『雪域的白(雪国の白)』(唐山出版社、台北、二〇〇九年)より

バラバラに壊された痛ましい尊仏の記

ラサを離れてから二十日になった。
いつもご尊顔がぺしゃんこにへこまされたあの仏像を想い出す。
トムセーカン居民委員会の前の露店におられ、
遠くからでも、目に入った。
私は金露梅を買うためにトムセーカンの市場に行こうとしていた。
でも、仏像を見ると、突然、憂い悲しみに打たれた。
知らず知らずに壊された仏像に向かっていった。
生命があり、痛みを感じながらケースにもたれておられるようだった。
顔はぺしゃんこにへこまされ、腕は折られていた。まん中でたたき切られたのだ。
まことに痛ましく陳列ケースにもたれておられた。
そして、しょう油、豆板醤、サラダ油、トイレットペーパーにとり囲まれていた。
どれも中国の内地から私たちの生活に入ってきたものだ。
仏像は首に色あいが精美な石の首飾りをかけ、
ふところには顔が獅子で、からだは人間の怪獣を抱かされ、
やはり壊されて残がいとなった仏塔の上に置かれていた。
かつては、どれも神聖な寺院に祭られていたのだろうに。それとも敬虔な家庭だろうか?
まことに痛ましくケースにもたれておられた。
そのご尊顔は静かな水面のごとく、かえって私は骨の髄まで痛みを覚えた。
悲しみに打ちひしがれて見つめていると、あたかもある物語が始まるような気がした。
さらに、その背後にある歴史と現実も見えてくるようだった。
ああ、私はかすかにこの仏像とのご縁を感じた。
雪どけのように、高い山頂からゆっくりと私の心と体にしみわたった。
露天商は両手でひざを抱え、
私に売ろうとした。「買いなよ。古い仏像で、立派なもんだろう?」
「いつ、こんなに壊されたのかしら?」私は尋ねた。
「文革だよ。当然、文革さ。」 彼は頭を上げて言った。
「おいくら?」私はとてもとても買って帰りたいと思った。
しかし、江西省の行商人は一言「三千」と言い切った。
私は残念でたまらず、とても離れがたかったけれど、後ろ髪を引かれる思いで、
痛ましくバラバラに壊された尊仏のもとを離れた。
ただ数枚の写真を撮っておいた。
懐かしむときに、パソコンを開いて見る。
友人は、ま新しい仏像を高く売りつけるために、
わざと壊して、文革の話を作りあげたのかもしれないと言う。
そうね。もしかしたらそうかもしれない。でも、まだ痛みはある。
だから、私はこの詩を書いて、解きほぐす。

二〇〇七年五月一四日、北京

チベット断想(抄)

一、表現

 今まで、私はチベットについて表現できません。うまく表現できないだけでなく、どのように表現したらよいのかまったく分からないのです。いかなる文法も存在していません。いかなるセンテンスも繋がっていません。いかなる語彙も、今日のような現実を前にすると、無意味になり、すごすごと遠くに逃げます。文章記号はたった三つしか残っていません。疑問符、感嘆符、省略記号だけです。
 私たちの内心にはこの三つの記号が満ちあふれ、他にはありません。私たちのからだには、この三つの記号の烙印がいたるところに押されています。見えるでしょう? あまりにもたくさんの疑問符が目に入ります。あまりにもたくさんの感嘆符が目に入ります。でも、口元にまで来ても、言葉にはなりません。言いたいことがあまりにも、あまりにも多すぎて、どう言えばいいのか分かりません。詳しく述べようとしてもできないので、ただ省略記号を繋げるだけなのです。
 チベットよ。ああ。何から話したらいいでしょうか? どうして話させてくれないのですか? 私のひとみのなかで、私の口元で、あなたはどうして永遠に巨大な疑問符、感嘆符、省略記号なのでしょうか?

二、視点

 今日、チベットは複雑な表情で人々の前に現れています。今日、誰もがチベットを見ようと思えば、見えるようです。遠くからでも一目で見えます。地球の最高峰が一目で見えます。自分が思いこんでいるチベットが見えます。
 人々の目のなかで、チベットは何物なのでしょうか? 空中に漂う絢爛たる気球のようで、日増しに神話化されていませんか? それとも、毒素を注入されて、もはや治らなくなった悪性の腫瘤でしょうか?
 連綿と連なる山々、融けない根雪、逆巻く急流、原始の草原、それに付随する奇異な風習、無数のラマ僧とアニ僧〔尼僧〕が口で唱える訳の分からない経文。これに伴い、一つひとつの視線は否応なくねじ曲げられ、屈折する。――それは旅行者の心理にある、よそ者の視線にすぎません。
 実は、元から視線など存在していませんでした。視線の下にある広大な、あるいは微細な真相は、よそ者では気づけない封鎖の下に置かれているのです。視線の範囲内にあるのは人々が身近に体験できるものでしかなく、それはとっくにねじ曲げられ、痙攣し、転倒しています。この一つひとつが屈折して変えられた視線よ。ああ。チベットは既に徹底的にぼんやりとさせられているのです!
 ああ。チベットよ。実は、あなたは見ているようで、見えていない。これまでだって、これまでだって見えていなかった! チベットよ。実は、あなたはこれまで自分自身を見たことなどなかったのです!
 あなたは自分でも自分が見えていないのに、いったい誰があなたを見られるというのでしょうか!

三、末日

 チベット人にとって、世界の末日は、あらゆる恐ろしい大預言が現実となる日ではなく、まさに、今日なのです。つまり、表面では同情して金を与えて公平に見せ、そして多少の仁慈を帯びた専制政治という、この時代です。既に“解放”が半世紀も続き、百万の“翻身農奴”(1)が主人公となるという名目の下で、実際は緩慢に死んでいく毒薬が、少しずつ、無数のチベット人の毛穴から肺腑へと深く染みこんできました。アルコールに似た成分により、快楽の幻覚が引き起こされ、日に日に酔いしれ、日に日に自分を見失い、日に日に我を忘れてきました。こうして、遙か遠くの異郷に、自分にとって精神的に最も親しい者〔ダライ・ラマを指す〕が、自分の今生と来世の幸福のために、たくさんの年月を費やして奔走し、年をとり衰え、気も心も疲れ果てているのに、そのお方には無関心で、忘れてしまっています。
 実際、事実、今日の無数のチベット人にとって、末日は既に今日となっていて、まさに毎日毎日が末日なのです。チベット人は末日のなかで暮らしていながら、それを知らず、末日を末日とも思いません。それは自分自身が既に末日の一部になってしまったからです!

(1)抑圧された状態から解放され、生まれ変わった農奴という意味で、中国共産党が使う用語。

四、声

 そうです。私たちは自分の声を出すと、いつでも叱責されます。その叱責のなかで、最も筋が通って説得力があるように聞こえるものは、“お前たちは、食べるものも飲むものもみんな、おれたちから提供されているのに、おれたちを攻撃する。お前たちの心はほんとうに陰険だ”というものです。さらに甚だしい場合は、“非常時になったら、さっさと逃げたらいいぞ。さもないと、やられるぞ”と威嚇します。明らかに植民者の口ぶりで、典型的なディスクールの暴力です。
 私たちは自分たちの土地で暮らしているのに、このように叱責されるのは、何を物語っているのでしょうか? 悠久の歴史や伝統のある我が民族が、昔から他人の恩賜をいただいてやっと生き延びてきたというのでしょうか? 事実がそうでないとすれば、一体いつから、隣の他人が家に入り、部屋に居すわり、主人へと変わり、叱責して教え諭す権力を握るようになったのでしょうか?
 “食べるものも飲むものもみんな、おれたちから提供されている”というのは、いいかげんな嘘です。しかし一方で、この論調は植民者側の民衆を蠱惑することがきでます。ただし、植民者でも道理に背けば言葉に窮することも多少はあります。――そうではありませんか? 利益集団に吸収される人はみな、その生存形態が依存どころか、従属、さらには寄生になっています。そのため、か細い声しか発していないのに、ご主人から厳しく譴責されると、ただただ赤面して恥じ入り、声を呑むという他に、何もできないのです。
 自分の声を発することは、大いなるタブーを犯すことなのかもしれません。つまり、ある種の覇権が私たちの地域に現れ、密かに戒律を行使しているようです。私たちは暗黙のうちに受け入れ、守り従い、もしも一歩でも踏み越えるなら、「おい、ごめんよ」と、権力の太い棍棒が頭上に振り下ろされます。これもまた一種の警告で、注意を喚起するのです。そして、私たちは官権が許す範囲でしか声を出せなくなるのです。
 もちろん、これは植民者の権力です。被抑圧者は声に詰まり、沈黙を強いられます。いいえ、強要されるのです。もし言えるとすれば、それは付和雷同のときでしかありません。
 ナイポール〔Naipaul、二〇〇一年ノーベル文学賞受賞〕の言うとおり、帝国主義のご主人の追随者になるだけです。さらに一歩進めば、権力のちょうちん持ちになり、これは当然、植民者の御心を大いに喜ばせ、多くの恩賞を下賜されます。ですから、“食べるものも飲むものもみんな、おれたちから提供されている”というのも承認されるのです。まるで、主人が番犬に骨をあげるとき、気前よく肉が付いた骨を投げるようなものです。

五、羞恥

「人間は、生れながらにして自由であり……」、「人は、思想、良心及び宗教の自由に対する権利を有する……」――これは半世紀も前に全世界に表明された「世界人権宣言」の中で、最も心を震撼させ、慰藉する二つの条文です。しかし、同時に最も夢物語のような文言です。とりわけ、チベットでは今に至るまで、私たちは生き方と密接に関連するディスクールの権利があるとは聞いたことがありません。私たちにはこの権利はありません。私たちはただ、雷鳴が轟くように、昼も夜も、ただ「だめだ。だめだ。だめだ!」と聞かされるだけです。
 ある日の午後、私は兵営のように深く掩蔽された宿舎で、周囲の壁や本棚を丹念に見つめました。これらは私の生命とどれだけの歳月をともにしたことでしょう。沈んだ色合いのタンカ〔軸装を施した仏教画〕、それほど精緻でもないチューメ〔バターで作った灯明〕、人から贈られた、あるいは自分で撮影したチベット僧の写真、それに、小さな仏龕に端座するツァツァ〔粘土や陶製の小さな仏像〕。その頭には青い髷が結わえてあり、水のように澄みきった神々しい表情に一筋の憂いが浮かんでいます。この憂いは、まさにこの時に一層はっきりと現れていました。
 ――これらはすべて、私にとって信仰のシンボルで、また美感あふれる芸術作品でもあります。しかし、今、私はすべてしまい込み、人に知られないところに隠さなければなりません。それは、彼らが禁令を公布したからです。自宅で宗教に関する物品を飾ることを禁止する。絶対に禁止だ!
 明日、彼らは家ごとに徹底的に調べあげます。そう。この言葉です。徹底的に調べあげるのです! 私はタンカ、チューメ、写真、仏龕すべてを段ボール箱にしまい込んだとき、深い羞恥を感じないわけにはいきませんでした。

六、消息

 毎日毎日、重大で特別な消息が、無数の矛盾があり、混乱したうわさとして次々に伝えられます。毎日毎日、私は気をもんで情報を集め、様々な消息を知ろうとします。どんな消息からでも真相を知りたいと切望します。切に切にその経緯を知りたい。これからの方向性を知りたい。最終的な結果を知りたい。しかし、あまりにも多くのうわさが真相を覆い隠し、真相を歪曲し、真相を隠蔽してしまいます。あまりにも多くのうわさの持つ効果はただ一つ。真相を沈黙に引き渡すこと。長い長い沈黙に。
 沈黙。ああ。あの十五歳の少年の活仏(2)の心のように、永遠に誰も分かりません。しかし、うわさが多くなればなるほど、彼はますます遠くへ離れ去り、ただ沈黙する後ろ姿がえんじ色〔えんじ色は僧服の色〕の世界に融けていくのしか見えません。

(2)一九九七年十二月二八日、十四歳の少年僧、カルマパ一七世が人知れずツゥルブ寺(チベット自治区トールン県)の窓から抜け出し、インドのダラムサラに亡命した。

七、参加

 人はみな参加している。人はみな逃れられない。みな同じように建設に参加する。同じように壊滅に参加する。同じように幸福のゲームに、快楽の大行動に、公然たる、あるいは密かな大小の虐殺に参加する。これは目に見えない戦線です。嫌々ながらにせよ、喜んでにせよ、暗黙の規範に従って参加しているように見える。
 母はこう話しました。あの時、私はあなたを産んだばかりだったので、どの政治運動にも参加せず、家であなたの世話をしていました。
 ところが、母が外出すると、地面はバラバラにされた経典で埋めつくされ、頭上では恭しく奉じるべき神聖な経典の一枚一枚が放り投げられ、「造反有理」と大声で叫ぶ革命家に踏みにじられていました。母は経典を踏みつけるのは不本意でしたが、経典を拾い、ふところにしまうことなどとてもできずに……

八、良心

 古くさい話題です。また持ち出すのかと大笑いされる話題です。鉄の鉤(かぎ)に心臓が掛けられています。かつてまっ赤でしたがもはや色あせ、かつて生き生きとしていましたがもはや死んでしまい、ただ値が上がるのを待つだけになりました。通りすがりの人たちが、この奇妙な色合いや不思議な形に引きつけられ、胸を高鳴らせて言葉や絵で描き始めましたが、ふとそばに肉をさばく人がピカピカ光る大刀を手に立っているのを見て、あわてて次々に両手で心臓を取りだして捧げました。ああ。この引き渡された心臓は、鉄の鉤にかけられて売られる心臓と同じで、何の違いもありません。

九、恋人

 不思議な縁(えにし)が、彼と彼女のあいだで生まれました。不思議な縁が、特別な地名を通して結ばれました。この地名、いや、この地域は、地理学的には早くから存在していましたが、彼女にとっての意味あるものになりました。確実なかたちで言えば、今やあるお方と神秘的に繋がれ、霊的に感応するようになりました。
 チベット。ああ。あたかも一本の定められたひものように、異なる地域で暮らす見ず知らずの二人を結びつけました。チベット。ああ。地理学的に言えば、追憶の地理学、遙か遠い伝説のなかの地理学、宗教的な意味の地理学で、今でもわずかに暖かな色合いが添えられていて、この名前を口にすると、たちまち優しい感傷的な心情に満たされます。それはチベットが生命の恋人を、この激変する生活のなかに連れてきてくれるからです!

十、使命

 一人の作家としてはもの足りない。一人の信者としてはもの足りない。一人の人間としてはもの足りない。この限られた現世の光陰のなかで、無限に長い前世の光陰のなかで。そして、この地とかの地、無数のこの地と無数のかの地、無数のこの地と無数のかの地が交叉する空間のなかで、私が言えることは、ただ、最もふさわしいのは一人の永遠の審美主義者であるということです。
 もちろん、このような審美は、宗教的感情と人間性が輝く究極的関心に満たされたところに基づくべきです。具体的に言えば、精神の故郷――チベットを見つめ続けています! ここは慈悲と智恵の化身――観音菩薩に庇護された土地です! そこは現世の苦難のなかからゆっくりと上ってきた土地です! そこは今なお懸命にもがいていますが、かりそめの生き方のなかでも希望を孕んだ土地です!
 このため、私の審美は気楽なものでも、眩惑するものでも、愉快なものでも、見て楽しいものでも、百花繚乱でも、水面に浮かぶ光と影でもなく、……このような審美には、あまりにも多くの心痛、あまりにも多くのため息、あまりにも多くの涙が含まれていて、さらにまた、あまりにも多くの沈思、思考、啓示、昇華をも持たなければなりません。
 このようにして、一人の審美主義者は同時に義に従って証言し、記録するという使命を引き受けなければならないのです!

十一、祈祷

 ……チベット。ああ。私の生生世世(しょうじょうせせ)の故郷。もし私がお供えのチューメなら、あなたのそばで消えることなく燃え続けたい。もしもあなたが飛翔する禿鷲なら、私を光り輝く浄土にお連れください!

二〇〇〇~二〇〇五年、ラサ・北京

詩論

「雪国の白」―ツェリン・オーセルの詩の世界―

劉燕子

一、はかなさに力を秘めた「雪国の白」

 チベット女流詩人のツェリン・オーセル(茨仁・唯色、Tsering Oser、一九六六年~)の詩集『雪国の白』(原題『雪域的白』唐山出版社、台北、二〇〇九年)は、一九八〇年代から近年までに創作された現代詩や散文詩を百篇ほど収録している。全体を通して日常性の奥底に潜む真実が具象的に表現されており、ここでは、その中の二篇を訳出した。そして、読者がより理解を深められるように、オーセルの詩的世界についてこれから解説する。
「雪国の白」は、収録された一篇のタイトルでもある。その中では「……でも白い花心はたちどころにしおれ、白い炎はたちどころに消える。彼女は涙を飲み、遠い異郷の観音菩薩に、どのような便りを伝えるのだろうか?……」と歌われている。これを日本の枠内で読めば、リリシズムに宗教性が加えられた作品としか受けとれないだろうが、チベットではダライ・ラマは観音菩薩の化身とされており、ダライ・ラマ一四世が一九五九年以後、半世紀以上も亡命を余儀なくされていることを踏まえると、この抒情的な詩句からたちまち現実性が浮かびあがる。
 これは一例であり、オーセルの「抒情」は純粋な芸術精神に根ざした奥深い憂愁、追憶、夢想、信仰、郷愁に終始彩られているとともに、苛酷で悲惨な現実が結晶化されている。彼女は憂い悲しみの中でもほほえみを浮かべて深刻な現実の矛盾や不合理を衝く。彼女は確固たる信念と大いなる宗教的な愛に支えられた世界観、人間観をもって、真摯に悲惨な現実に迫り、そこから一筋の希望を見出そうとする。それはまことに「たちどころにしおれ、……たちどころに消える」ようにはかないものである。彼女の詩的世界は、このはかなさに浸潤されている。しかし、それでもなお見過ごすことができない強靱な力がそこには秘められており、これをもって彼女は私たちに問いかける。このような意味で、オーセルの詩には、日がさせば融けて消える白い雪のはかなさに秘められた強靱な文学の力がある。

二、著述は巡歴、著述は祈祷、著述は証言

「著述は巡歴、著述は祈祷、著述は証言(写作即遊歴、写作即祈祷、写作即見証)」は、オーセルの座右の銘である。ここで『雪国の白』を読むと、その「後記」では「私は一貫して一人の詩人でなければなりません。/これは前世と後世を貫く願いの力であり、また連綿と続く縁(えにし)なのです」と述べられている(二一五頁)。また、詩論「我が上にあるチベット―我が詩の美学―」では「詩作は、私にとって、あたかも前世の記憶を尋ねてたどるようなものです」と書かれている(二一七頁)。そして、これに続けて、彼女は次のように述べる。
「私は迷信に近いほど確信しています。ただチベットでしか、この声は聞こえません。それは“上の方”から来るのです。或いは“上の方”に近いところから来るのです。詩人はこの声に導かれて、祭司、祈祷師、吟遊詩人の間のような人になります。具象的に言えば、この声は一束の光のようで、上から下へと肉体が覆われ、最終的に自分自身が次第に輝きだして昇華されます。私はこれこそ真の意味における詩人だと自認しています。このような詩人は低いところにいることなどできません。とりわけ汚泥で濁った水たまりなどからは生まれません。私は“人は高いところに行くものだ”ということわざを信じます。とても素朴な道理があります。私はこのことわざが好きで、遠く高く飛び立ちます」
 このように、オーセルの詩は、前世、現世、後世を貫いて唱う「祈祷」であるとともに、「汚泥で濁った水」のようなチベットの現実を告発する「証言」でもあり、さらに「上の方」から来る光を求めて「巡歴」する中で発する「吟遊」でもある。そして、その原動力には「義に従って証言し、記録するという」使命感がある(ここで訳出した「チベット断想」九「使命」)。

三、オーセルの足跡

 ツェリン・オーセルはチベット語で「永遠の輝き」を意味する。中国名は程文薩で「文革のラサ(拉薩)」という意味である。その名前のとおり、彼女は一九六六年の文化大革命開始の年にラサに生まれ、その後、四川省のチベット民族居住地域で育った。父は漢民族とチベット民族の血をひき、十三歳で人民解放軍に入隊した軍人で、母はチベット人であった。
 オーセルは西南民族学院で中国文学を専攻し、一九八八年に卒業した後は、地方紙『甘孜州報』の記者になり、一九九〇年にはラサの『西蔵文学』の編集者になった。二〇〇三年に評論集『西蔵筆記』(花城出版社、広州)を出版したが、数カ月後、中国共産党中央統一戦線部と中央宣伝部により「『西蔵筆記』は宗教の社会生活における積極的な役割を誇張し、美化し、一部の文章ではダライ・ラマへの崇拝と敬慕が表現され、ひいては狭隘な民族主義や、国家統一と民族団結に不利な認識を表明した文章さえある。さらに、一部の内容ではチベットの改革開放以来勝ちとってきた巨大な成果を見ず、不確かなうわさ話で旧チベット(一九五一年五月のチベット平和解放に関する十七条協議締結以前)へのノスタルジーに耽溺している。従って、価値判断を誤り、政治原則から乖離し、一人の作家として担うべき社会的責任と先進的文化を建設する責任を放棄した」という理由で「重大な政治的錯誤がある」として発禁処分とされた(王力雄氏提供の資料より)。
 この時、オーセルは北京で魯迅文学院の定期刊行物の責任者として高級研究班に参加し、『西蔵文学』編集長への昇格が内定していた。しかし、ただちにラサに召還され、「思想教育」を受けさせられ、「自己批判」と「過関」を求められた。「過関」は自己批判により新しい人間になるという意味だが、心底からの屈服と忠誠が認められなければならない。そのために家族、友人、同僚も動員され、さらに、青蔵鉄道の工事現場で「教育」を受けることさえ命じられた。それは、工事現場を謳歌する文章を書き、その「手柄」で罪を償うという意味であった。オーセルは一貫して青蔵鉄道の建設に批判的だったので、まさにこれは「踏み絵」であった。
 そのため、オーセルはラサを離れることを決意した。彼女は離れる前に党組織に「私は永遠に一仏教徒のチベット作家です」という表題の手紙を送り、その中で以下のように述べた。
「私に『過関』を強制するということは、私の仏教信仰も、自分の目で見たチベットの現実もまちがっているということを認めさせることです。しかも、これからの著述では、信仰を放棄し、チベットの現実を述べるときは政府側の規制を守らなければならないのです。これに対して、次のように私の意志を表明します。このような『過関』を通ることはできません。通り抜けたいとも思いません。私は、この『過関』は作家としての天職と良心に背くものです」
 これに対して、オーセルは「辞職」の名目で編集者を解任され、医療保険や年金も取り上げられた。それでも信念を堅持し続け、王力雄(前出)と出会い、チベット文革の写真証言集『殺劫』(3)や『西蔵記憶』(いずれも大塊文化出版社、台北、二〇〇六年)、『鼠年雪獅吼―西蔵大事記』(允晨出版社、台北、二〇〇八年)など次々に出版し、内外から高く評価され、海外の文学賞なども受賞した。しかし、彼女の著書は大陸では出版できず、ブログまで何度も閉鎖されるなど、言論活動が厳しく制約されるだけでなく、ネット愛国者やハッカーの攻撃を繰り返し受けている。さらにパスポートの申請が受理されず、彼女は国外から招聘されても出国が許されない。それでも彼女は挫けず、沈黙を強いる力をはねのけ、粘り強く「著述は巡歴、著述は祈祷、著述は証言」と著述に励んでいる。

(3)『殺劫』はチベットにおける文化大革命の実態を、オーセルの父が遺した写真を基に、数多くの証言や文献で詳述したものである。それは、チベットと文革という二重のタブーにより奥深く封じられた歴史の暗部を明らかにしている。その日本語版は藤野彰と私の共訳で集広舎から二〇〇九年に出版された。

四、「チベットの秘密」

 これまで言及してきたチベットの現実について、オーセルの詩「チベットの秘密」では、次のように書かれている(『雪国の白』、三六頁以降)。

「……私はある尼僧に出会いました。彼女は私の年の半分。/夏の日に彼女は歩きながら叫びました/チベット人によく知られているスローガンを/私服警察が押し寄せ、口をふさがれました。……七年後、寺院から追われた彼女は、ある親切な商人のところで手伝いをしていました。/彼女は背が低く、猛暑の炎天下でも粗末な毛糸の帽子をかぶっていました。/「布の帽子にしたら?」私はプレゼントしようと思いました/彼女はことわりました。『頭痛がするので毛糸の帽子がずっといいの』/「どうして?」そういう答えは初めてなので尋ねました。/「私の頭は獄中で殴られて壊れてしまったの」//見かければ挨拶を交わしたルオダンは、人もうらやむ職業と前途でしたが/夜通し暴飲した後、一人車に乗ってガンデン寺に行きました。/山頂でルンタ〔風の馬として描かれた絵〕を投げるとき、命取りになるスローガンを幾度か叫んだため/ただちに寺院駐在の警察に逮捕されました。/党書記は『酒を飲み本音を吐いた』と指示を下し/一年後、ラサの街頭では前科者の住所不定無職が一人増えました。……」

 尼僧はチベット人の良心に従い「スローガンを」叫んだだけで、投獄されたのである。また「人もうらやむ職業と前途」のある「ルオダン」も「本音」で「スローガン」を叫んだだけで、投獄された。ただ口から出た言葉が、たちどころに社会や国家の問題に引き上げられ、罪とされるのである。しかも「ルオダン」は深夜の山頂で叫んで逮捕されたのであり、尾行や密告がなければ、ありえない。文字通り口を閉ざさなければ生きられないチベットの恐怖が、「手で触れられる」(『雪国の白』、四一頁)ように書かれている。
 これは、かつてプロレタリア文化大革命(一九六六年~七六年)のときに、何事も革命や階級のイデオロギーに還元するという「上綱上線(たちどころに問題を党の綱領や路線にまで引き上げて重大化させる)」で、お互いに監視しあい、その中で思想工作という洗脳教育が押し進められたことと同様である。「調和社会」の装いの下でも、この本質は変わっていない。
 それ故、この状況を見ると、私たちは文革から未だに抜け出せていないことが分かる。これは一党独裁体制の本質である。確かに、現在では「小康(ほどほどの生活)」や「調和」が見られるが、みな体制が付与したものであり、体制の根幹に関わるならば、恐怖で威嚇し、監視や密告で摘発して見せしめにし、またキャンペーンやプロパガンダで人々を呪縛している。やはり恐怖政治の本質が根深く存在している。  さらに、この恐怖政治のためチベット人が巡礼に行かなくなると、当局は「調和社会」を装うために、職場や地域から何人も動員して「巡礼」させている。恐怖だけでなく虚飾も常態化し、まさに「汚泥で濁った水」となっている。

五、戦車を前にした詩の持つ文学の力

 このように、オーセルの詩は、シャングリラのような神秘とロマンに満ちたチベットではなく、隠された別のチベット、恐怖に支配されたチベットを明らかにしたものである。そして、この現実を前にしては、詩人の精神性や立脚点が問われ、もはや抒情的な詩など書けなくなる。しかし、その一方で、詩には心を和らげ、慰め、癒す要素が求められる。
 オーセルは、この二律背反する困難な課題に取り組み、政治的なスローガンを叫ぶ詩でもなく、また不正を告発する詩でもなく、はかない可憐な「雪国の白」という独特な詩的世界を創造し、不条理で悲惨な現実を明らかにしつつ、一つの希望を伝えている。その抒情的な詩句には、強靱な精神や民族的な矜持が内包され、これは支配に対する物静かだが鋭い批判となっている。
 しかし、現実から目を背けず、むしろ深く掘り下げ、真実を明らかにすることは、恐怖政治の下では極めて危険である。それにもかかわらず、オーセルは詩によって果敢に挑戦しているのである。彼女は勇気を奮って我が身を危険に曝しながらも、なお人間の持つはかない優しさや暖かさを表現し、平和や愛に満ちた世界への希望を示唆する。
 ここには一九九五年にノーベル文学賞を受賞したアイルランドの詩人シェイマス・ヒーニーの詩句「ある意味で詩の効果はゼロに等しい。今まで一台の戦車を阻止できた詩は一篇もない。だが、別の意味では詩は無限だ」に共通する文学の力がある(4)
 そして、詩人とは人々が表現でないことを詩句に表す者であるとすれば、「戦車」を繰り出す恐怖政治の下で詩人は永遠の内なる亡命者にならざるを得ない。だからこそ、オーセルは「著述は巡歴、著述は祈祷、著述は証言」と創作を続ける。これは苛酷な現実と遠く高い「上」の世界との狭間で、言葉に表しえない想念を表そうと模索し、さまようようなはかない営みである。確かに、それは「戦車」の前では無力であるが、しかし、「戦車」にひれ伏し、「鉄の鉤」に掛けてもらおうと「心臓」を捧げて自分を失う者よりも優る。いかに言葉を操作し、飾りたてても、「心臓」のない詩は読まれなくなる。逆に、たとえさまよい続けても「心臓」を守り続ける者が発する言葉は、読む人の「心臓」に感応し、さらに読みつがれていく。オーセルの詩は、このような詩である。

(4)Seamus Heaney, The Government of the Tongue: the 1986 T.S. Eliot Memorial Lectures and Other Critical Writings, Faber, London, 1988, p.107.

謝辞:このテキストは『神奈川大学評論』第67号(2010年10月)に掲載されたものです。本サイトへの再掲を快諾してくださったことに感謝いたします。