1967中国文化大革命 荒牧万佐行写真集1967中国文化大革命
荒牧万佐行写真集

B5判・並製・216頁
定価2700円(本体2500円+税) 
ISBN978-4-904213-54-4 C0072

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街に溢れる大字報(壁新聞)、読み・語り・歩く大群衆──。毛沢東が待ったをかけた上海コミューン成立(1967年2月5日)、その1週間前という歴史的瞬間を目撃した日本人カメラマンがいた! 半世紀前の人民中国──北京・上海・武漢・広州・深圳にて、文革初期の街の様子と人々のエネルギーを捉えた貴重な写真170点。

【目次紹介】
第1章 街は巨大な掲示板になった
第2章 議論を尽くし,社会と自己を改造する
第3章 ひたすら歩く
第4章 群れる,好奇心
第5章 労働は権利だ
第6章 天の半分
第7章 生活の中の革命

●「半世紀後のあとがき」より
【北京】北京には四日間滞在した。一日目の1月24日は、三角帽子の引きまわしが盛んに行われていた。寒風の中、トラックの先頭に乗せられていた。首から白い板が下げられ、“罪状”が書かれている。顔面蒼白、目は力なく一点を見つめていた。銅鑼や太鼓の音に道行く人も「今度は誰だろうか」と集まってくる。
 人民解放軍の兵士を満載したトラックとすれ違った。兵士から三角帽子の「反動分子」に罵声が飛んだ。
 この現場は、私が文革を取材した中で、とくに印象に残った一点だった。

●著者紹介
荒牧万佐行(あらまき・まさゆき)
1941年、神奈川県生まれ。日本大学芸術学部写真学科研究室。渡辺義雄日本大学教授に師事。1967年,毎日新聞社入社。東京本社写真部記者、同編集局編集委員などを歴任。現在はフリーの写真家。日本写真家協会会員、日本建築写真家協会会員。一連の文化大革命報道で1967年日本写真協会新人賞受賞。主な写真集に『円覚寺舎利殿』(毎日新聞社)、共著『新・山谷ブルース』(批評社)など。
 

書評

あの、おぞましくも残酷な文革のまがまがしさとは何だったのか?
暗く鬱陶しい町の表情が鮮烈に甦る、中国の狂気の時代

荒牧万佐行・写真集『1967 中国文化大革命』(集広舎)

 意議深い書籍を次々と上梓される意欲的な、特異な出版社がある。しかも福岡が拠点で、中国に批判的な本、少数民族の本、ダライラマの本、近年は南モンゴル関係の書籍が多い。日本人が殆ど知らない分野に立ち向かっている。
 このたびの書籍は、文革の最中に北京、上海、武漢をまわったカメラマンの写真を集めたもので、当時中国に吹きあれた狂気の一端が、その風景からもつかみ取れる。
 毛沢東語録を高くかざし、「毛沢東万歳!」「走資派糾弾」を絶叫していた紅衛兵はトウ小平の長男をビルから突き落とし、劉少奇にはリンチを加えて、ろくな看病もせずに見送り、毛沢東が奪権するや紅衛兵どもは不要となり、その後農村、辺疆に下方され、困窮生活を余儀なくされ、屈辱の忍耐に耐えた。そのなかには習近平も、栗戦書もいた。
 劉少奇は河南省開封で死んだが、跡地に「劉少奇病逝跡記念館」という、不思議な建物を偶然にみつけ、タクシーに急ブレーキをかけさせて、拝観に及んだことがある。最後のベッドから酸素ボンベ、つまり徹底的に看病したあげくに死んだという嘘の展示をしてある。歴史改竄はお手のもの、かざってあった酸素ボンベなど、噴飯ものである。
 湖南省の奥地に毛沢東と劉少奇記念館が、隣村。劉少奇記念館のほうが立派で展示内容もよく、地元の人々がいまもどちらを慕っているかがわかる。

 さて1980年代初頭、文革の狂気が去って、優秀な人材の海外派遣が始まり、評者(宮崎)は、中国大陸から台湾へ自由を求めて政治亡命をしてきた多くの人々にインタビューした。ミグパイロット、大使館員、物理学者、ミッションの通訳、京劇の俳優、核物理の博士、医者、ピアニスト、なかには文豪魯迅の孫の周令飛とも会った。だれもが異口同音に「あの文革は二度とあってはならない」と言った。これらを『中国の悲劇』(山手書房)に纏めて1984年に世に問うたが、いまでは絶版となった。
 文革当時、北京にあって朝から晩まで、町へ出かけ必死に壁新聞を転記している記者がいた。
産経新聞の柴田穂氏だった。柴田氏は壁新聞がニュースの発信地となっていることを最初に認識し数々のスクープをものにされたが、やがて強制退去となる。
 日経の鮫島記者は自宅軟禁、一年半も自宅から出られず、毎日、ひとりで真向法を実践して体力を維持し、時間を過ごしたという。この話も評者は直接、鮫島氏から聞いた。
 壁新聞は、建物の壁だけではなく、入り口から机、商店のガラス窓から天井に貼られ、バスの車体も新聞で飾られ、ついには道路にも標語が書かれるほどの異常な風景があちこちに見られることになった。
 著者の荒牧氏は当時、毎日新聞カメラマンで、大宅壮一氏がさきに文革を目撃して「じゃり革命」と言った後、村松英氏らと中国へ入り、二週間、主としてマイクロバスの窓から撮影した。下車して撮影すると危険をともなった。したがってリンチの現場、暴力の現場、大量殺戮や焼却現場の写真がないのは、取材範囲、条件からして、仕方がないだろう。
 写真を一枚一枚、丁寧に眺めながら、中国に吹き荒れた文革の狂気の時代を、あの人間のもつ残虐性、その凶々しさを鮮烈に思いおこすのだった。

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成29年(2017)12月17日(日曜日)
通巻第5552号