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映画『チベットの少年 オロ』

集広舎は、岩佐寿弥監督による映画『チベットの少年オロ』の制作および上映を支援しています。以下、公式サイトのご許可を得て、岩佐監督のテキスト、加藤登紀子さんのメッセージ、広報フライヤなどを紹介させていただきます。

インド北部。チベット亡命政府がある街、ダラムサラ。この街で六〇〇〇人以上の亡命チベット人が暮らしている。主人公はTCV(チベット子ども村)に寄宿し、学ぶ、三年前にヒマラヤ山脈を越えてきた少年オロ。この映画は「チベット人の方舟」であるこの街を舞台に、「生きる意味」と出会う、少年オロのひと夏を描き出す。

チベットの少年オロ/フライヤ表
チベットの少年オロ/フライヤ裏

岩佐寿弥監督が語る
映画『チベットの少年 オロ』について

 二〇〇八年七月のある日、わたしは来日中のチベットの老僧、バルデン・ギャツォ師の顏を見つめていた。その名をご存知の方は「ああ、あの…」と襟を正して思い返すだろう。ご存知ない方はその《獄中体験》を聞いただけで、たちまち尊敬か畏怖の念を持ってその老僧をイメージするだろう。しかしその時のわたしは、その《名》も《前歴》も忘れて、ただ眼前にいる一人の老人として見入っていた。するとその老人の前に十歳前後のチベットの少年が現れ、二人はごく自然に対話を始めた。頭蓋の中で生じたこの光景はわたしを捉え、久々にチベット人を対象とした映画を撮りたくなった。眠る子が呼び起こされたのである。  二〇〇九年十一月、金も組織も若さも持たぬわたしは、三人の友人と共にチベットの亡命政府のある北インド、ダラムサラに映画の主人公を探しに行った。わたしたちは二週間かけて十歳の少年オロを発見した。そして、わたしの《夢》を我がことのごとく共有してくれた友人達に支えられ、二〇一〇年二月〜三月、五月〜六月と、ダラムサラを舞台に二度に渡る撮影を決行することができた。

 チベット亡命政府があり、ダライ・ラマ法王と多くのチベット人が住むダラムサラのマクロード・ガンジという標高一八〇〇メートルの小さな街は、山間にあって実に坂が多い。ここに祖国チベットを逃れてやってきた大人や子どもたちが張り付くようにして毎日の生活を送っている。この映画の中で、オロはひと夏の休暇期間をこのマクロード・ガンジの街を縦横無尽に走り回りながら、ここに住む大人たちと接し、同年配の友達と遊ぶ。何事も特別のことは起こらない少年の屈託の無い日々の生活である。こうした日常の背後で、彼らが一触即発の危うい状況を抱えていることをこの映画は自ずと語ってくれるだろう。しかしわたしが特別に注目していたのはそのことではない。

《チベット人の人間関係のあり方、とりわけ大人と子ども間に見られるあの自然で意味深い関係のあり方》こそが、この映画で見届けたかったことである。われわれ日本社会が失ってしまった宝がそこに隠されている。《根無し草》の生活を強いられながら、老若男女が相互に持ち合わせている自然な共同体の意識、そこからくる生きる力…この十数年チベットの魅力に捕らわれているその理由を、わたしは映画体験の中で確かめてみたかった。二〇〇八年の夏の幻覚はそれへの導きであったに違いない。

岩佐寿弥(いわさ・ひさや)
 一九三四年奈良県生まれ。映画作家・TVディレクター。一九五九年岩波映画入社。岩波映画時代の任意の運動体『青の会』メンバーでもあった。一九六四年フリーランスに。映画作品『ねじ式映画─私は女優?─』(一九六九年)『叛軍No.4』(一九七二年)『眠れ蜜』(一九七六年)『モゥモチェンガ』(二〇〇四年)、TV作品『プチト・アナコ─ロダンが愛した旅芸人花子─』など海外取材によるTV作品多数。二〇〇六年『あの夏、少年はいた』(川口汐子共著)を出版。この本を原作としたドキュメンタリードラマ『あの夏〜60年目の恋文〜』(NHK)が二〇〇六年放映される。

加藤登紀子(ミュージシャン)
 人が生きたということ、人が生きているということ、そして人はこれからも生きていくのだ、ということ。それらすべてが光の中にある。その発見こそが映像の仕事だ!『チベットの少年』というこのタイトルの向こうに、きっとたくさんの光を見ることが出来るだろう。わくわくするほど楽しみだ。チベットという古くてしかも新しいテーマは、未来のために人間の本質を見定める最高の題材になるに違いない。

映画『オロ』公式サイト
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参考:チベットNOW@ルンタ/岩佐監督「チベットの少年」撮影隊の動向

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