長城を行く
【番外編】空から長城──ユーラシア大陸ひとっ飛び

【番外編】空から長城──ユーラシア大陸ひとっ飛び

いまから思えばほとんど笑い話に等しいが、中国には「革命」をしに行ったのだ。1970 年代のことだった。留学先だった北京語言学院の学十楼(学生寮)に落ち着き、学院路から331路線のバスに乗って「進城」(城内に入ること)する余裕ができたころ、早くも革命の希望は潰えた。街を歩く人、疲れきってバスに乗っている人たちの表情や殺伐とした街景、国営商店や食堂の惨状を眺めているうちに、これはどうも間違ってしまった… [全文を読む]
京師を防衛する長城群

京師を防衛する長城群

北京市内には燕山々脈の尾根を中心にして幾筋もの長城が現存している。古来、北部外縁に構築され遊牧地帯と境界を画した長城、あるいは北京の懐深くに入り込み京師(首都)の中枢を護るために機能した長城など、その立地や役割はさまざまだった。北京の東西南北で入り組み、各所で複雑に交差する長城を、それらが所在する地区との関係に視点を合わせ、ここで一度整理しておこう。北京に今も残る長城のほとんどは明代長城で、それらをつぶさに観察していくと… [全文を読む]
独石口──明代長城の北限

独石口──明代長城の北限

北京駅から明代長城の北限──独石口をめざして、張家口、大同方面行きの列車に乗る。途中で南口駅、そして昨日に訪れたばかりの居庸関を左の車窓に見ながら、やがて青龍橋駅に達した。南口駅の「南口」というのは、居庸関の南口という意味だろう。居庸関長城の八達嶺寄りには北口があり、近代以前の時代には、この二つの関口が京師(首都)への入り口になっていた。青龍橋駅からは中国の鉄道の父と尊称される詹天佑(1861-1919)が京張(北京-張家口)鉄路の山越えで… [全文を読む]
居庸関──雲台に刻された西夏文字の誘惑

居庸関──雲台に刻された西夏文字の誘惑

渤海湾に突き出した老龍頭を起点に歩きはじめた長城を踏破する旅は、山海関、角山長城、漁陽古地の山奥にある黄崖関、そして燕山々脈の尾根を走る司馬台、金山嶺、慕田峪と外長城をめぐってきた。今回、その遊牧と農耕地帯を画する外長城から数十キロほど南下して、京師(首都)防衛の要としての役割を担った内長城の居庸関にむかう。居庸関長城は北京市街から北西におよそ50キロ、観光バスで1時間半ほどの距離だ… [全文を読む]
慕田峪──首都防衛の要衝

慕田峪──首都防衛の要衝

中国北方の春は唐突にやってくる。北京市街から北郊の長城にむかう国道の並木は、いまだ冬姿だ。見上げるような大樹に緑の一葉もなく、樹間に北国の殺伐とした風景を見とおすことができる。それが慕田峪にのぼり、敵楼から山肌を見下ろすと、縹渺とした霞の中に薄紅色の春が萌えているではないか。このあたり一帯はくるみ、栗、りんご、梨、桃、山査子、杏の宝庫だという。金山嶺長城で冬枯れの荒野を走破したのはほんの数日前だったのに、季節のうつろいはなんと劇的というほかない… [全文を読む]
金山嶺・司馬台──燕山の尾根を縦走する

金山嶺・司馬台──燕山の尾根を縦走する

黄崖関を後にして北京に移動し、いま万里の長城の白眉ともいえる金山嶺の絶景に向かって郊外の山道を疾走している。バスの目的地は二つ、まず司馬台長城の登り口まで行き、そのあとで西に約20キロほど離れた金山嶺の登城口に向かうのだ。金山嶺長城のさらに先には、前世紀以前から外国人が頻繁に訪れ始めた古北口の長城群がある。今回の旅では、司馬台と古北口の中間にある金山嶺から城壁に取りつき、司馬台まで燕山支脈の… [全文を読む]
黄崖関──漁陽古地の行幸路

黄崖関──漁陽古地の行幸路

明代長城の起点となる山海関、そのすぐ西に屹立する角山長城、そしていま見てきたばかりの黄崖関長城も外装を煉瓦で覆った構築物だった。万里の長城を西へ敦煌郊外までたどる過程で判ったことは、長城には石や煉瓦で築いた構造ばかりでなく、土を突き固めて築いた土長城、そして粘度の低い土や砂に植物繊維を混ぜてつくった長城と、幾種類かあることがわかってきた。全長約6千キロわたる長城の全行程で、もっとも広く採用されているのが「版築」とよばれる建築工法である。版築の「版」とは、土壁を築くときに用いる挟板のことで… [全文を読む]
黄崖関──漁陽古地の重鎮

黄崖関──漁陽古地の重鎮

黄崖関は明代九辺鎮の薊鎮に属する馬蘭路の要衝で、古来、兵家必争の地として幾多の戦役がくりかえされてきた。紀元前の秦はこの地に県を設け、それが薊県となった。隋のころ漁陽と改名され、唐代に薊州となり、ふたたび薊県にもどったのは辛亥革命後の1913年である。明の永楽帝は南京からみずからの根拠地である燕の国に遷都し、北京を首都とした。薊州は明の残党から京師(首都)防衛する軍事の要衝となり、堅牢な長城が修築された。そのひとつが黄崖関だ… [全文を読む]
山海関──遼西回廊の要衝

山海関──遼西回廊の要衝

山海関は明代に修築された長城の起点をなし、九辺鎮の薊鎮に属する最初の関所である。薊鎮は山海、石門、燕河、太平、喜峰口、馬蘭、墻子、曹家、古北口、石塘、居庸の11路から成り、北京北郊の居庸関までの区間に展開している。この場合の路とは長城の路段(区間)のことを指し、11路はさらに27小段にわけられる。天空に「天下第一関」の扁額を掲げた山海関の主楼である鎮東楼は、海浜から山にのびる長城の核として昇龍のような城壁の真ん中に屹立する… [全文を読む]
万里の長城──ユーラシア大陸の文明伝達装置

万里の長城──ユーラシア大陸の文明伝達装置

中国の歴代王朝は、あたかも文明の配電盤のようにユーラシア大陸の東半分に興亡した。中国側の呼称になる東夷、西戎、南蛮、北狄の周辺諸民族があびるようにその恩恵を受け、独自の文化を育んだのはいうまでもない。西や南の諸民族は陸と海のシルクロードからこれに浴し、北方民族はユーラシア大陸の東半分を南北に画する万里の長城を介して中華の文明を享受したのである。万里の長城は農耕と遊牧の諸民族が攻防した歴代の古戦場… [全文を読む]