吾輩は狼である。
 人間と他の動物との違いは何か? そんな疑問を、古来からお前さんたち人間は議論してきた。

『道具を使う動物は、人間だけだ。』こんな主張がある。ところが、チンパンジーの中には、蟻塚の白蟻を食べるために木の棒を使うものがいる。また、石を落として他の鳥の卵を割って食べる鳥もいる。道具を使う動物は自分たちだけなどというのは、人間どもの傲慢以外のなにものでもない。
 そこで、これを一歩推し進めて『道具を作る動物は、人間だけだ。』という主張が出てきた。しかし、先述のチンパンジーたちは、ただ落ちてる木の棒を使うのでなく、使いやすく加工して使っている。ならばということで、チンパンジーは木の棒を加工するといっても自分の歯や手しか使っていない。『道具を作るために道具を使う動物こそが人間だ。』と主張する連中がいる。間違いではないのだろうが、なかなかまだらっこしい表現だ。

 他の一派は『言葉を使う動物は、人間だけだ。』と主張した。これまた傲慢な話で、ようは人間が他の動物の意思疎通の手段を知らなかっただけのことだ。今では、よく知られていることだがイルカの群れは会話をしていると言われており、鳴き声の意味の解析も進められている。
「シーシェパード」あたりに言わせれば、逆に『イルカやクジラも人間同様に会話をするのだから、人間と同等の存在と認められるべきだ。クジラ漁などという野蛮な行為は即刻やめるべきだ』ということになるのかもしれない。しかしながら、我が輩たち狼をはじめ、地球上には群れを作って活動する生き物は多数いる。そして、群れとして行動できるということは、人間に理解できるかどうかは別にして意思を疎通する手段を持っているということだ。言葉を使えるからといって、人間もイルカも大して特別な存在と言うわけじゃない。

 別の一派は『人間とは「宗教」とか「哲学」といった抽象概念を持つ動物である』と主張している。これは、案外あたっているかもしれない。「宗教」とかいう奴は、我が輩にはとんと理解できない。野生動物である我が輩に理解できない概念、まさしく人間特有のものと言っても良いだろう。
 そもそも「神」だの「仏」だの絶対的なものが存在するのならば、その存在と比べれば個々の人間同士の差異など無にも等しいかと思う。神の真理とやらがあるのならば、全ての人間に即座に理解し受け入れることができるほどわかりやすいものか、誰にも理解できないほど難解なものになるはずだ。

 しかしながら、狼である我が輩にとっては理解不能な宗教も多くの人間にとっては有益なもののようだ。何者も避けえない「死」という概念と対峙するにあたり、宗教は人間の助けであった。また、多くの民族で宗教的思想が、人々の共通概念としての善悪の基準、道徳律の基礎になった。そして、人間の歴史上、良くも悪くも多くの人間が一つにまとまる旗印の役目も担った。

 さて、やっとチベットの話になるが、チベット人が中国に占領されて半世紀たっても、チベット人で居続けられる理由の一つは、やはり宗教の存在だろう。生活に密接に結びついたチベット仏教の存在がチベット人をチベット人たらしめている。これは、人種的に混血で変貌してもユダヤ教という共通概念によりユダヤ人がユダヤ人であることと似ているかもしれない。

 中国当局も、このことを分かっているから、チベット仏教に対して数々の干渉を行ってきた。拠り所をなくそうと、占領から数年の間に、9割以上の寺院を破壊したりした。 僧侶に公衆の面前で尼僧と性交することを強制し、チベット人から僧侶への尊敬を奪おうともした。また、今でもチベット各地で住民の信奉を集めた多くの僧侶たちが政治犯として捕らえられている。さらに、中国政府側が高僧を任命し、チベット仏教そのものを中国共産党がチベット人を管理するためのツールに変えようともしている。

 そんな中、2010年5月にチベット本土で起きた話を紹介しよう。チベット南東部カム地域にナクチュと呼ばれる地方がある。そのナチュクにあるシャク・ロンポという僧院の75歳になる僧院長ダワ・リンポチェ、そして同じ僧院の三人の僧侶たちが5月17日にラサで逮捕された。
 以前も話したようにチベットでは一部の高僧は仏の化身であり、生まれ変わるという信仰がある。そして今話をしたシャク・ロンポ寺にもロンポ・チュゼという転生活仏がいた。ダワ・リンポチェたちが逮捕されたのは、このロンポ・チュゼの生まれ変わりを探すにあたって、インドのダライ・ラマ法王に連絡をとったからだそうだ。 捕まった4人のうちの一人はダライ・ラマの写真を所持していたとして2年の懲役を言い渡された。ダワ・リンポチェ自身は一ヶ月後に釈放されたが、その後も自宅で軟禁状態にされている。
 4人が逮捕された後、シャク・ロンポ寺には武装警官と役人合わせて200人が押し掛けてき、僧院の僧侶たちに対してダライ・ラマとダワ・リンポチェを糾弾するための愛国主義再教育が施された。再教育の中で僧侶たちにはダライ・ラマを非難する書面への署名と捺印が要求された。5月20日、70歳の老僧ガワン・ギャツォは、強硬に署名を求める官吏たちの脅迫に耐えきれず自ら命を絶った。最終的に17人の僧侶が署名を拒否し、中国当局により僧院を追放された。

 人間を、人間たらしめているもの。それは道具を使う手でも、言葉を呟く口でもない。人それぞれが持つ、譲れない何かこそ人間を人間たらしめていると我が輩は思う。それが何なのかは人によって違う。しかし、それを失ってしまえば人間でなくなる、自分でなくなる。そんな何かを、人は誰しももっていると思う。