我が輩は、狼である。あまりに辛い話、苦しい話ばかり続くと、読み手諸君の中には読む気が減衰するものもいるだろう。読み手がいなくなってしまえば、我が輩が話を語る意味もないので、今日は少し柔らかい話をしよう。

 チベットに関心を持つものならば、カラフルな小旗が連なっているものを見たことがあるのではないかと思う。家や寺のような建物、山の上など、チベットのあらゆる場所に、この小旗はたなびいている。

タルチョがある風景 これらの旗は「タルチョ」と呼ばれる。日本でも民族系の雑貨屋等に行くと、簡単に手に入る場合もある。タルチョの起源は、古代の軍旗と言われている。軍隊や遊牧民が移動するときの目印の旗が、そこは自分たちの縄張りであると示す意味を持つようになり、やがて悪しきものを遠ざける結界の意味を持つようになった。
 タルチョは青、白、赤、緑、黄という五色の旗が順番に連なっている。それぞれの色には意味がある。
 青は空。見たとおりだ。チベットと言えば青い空を思い浮かべるものも多いだろうし、実に良い色の選び方だ。
 白は雲。これも見たとおりだ。青い空に浮かぶ白い雲。爽やかでのどかな雰囲気だ。多くの人が思い浮かべる平和なチベット、そのものの組み合せだと思う。
 赤は火。火は洋の東西を問わず穢れを払う神聖なものとされる場合が多い。これもまた、悪しきものを退ける結界の旗には、ふさわしい選択だと思う。
 緑は水。???? 本来、水と言えば青だが、すでに空で使ってしまってるから次善の選択ということだろうか。日本語でも湖などの美しさを「碧い(あおい)」と碧(みどり)という字を使ってあらわすことがあるし、まあよしとしよう。
 黄色は土。両端が空と大地、広大な感じで良い気がする。

 五つの色を特別に扱うのはチベットのタルチョだけではない。 たとえば、オリンピックの代名詞としても使われる五輪がある。 五つの輪は、それぞれ世界の五つの地域、五つの自然、そしてスポーツに必要な五つの要素を表している。一組の輪に、それぞれ三つずつ意味を持たせるとは、ずいぶん欲張りなことだ。残り二つの意味は置いておくとして、地域分けの五色は、ある意味強烈だ。青は、オセアニア地域を表す。海の多い南洋地域をイメージしたのだろうか。黄色はアジア、黒はアフリカを、それぞれ表す。今の時代だと人種差別だと大騒ぎになりそうな配色だ。赤はアメリカを表す。黄色がアジア、黒がアフリカだったことから考えると、ネイティブアメリカンの赤銅色の肌をイメージしたのだろうか?
 そうだとすると、独立した旧植民地の現在の支配層に対する、ヨーロッパ人からの強烈な嫌味かもしれない。ところが、最後のヨーロッパを表す色は緑だ。ここまできたら素直に白にすればよいものを、今いち煮え切れていない。

 五つの色を使うものは他にもある。中国の五行の考え方も五つの色を使う。これは、日本の文化にも各所に影響を与えている。七夕の歌の中で「五色の短冊、私が書いた」と歌っているが、この五色も五行の五色を発端としている。中国の五行の五色は、青、赤、白、黒、黄色だ。赤が火と、黄色が土なのは、チベットのタルチョの五色と同じだ。だが、水を表すのは、チベットでは緑だが、中国では黒だ。なんだかホラー映画にでも出てきそうな深淵を連想させる。同じ水というものから想起するイメージがチベットと中国では大きく違うのだろう。残りの二つは色が同じだが、意味が全然違う。青が樹木、白が金属だそうだ。空に近い4000mのチベット高原に住むチベット人たちと、平地に住む中国人たちとの想起するものの違いなのだろう。こういう部分からもチベットと中国が違う文化を育んできたことがうかがい知れる。

 タルチョには「ルンタ」という別名がある。ルンタは、タルチョ自体の別名とされる場合もあるが、タルチョの中央に描かれる「風の馬」のことを指すとも言われている。旗の中央に馬が描かれているのは、速さの象徴であり、願い事が早く成就するようにという意味らしい。だが、もっと単純に、かって遊牧民たちの軍旗だったことの名残りなだけではないかと我が輩は思うのだが、確かめる術はない。

 風の馬に乗り、自由にチベット高原を行き来していたチベット人たち。
 タルチョがたなびく場所、そこはチベットなのだ。