我輩は狼である。
 今日は、前回、名前を出したテンジン・ドルジェというチベット人について語ろう。テンジン・ドルジェはチベットの自由を求める活動家だ。活動家と言うと、なんだかきな臭いイメージの言葉だ。だが、チベットの活動家は、別にゲバ棒を持ったり、変なヘルメットをかぶっているわけではなく、他人に物理的危害を与えるようなことはしない。かといって口だけ達者な連中かと言えばそうでもなく、自分の身は平気で危険にさらしていたりする。
 たとえばインドに住むテンジン・ツォンドゥというチベット人の詩人は、2002年に当時の中国の首相である朱鎔基がインドを訪問したとき、朱鎔基の滞在するホテルの『外壁』を14階までよじのぼり FREE TIBET の幕を掲げた。
 国を奪われたチベット人からすれば、落ち延びた先に自分たちの国を奪った連中の首脳部が来るとなったら何かしないではいれなかったのだろう。だが、彼はインドを訪れた朱鎔基を物理的に傷つける方法ではなく、なおかつ自分たちの強い意思を伝える方法を考え、自分の身のみを危険にさらす方法を思いつき実行した。チベット人の「活動家」とはそういう連中のようだ。暴力的ではなく、かといって口だけの臆病者でもない。だから我輩は彼らを気に入っている。

 テンジン・ドルジェは、そんなチベット人の活動家の一人だ。
 彼は現在SFT(Students of Free Tibet)というチベットの自由のために行動している国際団体のリーダーの一人でもある。(SFTのリンク先は本部、英語サイト)
 国を奪われてから一部のチベット人たちが世界各地に移り住んだ話は以前したかと思う。テンジン・ドルジェもそんな海外在住のチベット人の一人で、彼は現在アメリカ国籍を持っている。通称はテンドル(Tendor)、こういう名前を縮めて呼ぶ呼び方は、どこの国でも変わらないようだ。気の良い青年で、我輩の記録係の求めにも応じて写真を撮ってくれた。

Students of Free Tibet 日本支部(日本語)

2009年東京にて:左からテンドル、我輩の記録係、SFT日本の代表であるツェリン・ドルジェ←2009年東京にて。左からテンドル、我輩の記録係、SFT日本の代表であるツェリン・ドルジェ。

 テンドルを世界のチベット支援者の間で一躍有名にさせたのは、2008年の北京オリンピックだ。中国が北京オリンピックの聖火リレーでエベレストに聖火を登らせたのは覚えているだろうか? テンドルと仲間たちは、中国がエベレストを聖火リレーのコースに組み込んだと知ったときに憤りを覚えた。
 エベレスト、別名チョモランマはチベット人にとっては聖地の一つだ。以前のコラムでも語ったように、彼らは山々を古来神々として祀った。チョモランマという名前自体がチベット語で母なる大地を意味するという。(雪の女神という説もある)
 テンドルたちは思った。中国人たちが聖火リレーを高い山に登らせたいのならば、自分たちの国で一番高い山に登らせればよい。チョモランマは中国人のものでなく、チベット人のものなのだと。彼と仲間たちは、中国によるチョモランマでの聖火リレーに抗議すべく、2007年4月に「アメリカ人」として正規のルートでチベットに入った。
 彼は、チベット人である自分が、中国人の役人にチベットに入る許可を求めるという構図に、すべてが反対ではないかと感じた。なんで、チベット人が中国人にチベットに入る許可をもらわないといけないのだ? それが現状だと頭ではわかっていても、彼の心には重くのしかかった。

 テンドルたちは、チョモランマのベースキャンプでチベットの自由を訴える横断幕を掲げた。その横断幕には、中国がオリンピックのキャッチコピーとしてかかげていた「ONE WORLD ONE DREAM」の文字とともに「FREE TIBET」の文字が書かれていた。彼らは4月26日に、その行動を実行にうつした。その日を選んだのは、中国政府に拘束されているチベット第二の高僧パンチェン・ラマの生まれ変わりとされる少年の18歳の誕生日だったからだった。

【Youtubeより──自由チベット エベレストでオリンピック抗議】

 テンドルたちは抗議行動後、中国当局によって拘束された。当初、中国当局の彼らへの扱いは厳しいもので、丸一日の間食事も与えられなかった。
 しかし、テンドル達が抗議の様子がすでにインターネットに流れていることを中国当局は知った。すなわちアメリカ人である彼らが中国当局に捕まっていることを多くの人が知っていることを意味した。
 中国当局の態度は一変した。彼らは突然、他の部屋に集められ豪家な食事が与えられた。丸一日の絶食のあと、急にそれらを食べることは困難だった。しかし、役人たちは彼らに今度は食事をすることを強要した。しかたなく彼らが食事に箸をつけると、一斉にシャッターが切られた。中国政府が、アメリカからの旅行者である彼らを虐待などしてなく、歓待しているという証拠写真ができあがった。
 一週間の取調べと、拘束の後に彼らはアメリカに送還された。その間、テンドルは一睡もすることはできなかった、おき抜けに彼の本来の母国語であるチベット語を口走ってしまえば、彼がチベット人であることがばれて帰ってこれらなくのではないかという恐れがあったからだ。

 そんなテンドルは2009年、東京でチベットを支援する日本人たちにこのように語っていた。中国とチベットの戦いは、暴力と非暴力の戦いだと。ローマ帝国、大英帝国… etc、歴史上すべての帝国は滅んだ。帝国主義とは必ず自ら滅ぶ政治形態だと、だから中国帝国もいずれ滅びる。そして、それはけっして遠い未来の話ではない。

 チベットが独立をしたら、どうしたいかという質問に対して彼は、リキシャ(人力車)の引き手になってチベット中を旅してみたい、そしてチベット中を回り終えた後は、どこかの村で教師になって子供たちに勉強を教えていきたいと答えた。