唯色コラム日本語版

第10回

「敵の声を封じ込める」という「西新プロジェクト」

←甘粛省甘南チベット族自治州卓尼(チョネ)県の著名な古刹、チョネ・ゴンパにて、廃棄された受信設備。

 いち早く二〇〇〇年には、当時の指導者の江沢民から「敵の声を封じ込め、党と国家の声を家々に伝えよ」という指示が下されました。当局は特に西蔵(チベット)、新疆、内モンゴル、寧夏などの少数民族自治区、及びすべてのチベット人居住区を対象に、巨大な規模でテレビ放送を覆いつくすプロジェクト―西新プロジェクト〔西新は西蔵と新疆を指す〕―を実施しました。二〇一〇年までに、中央政府は「西新プロジェクト」に累計で一九四・八億元を投入し、さらに年を追うたびに金額は増加しています。
 「西新プロジェクト」を、当局は「民生プロジェクト」、「恵民プロジェクト」と宣伝していますが、実は「政治プロジェクト」です。インターネットで「西新プロジェクト」に関連する情報を検索すると、各地区の様々な会議で「西新プロジェクトは最も重要で、最も緊急で、最も現実的な意義がある政治任務である」と繰り返し強調されています。ある政府高官は「西新プロジェクトはまさに政治プロジェクトだ」とはっきり明言しています。

←「チベット百万農奴解放記念日」の贈り物。中国政府の放送しか受信できない。達孜(タクツェ)にて。

 この「政治プロジェクト」の最重要項目は、極めて効果的な送信機を配置して、国際メディアの情報が入り込むのを妨害することです。例えば、チベット人がRFA〔ラジオ・フリー・アジア、一九九六年に米国議会の出資で設立された短波ラジオ放送局〕やVOA〔ボイス・オブ・アメリカ、米国の国営放送〕などのチベット語番組を視聴できなくすることです。そのために、一千以上のステーションを設置し、上空に侵入不可能の金城鉄壁を構築しようとしています。
 二〇〇八年三月、チベット全土に広がった抗議が勃発してから、当局は全方位で封鎖と締めつけを強めました。その中で、寺院や民家にある衛星放送受信機が没収され、廃棄されました。それは「敵の声」が伝わるからです。
 二〇〇九年四月から五月、夏河(サンチュ)県当局は、拉卜楞(ラプラン)寺〔ゲルク派六大寺の一つ〕の管理委員会に、次のように通知しました。
 すべての衛星放送受信設備を廃棄する。検査の時に見つかれば重い罰金や他にさらなる処罰を受ける。同時に、サンチュ県放送局は僧院や民家に有線放送の設備を提供する。
 二〇〇九年三月、当局は衛星放送受信機を、チベット人に特注したもので、「チベット百万農奴解放記念日」の贈り物だとして、都市から農村、遊牧地域まで各家庭に配りました。それは、チベット人が「党と国家の声」しか聞かないようにするためです。

ラサ郊外にて。

 二〇一一年、チベット自治区当局は、チベットのすべての寺院において、歴代指導者(毛沢東、鄧小平、江沢民、胡錦濤)の肖像、国旗、道路、水道、電気、テレビ、ラジオ、映画上映設備、読書室、人民日報や西蔵日報の官製新聞の九つを備えさせるという「九有」を宣言しました。これは共産党がチベットの僧侶や尼僧に「党と国家の声」を強引にすり込ませることを意味しています。
 『西蔵日報』など官製メディアの最近の報道によると、多くの僧院では「九有」が実現したそうです。明らかに入念に準備してから撮影した写真では、僧侶たちが党の機関紙を読んだり、「指導者の肖像を掲げるポーズ」をとっていますが、泣くよりももっとみじめな表情の笑い顔でした。
 二〇一二年二月、チベット自治区党委員会書記の陳全国は会議で「西新プロジェクト」に重点を置いて、次のように指示しました。

 「チベットではインターネットや携帯電話の実名登録の優位性を発揮させ、情報システムの管理監督を完遂し、空中、地上、ネットからの侵入を阻止するコントロール・システムを修築し、自治区一二〇万平方キロメートルの広範な地域において、党中央の声が聞こえ、党の姿が見え、ダライ集団の声は聞こえず、姿も見えないことを徹底させ、イデオロギーと文化における絶対的な安全を確保する」

←日喀則(シガツェ)にて。

 これは、チベットの上から下まで全方位で、厳重な警戒網を敷くということです。
 ダライ・ラマ尊者は、真相の重要性と報道の自由との関連性を繰り返し強調しています。まさに尊者が指摘したとおり、「不幸なことに、世界の一部の地域で、報道が審査され、歪曲され」ており、「厳重な報道の審査は道徳的ではない」のです。独裁政権とは真相を独占するもので、そのためにあらゆる手段を用いて情報を統制し、事実を隠蔽しようとします。知る自由をめぐる闘いにおいて、「民主の道具」を象徴する国際的なメディアの声は、情報、そして真相を伝える大切なルートです。たとえ「西新プロジェクト」の妨害がいかに強くとも、たとえ「九有」がチベットの僧院から家庭まで「送」り込まれても、事実を渇望し、真相を願望することを抑え込むことはできません。

コラムニスト
唯色
1966年、文化大革命下のラサに生まれる。原籍はチベット東部カムのデルゲ(徳格)。1988年、四川省成都の西南民族学院(現・西南民族大学)漢語文(中国語・中国文学)学部を卒業し、ラサで『西蔵文学』誌の編集に携わるが、当局の圧力に屈しなかったため職を追われるものの、独立精神を堅持して「著述は巡歴、著述は祈祷、著述は証言」を座右の銘にして著述に励んでいる。主な著書に『西蔵在上』(青海人民出版社、1999年)、『名為西蔵的詩』(2003年に『西蔵筆記』の書名で花城出版社から刊行したが発禁処分とされ、2006年に台湾の大塊文化出版から再出版)、『西蔵―絳紅色的地図―』(時英出版社、台湾、2003年)、『殺劫』(大塊文化出版、台湾、2006年。日本語訳は藤野彰・劉燕子共訳『殺劫―チベットの文化大革命―』集広舎、2009年)、『看不見的西蔵』(大塊文化出版、台湾、2008年)、『鼠年雪獅吼―2008年西蔵事件大事記―』(允晨文化、台湾、2009年)、『聴説西蔵』(王力雄との共著、大塊文化出版、台湾、2009年)、『雪域的白』(唐山出版社、台北、2009年)、『西蔵:2008』(大塊文化出版、台湾、2011年)がある。国際的にも注目され、ドイツ語、スペイン語、チベット語などに翻訳されている。2007年にニューヨークに本部を置く人権団体「ヒューマン・ライツ・ ウォッチ」の「ヘルマン/ハミット賞」、ノルウェーの「自由表現賞」、2009年に独立中文筆会の「林昭記念賞」、2010年にアメリカの「勇気あるジャーナリスト賞」などを受賞している。
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