廣田裕之の社会的連帯経済ウォッチ

第40回

社会的連帯経済と日本文化 その2

 前回に引き続いて今回も、日本で社会的連帯経済を推進してゆく上に当たってどのような文化的障害があるのかについて考えてみたいと思います。

 日本の特別な点としては、終身雇用により企業が共同体化し、昔の村落共同体的な人間関係がそのまま持ち込まれたことが挙げられます。本来企業はあくまでも経済活動を行なう場であり、従業員は自分の仕事能力を一番高く買ってくれる会社で働き、必要に応じて職場を変えてゆくものですが、日本では若いうちは安い給料でこき使われる一方で、勤続年数が長くなると好待遇を得られるような構造になっているため、将来のために今を我慢するライフスタイルが一般的になっています。確かに社会的連帯経済の主役である協同組合でも、一時的ではなく継続的な雇用関係が志向されていますが、協同組合ではあくまでも組合員により民主的な意思決定が重視される一方で、日本の企業の場合にはピラミッド型階層構造になっており、特に下積みのうちはかなり辛い待遇を受けることになります。また、協同組合の第1原則でも「自発的で開かれた組合員制」がうたわれており、出入り自由でなければなりませんが、一度会社を辞めると悪い待遇の雇用しかなくなる日本の企業社会の現状は、このような原則の推進において障害になっていると言えます。

「『空気』の研究」

◉「『空気』の研究」(山本七平著、文春文庫)

 これに加えて、この観点で非常に心配な現象が最近日本で起きています。「空気を読め」という同調圧力です。

 この意味での「空気」については、「『空気』の研究」(山本七平著、1983)で詳しく書かれていますが、日本では自らの意見を持たずに社会の大勢に順応する=「空気を読める」人が評価される一方、あえてその支配的な意見に抗ってまで自分で情報を分析する人を評価するどころか、そういう人に対して「空気を読めない人間=役立たず」というレッテルを貼って見下す傾向にあります。これにより、ある状況下において何をすべきか自分の頭で真剣に考える人よりも、とりあえず他の人たちの意見に同調する傾向が強まりますが、その支配的な意見が間違っている場合には、このような同調意見は悲劇的な結果を招くことになります。また、自分の意見を表明するよりも大勢に身を任せるだけの無責任な人が多くなり、意思決定の面で責任が曖昧になってしまいます。

 この他、宗教面でも日本は、世界的に見て非常に独特な国だと言えます。前述したように社会的連帯経済は主にラテン諸国で盛んですが、これらの国は宗教的にはカトリックであり、人類愛という価値観からさまざまな運動が発生しています。また、アジアやアフリカにはイスラム教の国も少なからず存在しますが、イスラム教では民族を超えた同胞愛という概念があり、信仰を共有している人たちの間で国境を越えた支援活動が行なわれることも少なくありません。

 しかし、日本で支配的な神道や仏教には、このような流れは見られません。神道については教典が存在せず(キリスト教における聖書やイスラム教におけるコーランに相当するものがない)、柿本人麻呂が「葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国」(万葉集3253)と歌っているように、そもそも神学の教義について理知的に議論する伝統がなく、むしろ神との対話は宗教儀式を通じて直感的に行なわれるものとなっており、また日本国外には基本的に広がっていないことから(ブラジル・サンパウロ市の南米神宮や米国ワシントン州のアメリカ椿大神社のような事例が若干あるのみ)、神道を通じた国際交流は実質上不可能です。仏教については神道と異なり数多くの教典がありますが、基本的に自己の内面のみを見つめる宗教であり、他人への善行も社会全体を改善するためというよりはあくまでも因果応報論的なものであり(他人への善行が最終的には自分にも跳ね返ってくる)、仏教徒同士の連帯を通じた社会変革を目指す運動は非常に限られたものとなっています。さらに、アジア諸国の間での交通の不便さなどもあり、仏教徒同士の国際交流もそれほど盛んではなく(少なくともキリスト教世界やイスラム教世界と比べると)、仏教を通じた国際協力のネットワークはそれほど多いとは言えないのが実情です(もちろん、四方僧伽みたいな事例もありますが)。

 この点では日本は、お隣韓国とも大いに違っています。韓国には神道はなく(植民地時代に朝鮮神宮がソウル市内に創建されましたが、独立後廃止され、現在では南山公園となっています)、歴史的には仏教と儒教の両方を受けていますが(時代によって優勢な宗教が変わった)、近代化に伴ってキリスト教も勢力を伸ばし、現在では韓国人の3分の1程度がキリスト教徒になっています。もちろん韓国のキリスト教にもいろんな宗派がありますが、特に外国で発祥した教派の場合にはその本国などと密接なつながりがあります。そして実際、第30回でご紹介したように、韓国では社会的連帯経済関係の修士課程を持つ大学が2つありますが、どちらもキリスト教系です(英国国教会系の聖公会大学と、長老派の韓神大学)。

 宗教的つながりについては、各国において長い歴史の間で培われたものなので、一朝一夕にこれを日本に持ち込むことはできないでしょう。しかしながら、日本にもキリスト教系の大学は少なからず存在します。日本にも聖学院大学が存在しており、社会的経済の研究で有名な富沢賢治教授が教鞭を取っていますが、残念ながら社会的連帯経済関係の学科を創設するには至っていません。また、カトリック世界とのつながりとしては、イエズス会系大学である上智大学が有名であり、同大学はラテン系世界、特にスペインや中南米とのつながりが非常に強いことで知られています。残念ながら社会的連帯経済関係の研究者はそれほど多くないようですが、伝統的なつながりを活かして社会的連帯経済方面でも今後新たな研究活動を起こしてもらいたいと個人的には期待しております。

 最後に、文化という点では、言語的障害の大きさも強調しなければなりません。この連載をご覧になるとわかる通り、社会的連帯経済を国際的に研究する場合に重要となるのは、英語よりもむしろフランス語、スペイン語やポルトガル語などのラテン系言語であり(アジア限定であれば欧米系言語は英語だけでOK:語学についての詳細、学習法も含めてこちらを参照)、またお隣韓国の事例をしっかり研究するのであれば韓国語が重要になりますが、日本の社会的連帯経済の実践者は一般的に語学が苦手であることから、どうしても諸外国からの情報源が限られ、また深い情報交換ができないことから、世界の潮流に乗り遅れてしまう傾向があります。やはり、社会的連帯経済を推進する上では、最低でも英語を習得して(できればそれ以外の言語も可能な限り)、世界の同業者と積極的に交流をすることが欠かせません。また、特にラテン系言語や韓国語が得意な人を社会的連帯経済の各活動に巻き込んだ上で、その人に語学の専門性を発揮してもらうようにするのも一つの手です(たとえば、フランス語が得意な人にフランスやケベックなどフランス語圏の情報を探してもらったり、逆に日本国内の事例情報をフランス語で発信してもらったりする)。また、韓国の社会的連帯経済の情報については、主に日本希望製作所が日本語で情報を発信していますので、そういう情報をきちんとキャッチすることも重要です。

ブラジルへの移民を呼びかける海外興業株式会社(当時)の広告

◉ブラジルへの移民を呼びかける海外興業株式会社(当時)の広告

 なお、連帯経済の面で世界をリードするブラジルと日本との間には、主に移民を通じた強いつながりがあります。日本からブラジルには、1908年の笠戸丸より24万人近い移民が渡っており、その子孫を合わせると現在では150万人程度がブラジルに住んでいます(詳細は国立国会図書館のサイトで)。また、1990年に日本の出入国管理法が改正されてからは逆にブラジルから日本に出稼ぎ労働者が数多くやって来ました。ここ数年は日本の不況とブラジル本国の好景気のため、国に帰る人も増えていますが、それでも日本には2013年6月末現在でブラジル人が18万6771人滞在しており、国籍別に見ると4番目(中国、韓国・朝鮮そしてフィリピンに次ぐ)の大きな在日外国人コミュニティを形成しており、特に愛知県、静岡県、三重県、群馬県そして岐阜県にはブラジル人1万人以上が住んでいます。当然ながら彼らはポルトガル語に堪能で、ブラジル本国の事情もよく知っていますので、彼らの中で社会的連帯経済に関心のある人を巻き込めば、ブラジルからの協力を仰ぐプロジェクトを立ち上げることもできるでしょう。実際、フランスのオランド大統領が昨年12月にブラジルを訪問した際に、連帯経済の推進のためにブラジルがフランスに対して(フランスからブラジルではなく!)支援する協定が調印されています(詳細はこちら(ポルトガル語))。

 今回は2回にわたる記事となりましたが、世界の中でも独特の経済的・社会的・宗教的そして言語的事情を抱える日本において社会的連帯経済を推進する上で、何らかの参考になれば幸いに存じます。

コラムニスト
廣田 裕之
1976年福岡県生まれ。法政大学連帯社会インスティテュート連携教員。1999年より地域通貨(補完通貨)に関する研究や推進活動に携わっており、その関連から社会的連帯経済についても2003年以降関わり続ける。スペイン・バレンシア大学の社会的経済修士課程および博士課程修了。著書「地域通貨入門-持続可能な社会を目指して」(アルテ、2011(改訂版))、「シルビオ・ゲゼル入門──減価する貨幣とは何か」(アルテ、2009)、「社会的連帯経済入門──みんなが幸せに生活できる経済システムとは」(集広舎、2016)など。
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