燕のたより 第21回
王丹と陳光誠
一九八九年の天安門民主化運動の学生リーダーであった王丹さんからメールが届きました。当時、彼は北京大学歴史系の学生で、六月四日の天安門事件の後、政府転覆の陰謀を企てたとして十一年の判決を下され、服役していましたが、一九九八年に病気治療を理由に仮釈放され、米国に出国し、ハーバード大学で歴史学博士の学位を取得し、現在では台湾の大学で中国近代史を教えています。 [全文を読む]
廖亦武氏『ショル兄妹賞』を受賞
また、新たな朗報です。廖亦武さんが、ドイツで「ショル兄妹賞」を受賞しました。「ショル兄妹賞」は「独立精神、公民の自由、道徳、知識、美意識を促進し、勇気と今日の社会的責任を高める作家」に与えられます。廖亦武さんは劉暁波さんの盟友で、「〇八憲章」の最初の署名者です。一九八九年の天安門事件のとき「大虐殺」という詩を発表したため四年間も投獄されました。 [全文を読む]
燕のたより 第20回
女医の高耀潔 纏足のマザー・テレサ 八二歳からの亡命生活、最高齢の亡命者
高耀潔医師は一九二七年一二月一九日に山東省に生まれ、一九三一年九月一八日に抗日戦争(日中戦争)が起きると、河南省に移った。幼い頃は活発で腕白だったため、男の子のようではだめだと、五歳から纏足にされた。 [全文を読む]
燕のたより 第19回
「日拱一卒、為民発声」―我が友・冉雲飛―
「日拱一卒、為民発声」は、四川省の作家、冉雲飛の座右の銘であり、その意味は、日々、一「卒」として少しずつ前に推し進め、民のため声を発するということである。これは、学者、思想家の胡適の「日拱一卒、功不唐捐」にならっており… [全文を読む]
燕のたより 第18回
最後の一撃──張健と天安門の兄弟
パリ十三区のポルト・ド・ショワジーの周辺は、「カルチェ・シノワ(中国人地区)」と呼ばれ、主にカンボジア、ベトナム、ラオス出身の華人が居住している。華人資本のスーパー、中華レストラン、中国仏教の寺院もある。フランスはヨーロッパで華人が最も多く居住する国と言われている。 [全文を読む]
燕のたより 第17回
茉莉花(ジャスミン)の物語
江蘇の民謡に「好一朶茉莉花(一輪のジャスミン)」があり、広く歌われてきた。またジャスミンはとても親しまれている花で、ジャスミン茶もよく飲まれている。ところが、最近、別な「ジャスミン」が現れた。 [全文を読む]
燕のたより 第16回
投降しろ・否! 十数回も出国を阻止されてもなお試みる廖亦武
日本語版『中国低層訪談録』では三十数名の最低層の民衆へのインタビューが編集されている。そこから読者は様々な低層の現実を知ることができるだけでなく、この現実と格闘し、逞しく生き抜く姿に力づけられる。つまり『中国低層訪談録』には読む者を励ます文学の力がある。 [全文を読む]
燕のたより 第15回
ジャーナリストの張高峰:独立した一知識人
2006年に拙訳『温故一九四二』が中国書店から出版されました。そして 「産経新聞」(二〇〇六年四月九日)、「読売新聞」(五月四日、六月四日) などで取りあげられ、また一時はヤフーのアクセスで第二位まで上がり、大きな反響を呼びました。 [全文を読む]
燕のたより 第14回
色淡き血痕のなかで:二〇〇九年六月三日~四日、香港において(その四)
“Y八九”の“Y”はYoungやYouthで、“八九”は天安門事件が起きた一九八九年を指します。今年の天安門事件二十周年追悼祈念集会(ヴィクトリア公園)では、一九八九年生まれの青年である“Y八九”世代の積極的な参加が目立ちました。 [全文を読む]
燕のたより 第13回
色淡き血痕のなかで:二〇〇九年六月三日~四日、香港において(その三)
民主化を求める学生や市民が戒厳軍により弾圧されてから二十年たちました。天安門事件二十周年となる六月を前にして、香港では関連書籍の出版ブームが起こりました。もちろん、それらすべては中国本土で発売できません。中国政府は、この流血の歴史を隠し続けています。 [全文を読む]
燕のたより 第12回
色淡き血痕のなかで:二〇〇九年六月三日~四日、香港において(その二)
「愛国民主運動を支援する香港市民の会(略称支連会)」は、香港市民が設立した組織です。一九八九年五月二一日、北京に戒厳令が布告された翌日、香港では百万人の市民が抗議デモを行い、「愛国民主運動を支援する全香港市民の会(全支連)」を設立しました。 [全文を読む]
燕のたより 第11回
色淡き血痕のなかで:二〇〇九年六月三日~四日、香港において(その一)
「色淡き血痕のなかで」は、魯迅が『野草』という表題でまとめた一連の評論の中の一篇のタイトルで、サブタイトルは「数人の死者と生者と未だ生まれざる者の記念」です。魯迅は、一九二六年四月八日、段祺瑞政権の軍警が市民や学生の請願デモに対して発砲し…… [全文を読む]
燕のたより 第10回
ふるさとは遠きにありて思うもの そして悲しくうたうもの《後編》
今から40年以上も前、1965年、「大四清」(主に農村基層幹部に対して政治、思想、組織、経済の四つを清める政治運動)のとき、故郷の湖南省耒陽市(湖南の東南で省都長沙市から約200キロ)から、おじいちゃんの所属していた北京林業設計院に、おじいちゃんを告発する一通の手紙が送られてきました。 [全文を読む]
燕のたより 第09回
ふるさとは遠きにありて思うもの そして悲しくうたうもの《前編》
中国語で日曜日は「星期日」や「星期天」のほかに、「礼拝天」ともいいます。キリスト教徒の礼拝日に由来しています。3月15日、日曜日、帰郷していた私は両親と、長沙市内中心部に位置する中華基督教長沙市城南堂(城南教会)に行きました。私たちは洗礼を受けたクリスチャンではありませんが、礼拝に出てみました。 [全文を読む]
燕のたより 第08回
汪全勝という名の幼なじみ・六四天安門事件20周年にあたり
去年の12月、関西空港と故郷の長沙(湖南省省都)との間に直行便が運行されるようになり、春休みに帰郷しました。この直行便は、湖南省人民政府の全面的な支援で、南方航空公司が週一往復の定期便を運行しています。十数年前、私が留学で大阪に来たときには、夢にも思わなかったことです。 [全文を読む]
