BOOKレビュー

麻生晴一郎評『私の西域、君の東トルキスタン』

週刊金曜日2011年4月8日「きんようぶんか」に先月の北海道新聞に続き、ジャーナリストの麻生晴一郎さんによる『私の西域、君の東トルキスタン』の書評が掲載されました。本書出版の意義と内容が的確に表されていましたので、評者の麻生さんに連絡をとり、本サイトでの全文掲載の許可をいただきました。
ご高覧頂ければ幸いです。
麻生さん、週刊金曜日さんご厚誼、心より感謝御礼申し上げます。

ウイグル人との平和的共存を模索する中国知識人の冒険

麻生晴一郎(あそう・せいいちろう)フリーライター

私の西域、君の東トルキスタン 中国には民主派、親政府派など多様な意見を持つ知識人がいる。だが、そうした多様性も民族問題になると別だ。日ごろ民主化を唱えて政府に批判的な人でもウイグルの独立問題になると途端に政府を弁護しがちで、少数民族の側に身を置いた意見はきわめて少ない。中華民族としての独特な統一意識やナショナリズムのためと思われ、同じ傾向は台湾の独立問題に関しても言える。

 しかし、本書の著者は例外だ。チベット人など少数民族の独立問題について、フィールドワークを重ねつつ相手の立場にたって平和的共存の道を探ってきた。

 本書は1999年から2006年にかけて著者が新疆ウイグル自治区を訪ねた五回の旅を基に書かれている。最初の旅は秘密文書の入手が目的だったが、あっけなく警察に捕まり、拘置所生活を送る。本格的な取材旅行が始まるのはそこからで、拘置所で著者は本書の主人公となるウイグル人の青年ムフタルと知り合う。以後、ムフタルや彼を通じて知り合った大勢のウイグル人と交流を重ねる。漢民族に憎悪の感情を持つ人も多いウイグル人と打ち解けるのは容易でなく、拘置所体験があったからこそ可能であった。

 かくして漢民族の移民や、安定を名目に宗教・民族への弾圧・漢化政策が強化される中、ウイグル人の困窮ぶりや漢民族への憎悪が、限りなくウイグル人の側に立った視点で描かれている。本書が書かれたのはウイグル人と漢民族の衝突が表面化した09年よりもなかり前であるが、民族間の対立・憎悪が激化し、テロ活動が起こりうると正確に指摘しえたのは、草の根の取材からにほかならない。

 著者はムフタルとの対話を通じて多民族が共存できる道を模索していく。ムフタルは国家安全危害罪で捕まった民族主義者であるが、必ずしも独立にこだわらないと話すなど、穏健な面もある。ウイグル人のなかにはより強硬に独立を主張する人や中国政府寄りの人もいて、立場によって考え方や事実認識は異なるはずで、ムフタルの認識でどこまでウイグル全体を代表できるかとの疑問は当然起きてくるだろう。しかし、本書は漢民族がウイグル人に対していかに真摯に向き合うかの軌跡を示した本と言うべきで、客観的にウイグル事情を解説する地域研究書の類とはおのずと異なり、むしろムフタルに親しみ、彼を糸口にウイグル問題に切り込んでいったことの意味を読み取るべきであろう。

 漢民族の移住や経済開発が進む中で、ウイグル人にとっては伝統文化に加えて生活の安定も損なわれていることが本書からわかる。ムフタルのような本来は穏健な民族主義者が反政府色を強めるのも安定が奪われる危機感からである。中国政府が民族主義活動を取り締まり、宗教への規制を強化するのは安定の為として、安定と独立がさも対立する概念であるかのように論じられることがあるが、ウイグル人にとってみれば安定と独立は対立せず、独立できない中で安定が脅かされているのである。

 安定という大義名分が政府の都合のために働くこと。中国の統治についても安定と民主化の二元構造で語られることがある。だが、近年の政府批判を含む市民社会的な動きが地震・食中毒など生活の安定が脅かされる中で育ってきたように、「民主化か安定か」との対立論も見直すべき時に来ている。「中国の政治改革の最も重要なチャレンジが民族問題」と書く本書は中国の体制そのものを問うているのだ。

週刊金曜日 2011年4月8日 きんようぶんか

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