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烈火の中の永遠の生

 諸先生。拝啓。次の朝日新聞の報道に衝撃を受けています。

チベット族焼身自殺、昨年以降20人に 中国政府に抗議

 米政府系の放送局「ラジオ・フリー・アジア」によると、中国四川省カンゼ・チベット族自治州のセルタル県で3日、チベット族男性3人が中国政府のチベット族デモ鎮圧などに抗議して焼身自殺をはかった。1人が死亡したという。
 昨年3月以降、中国でチベットの自由などを訴えて焼身自殺をはかったのは、少なくとも20人に達した。セルタル県では1月下旬、チベット族のデモに治安部隊が発砲し、1人が死亡している。チベット亡命政府系のラジオ局「チベットの声」によると、現地では治安部隊が増員され、拘束を恐れるデモ参加者らが山に逃れるなど緊張が続いているという。(広州=小山謙太郎)

 このような状況に至る理由は、ツェリン・オーセルさんのサイトの写真だけご覧になっても分かると思います。
 オーセルさんは、抗議焼身自殺者が20名にのぼったことに、心がえぐられるように痛むと三度も繰り返しました。私は衝撃的で何も手がつかず、ただ魯迅の「死後」という文章に目を止めました。「私は自分が路上で死んでいる夢を見た。…だが、結局、涙は流れなかった。ただ眼の前で火花が散ったような気がした。そこで私は身を起こした。」(『野草』より)
 尊敬する先生方、親愛なる友人たち、是非とも傍観せず、関心を向けて…。
 参考までに、オーセルさんの文章を掲載します。

敬具 劉燕子

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烈火の中の永遠の生

ツェリン・オーセル(劉燕子 訳)

 二〇一一年十二月、カム地域のチャムド地区カルマ郷で、四十六歳の元僧侶、ロンツァ・テンジン・プンツォクが抗議の焼身自殺をしました。これは、二〇〇九年から、チベット地域内で抗議の焼身自殺を行った十三人目のチベット人です。そのうち十一人は男性で、女性は二人で、みなエンジ色の僧服をまとった僧侶でした。
 そのうちの二人は、突然、僧院に乱入してきた共産党の工作隊により僧院から追放され、牧畜民の羊の毛皮のガウンを強制的に着せられました。もう一人は僧籍を離れなければならなくなり、息子を僧院にあずけましたが、武装警察が僧院を包囲したため、やむを得ず息子も僧院から離れました。
 燃えさかる炎に包まれた七人は既に死亡したと伝えられています。五人は、駆けつけた警官隊に火を消され、連れ去り、行方不明です。もう一人は僧院に運び込まれましたが、危篤状態が続いています。
 私は一ヵ月前に戒厳令下のラサを離れ、ぶ厚いスモッグにおおわれた北京に戻りました。ラサでは至る所に兵士や警官がいて、帝都の北京は自然環境が悪化してますが、政治環境はラサより増しのようです。私は張りつめていた神経がいくぶん緩和しましたが、その時に、抗議の焼身自殺が次々に入ってきて、繁栄を誇る中国の仮面を引き裂きました。
 しばらく前に、ネットではアニのパルデン・チュツゥの紅蓮の炎に包まれた映像が流れました。彼女は十二人目の抗議焼身自殺者で、三十五歳の尼僧でした。
 私はずっとうち震えるばかりで、アクセスする勇気がありませんでした。今まで見た僧侶一人ひとりの写真や映像から、路上で燃えさかる炎に包まれて黒こげになった凄惨な状況が伝わってきました。それは、地元のチベット人が、少しでもチベットの苦境を世界の人々に知ってもらおうと、命がけで外部に伝えたものです。見るも無惨で、その痛ましさは言葉になりません。
 尼僧のパルデン・チュツゥのビデオは三分もありません。前ぶれなしに、突然、ガソリンを飲み、頭からかぶり、炎が燃え上がりました。私は涙でぼんやりした映像を見つめました。燃えさかる炎に包まれながら彼女は通りを進み、法王の名前を叫んでいるように思えました。でも、目をこらしてよく見ると、彼女は一歩も踏み出してはいなく、一瞬、少し前かがみになっただけで、全力で再び身を起こし、燃え上がる大きなたいまつのように直立していました。
 周囲の人々は、すさまじい火炎が彼女の命を奪うまで、なすすべもなく、ただ鋭い叫びをあげるだけでした。その中で、尼僧は激しい炎に包まれて後ろに倒れました。顔をあお向けにして、両手を合わせたその姿は、とても敬虔でした。
 私は映像の中に出てくるチュパを着たチベット女性でありたいと思いました。彼女は叫ぶことなく、烈火に呑まれた尼僧に近づき、尊敬の念を表す白絹のカタを尼僧の首に投げかけました。
 これに対して、なぜこんなことが起きるのか理解できないという声が広がっています。共産党の代弁者から出たものではなく、逆にチベットに同情を寄せると自認する者や圧制下で弾圧されている人の権利を擁護する運動の先頭に立つ者から発せられています。
 でも、チベット人は命を粗末にするほど理性を失った愚か者ではありません。チベット人は焼身自殺で脅迫するというゲームなどしてはいません。そうではなく、僧侶、尼僧を絶望のどん底に突き落とし、身を烈火で焼き焦がすようにさせたのは、まさに暴政なのです。
 暴政が信じるものは暴力と金銭です。暴政は信仰心などなく、信仰のために自分自身を火炎にする人間が、この俗世に存在することも信じられません。そのため、焼身自殺した者は若くて、ものごとの是非が分からないなどとでたらめを言うのです。
 暴政は、誰でも暴力や金銭に屈服し、すべてそれで始末できると思い込んでいます。そのため「ダライはカネで死体を買い占める」(中国共産党機関紙『人民日報』海外版、二〇一一年十一月二十五日の見出し)という、悪質なデマを流すのです。
 仏教に限らず、いかなる宗教でも、歴史において、真に信仰を脅かす大難が降りかかるとき、信仰を守る責務を果たす殉教者が信徒から必ず現れるものです。文化大革命の時は、西安の法門寺の僧侶は、紅衛兵が仏塔を破壊することを阻止するため、抗議の焼身自殺を行いました(一九六七年七月、陝西省の法門寺で良郷法師が焼身自殺で抗議)。
 そもそも、チベット人の犠牲には、二重の意義があります。信仰を守ることと、自由を奪還することです。そして、この犠牲は若さとは無関係です。まさか、若いから軽率で、何も分からずに従っているだけだと言うのでしょうか!
 フランスの聖女、ジャンヌ・ダルクも若かったではありませんか。農家の少女がフランス軍を率いてイギリス軍の侵入に抵抗しましたが、策略で火あぶりの刑を受けました。その時、彼女はまだ十九歳でした。それでも、彼女は「オルレアンの乙女」、「自由の女神」としてフランス人の心の中で永遠に朽ちることなく、語り継がれています。
 今や、抗議の焼身自殺者は数字になりつつあります。最初から二人目までは約二年の時間がありましたが、二人目から十二人目まではわずか八カ月で、さらに四人目から十二人目まではたったの七十日余りです。
 この数字さえ、間違えて記憶されています。二年の時間のひらきのため、最初の焼身自殺者は見過ごされ、十二人目なのに、十一人目と計算されることがあります。人数を増やすか減らすかという問題ではありません。冷たい統計的な数字の問題ではありません。尊くて大切な命の問題です。それが欠如したら、二年後に、今年の十一人の犠牲者も忘れられ、ゼロという数字になり、さらには生きていたということさえ記憶から消されてしまうでしょう。
 人々はこの一連の事実に衝撃を受けているか分かりません。中国政府がチベット人は犠牲を惜しまずに抵抗し続けることを危惧しているか分かりません。むしろ、犠牲者の人数さえしっかりとおぼえていないでしょう。でも、高原で再び銃口の前に身を挺し、烈火に燃え上がる殉教者となるチベット人は常に存在しているのです。
 耳を澄ましてください。世界よ、燃えさかる火炎に包まれたチベット人が何と叫んでいるのか!
 「チベットに自由を!」
 「ダライ・ラマ法王のご帰還を!」
 このような願いはぜいたくだと言うのでしょうか !?

コラムニスト
劉 燕子
中国湖南省長沙の人。1991年、留学生として来日し、大阪市立大学大学院(教育学専攻)、関西大学大学院(文学専攻)を経て、現在は関西の複数の大学で中国語を教えるかたわら中国語と日本語で執筆活動に取り組む。編著に『天安門事件から「〇八憲章」へ』(藤原書店)、邦訳書に『黄翔の詩と詩想』(思潮社)、『温故一九四二』(中国書店)、『中国低層訪談録:インタビューどん底の世界』(集広舎)、『殺劫:チベットの文化大革命』(集広舎、共訳)、『ケータイ』(桜美林大学北東アジア総合研究所)、『私の西域、君の東トルキスタン』(集広舎、監修・解説)、中国語共訳書に『家永三郎自伝』(香港商務印書館)などあり、中国語著書に『這条河、流過誰的前生与后世?』など多数。