宗派があるように、チベット仏教にもいくつもの宗派が存在する。その中で、ニンマ派、サキャ派、カギュ派、ゲルク派を、チベット仏教の四大宗派と呼ぶそうだ。ニンマ派は、四大宗派の中で最古のもので、8世紀ないし、9世紀から存在しているようだ。
 サキャ派は、11世紀にコンチョク・ギェルポという僧によって起こされた宗派で、彼は当初ニンマ派で学んだが当時規律が緩んできていたニンマ派だけで満足せずに、インドから来た高僧ガヤダラの弟子ドクミに学びサキャ派を立ち上げた。規律が緩んだ旧宗派に対して新宗派を起こしたという形は、キリスト教でいうところのカトリックに対するプロテスタントのようなものなのだろうか。
 カギュ派は、高僧が転生するトゥルク信仰を最初に生み出した宗派として知られる。カギュ派の指導者であるカルマパをチベット第三位の高僧であると呼ぶものたちもいるそうだが、正式にはそのような序列は存在しない。
 そして、最後にゲルク派だ。ダライラマが属する宗派であり、現在チベット仏教最大の宗派だ。ゲルク派は14世紀にツォンカパという僧によって立てられた宗派だ。ダライラマ1世は、ツォンカパの弟子だった。ゲルク派の代々の指導者はガンデン・ティパと呼ばれる。総本山であるガンデン寺のティパ(座主)という意味だそうだ。
 ガンデン・ティパは、ダライラマのように転生で後継者が定められるわけではなく、7年ごとに互選で選ばれる。
 そしてガンデン寺においては、ダライラマよりもガンデン・ティパが上座に座るそうだ。
 ダライラマよりも上座に座るチベット僧がいるということは、我輩がこのヤクから聞いた話の中で最大の驚きである。

 話が長くなったので、ダライラマがチベットを離れた話については、次回語ることにしよう。