パラダイムシフト──社会や経済を考え直す

第05回

ベーシックインカムは実現可能か?

 ベーシックインカム(所得保障制度)は、基本的に誰に対しても平等に最低限の所得を政府が提供するという制度で、ここ数年、欧州諸国を中心としてこのベーシックインカムを試験的に実行している地域が増えてきたこともあり、日本でも前回の総選挙で希望の党が公約に掲げたことで、注目が増しています。今回は、このベーシックインカムについてちょっと考えてみたいと思います。

△動画: 上杉隆の「ザ・リテラシー」での波頭亮氏によるベーシックインカムについての解説(画像をクリックすると動画を開きます)

 ベーシックインカムというと、政治的左派や低所得者層が関心を持ちがちな概念と思われていますが、実際には左派ではない政治家や実業家などの間でも支持者がいます(実際、希望の党の政策を見る限り、左派とは言い難い)。現在の社会制度では、年金や失業保険など各種手当が政府から支給されますが、その制度の管理のために大量の職員が必要となっており、彼らの人件費に加え、各種事務経費がかかり政府財政の負担になります。例えば年金の場合、現在は日本年金機構が担当していますが、その制度運営に2620億円かかっています(2016年度)。その一方、ベーシックインカムに移行してしまえばこのような経費が一元化でき、同じ経費でも国民に対してより多くのメリットを提供することができるようになります。言い換えれば、政府の効率化という観点から支持しているのです。

 また、最低賃金をこれまでよりも低く抑えることができるようになり、これにより雇用が増えることも、主に右派側からのメリットとして挙げることができます。当然のことながら現状では、労働者は会社の賃金だけで生活しなければならないことから、最低限の生活水準を保証するという意味で最低賃金が制定されていますが、ベーシックインカムが実施されるとそのぶんだけ最低賃金を下げることができ、人件費に余裕がない企業でも人を雇えるようになるわけです。また、労働者や失業者の可処分所得が増えることから、消費も増えることになります。ベーシックインカムのおかげで生活に余裕ができるようになれば、外食や行楽などに出かける回数が増えたり、古くなった電化製品を買い替えたりするようになり、それだけ経済全体が潤うことにもなります。

 もちろん左派の中でも、ベーシックインカムを推進する動きは少なくありません。その最大の根拠となるのは、世界人権宣言や日本国憲法に規定されている生存権です。関連の条文をちょっと見てみることにしましょう。

  • 世界人権宣言 第22条: すべて人は、社会の一員として、社会保障を受ける権利を有し、かつ、国家的努力及び国際的協力により、また、各国の組織及び資源に応じて、自己の尊厳と自己の人格の自由な発展とに欠くことのできない経済的、社会的及び文化的権利を実現する権利を有する。
  • 世界人権宣言 第23条3: 勤労する者は、すべて、自己及び家族に対して人間の尊厳にふさわしい生活を保障する公正かつ有利な報酬を受け、かつ、必要な場合には、他の社会的保護手段によって補充を受けることができる。
  • 世界人権宣言 第25条1: すべて人は、衣食住、医療及び必要な社会的施設等により、自己及び家族の健康及び福祉に十分な生活水準を保持する権利並びに失業、疾病、心身障害、配偶者の死亡、老齢その他不可抗力による生活不能の場合は、保障を受ける権利を有する。
  • 日本国憲法 第25条: すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

 社会保障については上記の条項でそれを受ける権利が認められていますが、世界人権宣言第23条3もベーシックインカムと関連していると言えます。フルタイムで仕事をしても生活できるだけの収入が得られないのであれば、当然ながらその差額を政府が補填すべきだというわけです。これに加え、失業率が高くどんなに頑張っても仕事にありつけない人がたくさんいる国では、失業者にも最低限の生活保障をすることで社会を安定させるという大義名分も立つことになります。生活できない人が増えると、強盗や殺人などの犯罪が増えて治安が悪化したり、政府へのデモが増えて社会が不安定化したりするので、その防止費用としてベーシックインカムなどが正当化できる、というわけです。今後AI(人工知能)の発達により数多くの専門職が失われると見積もられていますが、この状況下で日本でも、将来的には失業率が急上昇するかもしれませんので、他国の実例から謙虚に学ぶ姿勢は大切にしておいた方がよいでしょう。

 さらに、世界経済フォーラム(日本での通称ダボス会議)のサイトに掲載された記事によると、イランやモンゴルでは鉱物資源の採掘で得た利益を政府が国民に直接配給することにより、国民の大多数が銀行口座を持ち、各種金融サービスを利用できるようになっています。この政策のおかげで、モンゴルと同程度に経済が発展している国では銀行口座を持つ人の割合が43%に、そして周辺の中東諸国ではその割合がわずか15%にとどまっている一方で、イランやモンゴルでは90%以上の人たちが銀行口座を持っており、これにより貯金をするようになったり、お金の使い方に対する考え方が変わったりしています。ブラジルでのボルサ・ファミリア(貧困層の子ども向け奨学金)などの事例も似たようなものと言えますが、現金を直接渡すのではなく銀行口座への振り込みという形にすることで、貧困層向けの金融教育にも役立つわけです。

 当然ながら、ベーシックインカムにおける最大の問題点は、財源をどうするかという点です。例えば20歳以上の日本国民(2017年2月1日現在で1億0341万人)に毎月8万円支給した場合、99兆2736億円もの費用が必要となります。2017年度政府予算の総額が97兆4547億円(そのうち税収や印紙収入は57兆7120億円)ですので、現在の政府予算のままでは当然ながらカバーできる金額ではありません。

 このような批判に対しては、年金や失業保険など今まで別の形で支払われていたものがベーシックインカムとして支給されるようになるだけなので、必ずしも上記のような膨大な額が必要ではないという議論もあります。実際、厚生年金と国民年金の支給額は45兆4048億円(2016年度)に達していますので、上記の費用のうち半分近くを賄える計算になります。もちろん、実際にはそう簡単にはいきませんが、既存の財源を再編するコンセプトとしてのベーシックインカムにも注目する価値があると言えます。

 また、英国ではベーシックインカムではなく、ベーシックサービスという概念も生まれています(ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンが刊行した提言書はこちらで)。これは、お金ではなく食料や住宅、公共交通やインターネット環境を政府が無料で全市民に提供すべきだという考え方です。公共交通については移動の権利を確保する目的で、そしてインターネット環境については、言うまでもなく今日の情報化社会において市民として生活する上で最低限必要なインフラとして、誰もが享受する権利があるというわけです。試算によると、同国のGDPの2.3%(日本に置き換えた場合、約12兆4000億円)があればこれら費用を賄えるということで、ベーシックインカムに比べると経費を低く抑えることができるわけです。

ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの提言書の表紙

◁ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの提言書の表紙

 私自体は以前、減価する貨幣建てで子育て給付を行うことを提唱しましたが(詳細はこちらで)、この発想はベーシックインカムにも応用することができます。ベーシックインカムで大切なことは、あくまでも生活費、すなわち中長期的な貯金ではなく短期的に使ってしまうお金を供給することですが、この際に減価する貨幣を使うことで流通速度を上げ、社会全体への経済効果を最大化することも大切です。減価する貨幣建てでベーシックインカムを支払った場合、当然ながら政府としてはその費用を回収する必要がありますが、税金や国立大学の授業料などの一部をこの減価する貨幣で支払えるようにすれば、国内通貨として十分通用することでしょう。

 ベーシックインカムについては、その実施により動くことになるお金の量が途方もない規模になることと、ベーシックインカムとして支給する額の増減により実現可能性が大きく変わってしまうため、計画の立案は特に慎重に行う必要がありますが、特に完全雇用が難しくなったり、少子高齢化が進んで財源が厳しくなったりした場合の切り札になる可能性があります。日本でもベーシックインカムの具体的な実現案(特に財源の見通し)に関する議論が進むことを望んでやみません。

コラムニスト
廣田 裕之
1976年福岡県生まれ。法政大学連帯社会インスティテュート連携教員。1999年より地域通貨(補完通貨)に関する研究や推進活動に携わっており、その関連から社会的連帯経済についても2003年以降関わり続ける。スペイン・バレンシア大学の社会的経済修士課程および博士課程修了。著書「地域通貨入門-持続可能な社会を目指して」(アルテ、2011(改訂版))、「シルビオ・ゲゼル入門──減価する貨幣とは何か」(アルテ、2009)、「社会的連帯経済入門──みんなが幸せに生活できる経済システムとは」(集広舎、2016)など。
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