チベット本土は惨憺たる状況

来日の目的を教えてください。

7月14日から3日間の日程で開かれる、国際的なチベット・サポート・グループのアジア地区国際会議に亡命政権側のオブザーバーとして参加するためです。また、先日、日本に世界最大のチベット支援国会議員グループができたため、永田町にもご挨拶に行きました。

草の根のチベット支援グループは欧米だけでなく、アフリカ、アジア、中南米にも広がっています。一方、財政面でチベット亡命政権の最大のスポンサーは米国政府です。アメリカにはチベット政策法という法律があり、これに基づいて、チベット語放送のラジオ・フリー・アジアボイス・オブ・アメリカが運営されています。また国務省に属するチベット問題担当特別調整官が、中国政府とダライ・ラマ代表団間の平和的対話を促進するとともに、チベットの人権状況をモニタリングし、年次報告書を発表しています。さらに、難民プログラムの支援、亡命政権の運営の効率性向上のための訓練も行なわれています。

いま、チベットの最大の問題は何ですか。

人権の侵害です。惨憺たる状況です。1959年の侵略以来、まったく改善しておらず、ますます悪くなる一方です。チベットのアイデンティティを守るのに文化と宗教が重要ですが、中国は政府による転生認定制度を正式に発足させ(2004年制定の宗教事務条例)、僧院への制限も強めて、その破壊を進めています。チベット自治区の僧院は民主的管理委員会が管理していますが、それ以外の地域でも、とくにアチェンガル僧院とラルンガル僧院で共産党による管理が始まりました。また言語の問題もあります。自分の村にチベット語の教育がないことに抗議して、「チベット語教育は憲法で保証されているはずだ」として北京で請願を行なったタシ・ワンチュクは、分離主義を煽動したかどで懲役5年の刑が科されました。彼は、中国政府に自国の法律を守るよう求めたために投獄されたのです。また、鉱山採掘の被害からの環境保全を訴える人々も投獄されています。本来、環境を守るのは政府の役割のはずなのに。中国の憲法で保障されていることを行なう人が罰せられ、その罰は大変重いのです。

他の地域、たとえば上海などでも抗議する人も罰を受けることがありますが、罰の程度は軽く、分離主義者とのレッテルも貼られません。そこには大きな差別があります。たとえば、日本にはたくさん中国の観光客が来ていますね。中国人は世界中を旅行しています。ですが、チベット人はあまり旅行できません。まず、パスポートが取れない。たとえば、2017年にインドのブッダガヤで行われた、ダライ・ラマ法王のカーラチャクラ。チベット本土から来た7,000人のチベット人は、法要が始まる前に帰国しなければ罰を受けると警告を受けました。来ていたのは高齢者が多く、そんなものは無視しても良かったのですが、本土に残った家族がいやがらせを受ける可能性がありました。そのため、ほとんどの本土のチベット人が法話が始まる前に帰国してしまいました。今年のダライ・ラマ法王のブッダガヤの法話もやはり同じでした。本土のチベット人はネパールには比較的簡単に行けます。ですが、その後、法話に参加したことがわかると嫌がらせを受けるのです。

また、チベット人はチベット圏内の移動ができません。昔から、カムとアムドのチベット人は、中央チベットを通ってインドに亡命していました。10年前まではそうやって毎年、3〜4,000人のチベット人が亡命していました。それが、最近、亡命者の数は毎年、数百人に激減しています。原因は本土内の移動制限です。チベット圏からラサやチベット自治区への移動は厳しく制限されています。旅行者は決まった宿に泊まり、移動中に7〜8回の検問を受けなければなりません。現在、チベット自治区以外のチベット人はガンデン、デプン、セラなどの僧院で修行できません。

もう一つの問題は、2008年以降の国境警備強化です。かつて、大半の亡命者は冬にネパール経由でヒマラヤを越えて亡命していました。厳寒の険しい道のりを行くチベット人を中国の警備隊は追うことができなかったのです。ですが、この追跡が強化されました。また国境の反対側のネパールの警備も中国政府の訓練で強化されています。そういうわけで、せっかく国境を越えても追い返されてしまうのです。

中国人留学生は世界中に留学していますが、チベット人は海外留学できません。留学できるのは、中国共産党と関係がある人の子弟だけです。また、亡命してオーストラリア、日本などの国籍を得たチベット人も、家族や親戚に会うための里帰りが難しくなっています。このように、厳然とした差別があります。たとえ、わたしがアメリカで市民権を獲得していたとしても、チベットにいる老親に会いに行きたかったら、デモへの参加などは控えないといけないのです。 

チベット人が国を失って60年近くになります。状況は前よりひどくなっているのですか。

たしかに、大躍進の時代や、文化大革命など、過去にもひどい時代がありました。それでも、人権状況は当時よりさらに悪くなっているといえます。この60年にテクノロジーが進歩したからです。中国人は人権抑圧にテクノロジーを使えるようになったのです。60年前には物理的な虐待はありましたが、インターネットも携帯電話もありませんでした。文化大革命の時代には、お互いがお互いを監視し合う密告制度がありました。今は身分証明書のICチップで監視されています。人的監視の時代は人の目を逃れることができました。ですが今日、GPSの追跡からは逃れられません。ハイテク環境下で、チベット人はいつ、どこにいても当局に見張られているのです。

 

テクノロジーの進歩による24時間監視

管理は一見、ソフトになったが、より巧妙に厳しくなっている、ということですか。

そのとおり。今や、チベットにはチベット僧の数より監視カメラの数が多いと言われています。カメラに24時間、監視されていては何もできません。2008年のチベット蜂起のとき、現地のチベット人は事態を携帯電話で外の世界に伝えようとしました。外国に電話で状況を伝えたラサ在住のチベット人女医は逮捕され、長く投獄されました。今、チベット人の携帯電話はモニタリングされています。このように、テクノロジーの普及には良い面と悪い面があります。今、わたしがチベット本土の親戚の携帯電話に電話したら、電話を受けた人に悪いことが起きる可能性があります。話す内容にも注意しなければなりません。政治的内容を話せば逮捕されるおそれがあります。

また、人権蹂躙ということではパンチェン・ラマ11世の問題があります。ゲンデュン・チューキ・ニマは6歳の時から行方不明のままです。生きていれば30歳になろうとしています。中国政府はかつて、『少年は未成年で、個人情報が明かされることを両親が望んでいない』と言っていました。彼はもう十分、大人のはずです。なのに中国政府は同じことを繰り返しています。中国政府は生きていると言っていますが、実際に彼の姿を見た人はいないのです。

 

悩ましいダライ・ラマの転生問題

さらに転生認定の問題があります。中国政府は最近、高僧の化身(トゥルク)の認定制度に関する法律を制定し、それに基づきダライ・ラマ14世の転生認定を自らが行うと言っています。法律によれば、転生する高僧は、国家レベル、省レベル、州県レベルに分類されます。パンチェン・ラマやダライ・ラマの転生認定は国家レベルなので、承認は中国政府が行うというわけです。彼らは、親中国的な両親に生まれた子供を認定するにちがいありません!

亡命政権は中国の支配下にありません。ダライ・ラマ14世猊下がご入寂のおりには、転生をめぐり大きな問題が起きる可能性がありますか。

あります。起きる可能性が高いのは、パンチェン・ラマ11世のときと同じように、中国政府が自選のダライ・ラマ15世を擁立してくることです。ダライ・ラマ法王は、90歳になったとき、自らの転生について何らかの決定をするとおっしゃっています。また、ダライ・ラマの転生を決めるのはチベットの人々だともおっしゃっています。

チベットの人々とは具体的には誰のことですか?

チベット仏教界の高僧たちです。今や、チベット仏教の四大宗派とボン教の本拠地はすべて亡命社会にあります。本土に残る高僧もいますが、主な宗派のトップのほとんどは亡命しています。中国政府が何かしてくるかもしれませんが、決定を下すのはダライ・ラマ法王ご自身です。

結果的に、2人のダライ・ラマが擁立される可能性はあるのですか。

おそらくそうなります。中国は自らの候補者を擁立するでしょうから。ですが、中国が認定した候補者をチベット人が認めることはないでしょう。中国が認定したパンチェン・ラマ11世が支持を得られていないのと同じです。パンチェン・ラマ11世は北京に住んでいて、チベット地域は一時的に訪問する状態です。彼は人々の尊敬を得ていません。訪問の際には、中国政府がパンチェン・ラマの来訪をチベット人に知らせ、法話に集まるよう要請します。他の高僧は法話を行うことが許されていないのに、パンチェン・ラマに限っては政府が集客し、言うとおりに集まらなかった人は罰せられるのです!

ダライ・ラマがもはや転生しない、ということもありえますか。

法王は「わたしは最後のダライ・ラマかもしれない」とおっしゃられたこともあります。「生まれ変わるかどうかを決めるのはチベット人だ」ともおっしゃっています。それ以外にも多くの選択肢を示唆しています。法王自身が生前に後継者を指名する、高僧たちが合議制で決める、あるいは、入寂後に探索隊による伝統的な転生探しのプロセスに従う、などです。最終的に決めるのは、法王ご自身です。法王は90歳になられたら、高僧を集めて宗教会議を開き、そこで何らかの意思決定をされるおつもりです。中国政府はすでにどうするか決めていますがね。

法王は、「人々の幸せのために尽くすのが歴代ダライ・ラマの立場です。チベット問題が解決しないあいだは、ダライ・ラマは生まれ変わり続けるでしょう。ですが、中国に支配されたチベット本土には生まれ変わらないでしょう」と述べられたこともあります。本土に転生しても人々を救えないからです。ダライ・ラマの転生に関しては、ダライ・ラマ法王庁のウェブサイトにくわしい情報が出ています。

 

亡命チベットの民主政体は盤石

日本には国の象徴である天皇と実質的トップの首相がいます。イギリスも女王と首相がいます。亡命チベットには、天皇や国王に当たるダライ・ラマのほかにも実務トップのシキョン(主席)がおられますが、国際的にはダライ・ラマばかりに注目が集まっているようです。

チベットは、17世紀のダライ・ラマ5世の時代にダライ・ラマが聖俗のトップを兼ねる政体に移行し、それが現行の14世の時代まで続きました。観音菩薩の生まれ変わりである歴代ダライ・ラマにチベット人は大きな尊崇の念を抱いています。とくに14世は、そのビジョン、威厳、チベット問題を国際社会に提起する力などにより絶大な尊敬を集めています。国際社会はチベット問題よりダライ・ラマを話題にしたがるほどです。

ちなみに、60年前の亡命当時は誰もダライ・ラマのことを知りませんでした。法王が世界的存在になったのは、数十年にわたる一貫した努力の成果です。同時に、法王は民主的なチベット亡命社会も築きあげました。ダライ・ラマ法王の国際的知名度や威信は疑いようもありません。ですが法王は同時に民主的な政治過程への信念も持ち続けた人だったのです。

1959年のインド亡命当時より、ダライ・ラマ法王は亡命地に民主政体を作る構想を持ち、議会、内閣など、民主政体を担う機関を創設されました。法王には先見の明があり、いつか自分がいなくなる日を予見していました。君主一人に頼っていれば、その人がいなくなれば全てが崩れてしまう。国民が依存体質になってしまう。法王亡き後も、チベット亡命政権は生き残り、闘争を続けなければなりません。教育など、民主化に向けた努力は一朝一夕のものではありませんでした。チベット亡命社会には60年の民主的な政治過程の経験があり、今、民主政体の存続に必要なすべての機関が機能しているのです。

ダライ・ラマの高すぎる国際的威信は諸刃の剣ではありませんか。たとえば歴代の米国大統領はダライ・ラマ法王とは会いますが、亡命政権の主席大臣とは会わないようです。

それは事実です。世界の政治的リーダーは、政治指導者というより精神的な指導者としてのダライ・ラマ法王と会うのです。ですが、たとえ、世界の政治リーダーが主席大臣と会わなくても、主席大臣がチベット人の民意で選ばれているという事実には変わりがありません。チベット中央政権は、正統な統治機構、代表としてチベット人に認められています。国際的に認知されるかどうかは別問題です。まず、民意で運営されていることが重要なのです。1971年に住民の意思でバングラデシュという国が新しくできたのと同じです。主権は人々の意思にあるのであり、外部の認識にあるものではありません。

ダライ・ラマ15世の時代になれば、ダライ・ラマは、現在のイギリスの女王のような、より象徴的な存在になるのでしょうか。

すでにダライ・ラマ法王は2011年に政治の責務からの引退を表明されています。世界中のチベット人は、すでに法王を、英国の女王や日本の天皇のような、実権を持たない精神的権威とみなしています。政治的責任は亡命議会と亡命政権に移行しているのです。ですから、ダライ・ラマ法王亡き後も、亡命チベットの民主政体は十分、存立可能です。現在、亡命チベットのトップはロブサン・センゲ主席ですが、任期後には別の人物、そのまた5年後には別の人物がチベットのトップとなっているでしょう。選挙に基づく民主主義がすっかり根付いているのです。

 

中国はより自由で民主的な方向に変わっていく

チベットと中国との歴史的な交渉の使節団の一員だったあなたは中国をよくご存知です。中国についてお話しください。中国はどこに向かおうとしていますか。

中国は絶えず変化しています。これまで、指導者交代ごとに状況は変わりました。ですが、残念なことに一貫して全体主義的、独裁的な体制で、民主主義ではありませんでした。最終的には中国はより民主主義的な国にならなければならないでしょう。世界がこれだけ大きく変わり、国民の教育レベルが上がり、情報技術や科学技術が発展するなか、13億人の人々が集会や言論の自由もないまま、いつまでも今の体制下にいられるとは思えません。ですから、長期的には中国はより民主主義的な、自由な方向に変わっていくでしょう。ソ連邦の崩壊、キューバの変化などに見られるように、この動きは進化論的プロセスだと思います。もちろん、中国もすでに変わりました。共産主義はとっくに無くなってます! 共産党はあっても、もはや共産主義はありません。共産党は単に中国を支配する政党であり、共産主義や社会主義の理念に基づいていません。

変わりつつある世界で、中国の国民はもっと自らの権利を主張するようになるでしょう。たとえば、上海など、中国の沿海部の人々は豊かで教育レベルが高く、きわめて開明的です。これらの人々は、習近平主席さえ批判しなければ比較的、自由です。ところがチベットのようなところでは管理は厳しく、弾圧があります。

中国のすべての地域で教育水準が上がれば、権利を求める声も今以上に高まるでしょう。たとえば、広東省の人は広東語を話します。中央政府が普通語のテレビ放送を増やそうとしたとき、現地の人は激しく抗議し、それは認められました。チベットなら投獄されてしまいますが。沿岸部の先進地域の自由は、徐々に後進的な地域にも影響を及ぼしていくと思います。

そのとき、共産党による支配は崩壊するのでしょうか。

そもそも、共産主義の支配はもうないのですよ! いまの中国共産党による一党独裁にイデオロギーはないのです。そして、中国共産党は民主主義や人権自体に反対はしていません。ただし、そこに「中国的」性質がなければならないのです。本来、民主主義も人権も普遍的な概念であり、「欧米的」なものではないはずなのですが。

 

日本は重要な国

最後に日本に何かアドバイスがあればお願いします。日本人は今後、アジアでどう生きていくべきでしょうか。

アジアで日本は重要な国です。大日本帝国の時代、太平洋戦争の敗戦、原爆投下。それらの体験を経て、日本は平和を強く希求する民主主義国になりました。また、経済大国にもなりました。地政学的に重要な位置にある日本にとり、平和を維持するという役割はきわめて重要です。

日本の近隣には北朝鮮、中国などの一党独裁の危険な国があります。国際政治学では民主主義国家のあいだで戦争は起きないという理論があります。日本は民主主義国ですが、北朝鮮や中国は違います。ですから、アジアの平和と安定の維持という点で日本の果たすべき役割は大きいのです。日本に対する、米国、オーストラリア、インドなどの民主主義陣営からの期待も高いものがあります。

日本には他の国にはない豊かな経験があります。経済力のある平和的な民主主義国家がそこにあるということは、世界にとって重要なことです。

ソナム次官、ありがとうございました。

 

ソナム・ダクポ氏のプロフィール
1956年、ウツァン(中央チベット)のダクポ地方生まれ、1962年にインドに亡命。ダージリンの中央チベット学校を卒業後、デリー大学で歴史学の学士号、修士号を取得。また、ニューデリーのジャーミア・ミリア・イスラミア大学で教育学修士号、ハーバード大学公共政策大学院(ケネディスクール)修士号も取得している。
1975〜1978年、チベット青年会議(TYC)のデリー地区の幹部、地区部長。1981〜1983年、TYC本部理事会のメンバーに選出され、1983〜1986年は理事長を務めた。1980〜1983年、デラデュンのハーバーツプール高校(SFF School)で教鞭を取る。1987年以降は中央チベット政権に参画。ダライ・ラマ法王庁の研究分析局の在ニューデリー研究員、第11回チベット人民議会選挙(1991年)の選挙委員、在ニューデリーのダライ・ラマ法王代表部の代表(1997〜1998年)などを経て、内閣(カシャク)情報国際関係省(DIIR)においてインド中国局局長、事務次官補(1999年〜)などを歴任。2004年、情報国際関係省次官(国際関係担当)に就任。
2009年、オーストラリア、在キャンベラのダライ・ラマ法王代表部代表となり、2014年7月30日には再び中央チベット政権の情報国際関係省(DIIR)次官となる。2016年9月3日以降、中央チベット政権の公式の報道官となる。
ソナム・ダクポはチベットと中華人民共和国の交渉タスクフォースのメンバーであり、2002〜2008年は中国に対するダライ・ラマ法王代表団のメンバーを務めた。 このように中央チベット政権の要職を歴任したほか、ソナム・ダクポは過去5回のチベット支援国際会議(ダラムサラ、ボン、ベルリン、プラハ、ブラッセル)の組織委員、国際チベット年、および、ダライ・ラマ法王のノーベル平和賞受賞式の組織委員も務めた。ほかにもチベットに関する多くの国内外の会議への参加実績がある。チベット人権・民主主義センター、チベット青年仏教徒協会の創設メンバー。